小説 3
潜入捜査は危機だらけ・5
無人の数学準備室を、この隙に調べない手はない。
いつでも逃げ出せるよう、三橋は窓を必要な分だけ開けて、阿部の整頓されたデスクを覗いた。
書類も文房具も、きちんと整理されていて使いやすそうだ。怪しいものは何もない。
一つだけ、写真ばかりが入ってる引き出しがあったけれど、その写真も男子の物ばかりだった。
中年教師が女子高生の写真を集めてれば、ヘンタイっぽいのかも知れないが、阿部は普通にしてたって相当モテるのだし、女生徒の写真なんか集めそうにない。
写真部の顧問とか、だったかな?
ただの趣味、かな?
正面から写した物が一枚も無いのは、ちょっと不思議だったけれど……三橋は特に疑問に思わず、引き出しを閉めた。
そもそも考えてみれば、あの教師が、他人に見られて困るようなものを、こんな部屋に置きっぱなしとも思えない、か。
何しろ、数学教師は3人いるのだ。教頭は教頭室にいるとしても、もう一人の志賀は、ここを使うんだろうし。
三橋はドアに耳を付け、足音が聞こえないか確かめてから、素早く廊下に出た。
人気のない廊下を、足早に抜けて階段を降り、専門校舎へと向かう。
時刻はそろそろ夕方5時。野々宮という女生徒が、襲われたのは今ぐらいだそうだ。
三橋は、いかにも転入生が校内をうろついてる風な感じで、あちこち興味深げに眺めながら、専門校舎の廊下を歩いた。
1階は、やはりしんとしている。
調理部は今年できたと聞いたが、毎週金曜だけだというから、それ以外の放課後はこんなものか。
家庭科の女教師は定年間近で、それ程熱心でもないらしいから、もう校内にはいないのかも知れない。調理室や被服室はもちろん、廊下にも明かりが点いてなくて、物寂しい感じだ。
三橋は施錠を簡単に開けて、こっそりと準備室に忍び込んだ。
家庭科教師を疑ってる訳じゃない。
共学化には大いに賛成だったらしいし、特に生徒とトラブルがあったとは聞いてもない。
大体、身長160センチの女子高生を、気絶させて服を脱がすなんて重労働、60歳近い女性ができるハズないだろうし。
阿部のような大柄な男なら別だが……。例えばさっきの美術教師なら? いや、もっと小柄な瑠里ならどうだろう?
そう考えると、確かめずにはいられなくて、三橋は瑠里のケータイにメールを入れた。
「瑠里なら、160センチの女子を気絶させて裸にできる?」
送信しておけば、きっと適当な相手で実験を済ませて返事をくれるだろう。
三橋はケータイを閉じ、窓の外を眺めた。空がオレンジ色になりかかってる。
それ程不便な場所とも思えないのに、女子更衣室の前に、人影はない。
でも、それもそうかと思う。
自分なら……「覗き」なんて思われちゃ困るから、女子更衣室の前なんて、呼び出されたって行きたくない。
三橋にとって、あくまで男子の基準は自分であり、女子の基準は瑠里だった。
だから三橋は女子が苦手で……そしてそれは、あながち間違った見解でもなかった。
2階に上がると、テレピン油の臭いが鼻をついた。美術室か。美術部の生徒達が、油絵でも描いてるのだろうか?
そう思ってそっと覗くと、30人くらいの男子が、机を大きな円陣に組んで、熱心に絵を描いていた。
ふたを開けた絵の具ケースが、イーゼルの代わりになるらしい。皆、それぞれ同じようにしてボードを立て、モデルとボードとを見比べながら、筆を重ねている。
さっきの女教師が、ゆっくり生徒たちの間を回り、優しそうに指導していた。そして男子生徒たちは嬉しそうに、その指導を受けていた。
けれど、一番びっくりしたのは、円の中心に立ってるモデルだ。
上半身裸で、きれいな筋肉を惜しげもなく描かせているのは……数学教師の阿部だった。
三橋はそっと、美術室の前から離れた。
何だか、阿部の裸を直視できなかった。
たまたま目の前にあったトイレに滑り込み、個室に入って便座に座る。顔が赤くなるのは、修行を積んでも隠しようがない。
『三橋さん、忘れ物』
イヤでもさっきのやり取りを思い出す。初めてのキスの感触も。
「うわあああ、オレ……」
今更ながらに恥ずかしくて、思わず頭を抱えた時。
「あれ、その声、三橋くんじゃねぇ?」
聞き覚えのある、響きのいい低い声が、三橋を呼んだ。
はっとして、気付く。――自分がついうっかり、男子トイレに入ってた事に。だって、個室のドアが水色だ。今自分は女なんだから、ピンクのトイレに入らなきゃダメだったんだ!
どうしよう、どうしよう。間違えましたと言い張るべきか。
それとも……このまま個室に閉じこもり、阿部が立ち去るまで待つべきか。
三橋は悩んで、ぐるぐるぐるぐると考えた。
たっぷり数分は考えただろうか。
バシャーン!
三橋が結論を出す前に、個室のドアの上から、水がいきなり降って来た。
「うわっ」
ギョッとして上を振り仰いで、今度は頭の上に直撃を食らう。
バシャーン!
洗面台の方から水音がしている。三橋はひょいと飛び上がり、上から個室の外を覗いた。するとやっぱり、バケツ用の大きな蛇口から、ドバドバとすごい勢いで水が出ていた。
あっという間に満杯になったバケツを……軽々と持ち上げて。
阿部が笑った。目が合った。
バシャーン!
今度は顔に直撃を食らい、三橋は……下着までびしょ濡れにされたと、悟らざるを得なかった。
(続く)
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