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小説 3
潜入捜査は危機だらけ・4
 白いテーブルに片手を突き、三橋の顔を覗き込むようにして、阿部が訊いた。
「お前さ、編入試験受けてねぇだろう?」
「ふえ?」
 編入試験?
 意表を突かれて、三橋はとっさに、何と答えるべきか分からなかった。何も答えないでしばらく黙り、必死でぐるぐる考える……その間、約20秒。
 三橋が口を開く前に、阿部が言った。

「やっぱりな」

「なっ……」
 何がやっぱりなのか。カマかけられたのか。
 忍者たる者……カマをかけたり不意打ちしたりで情報収集するのも、勤めの内だっていうのに。自分が情報取集されてどうするのか。
 やばい。この教師はちょっとやばい。
 三橋が内心の冷や汗を倍増させてると、阿部がそっと三橋の頬に手を伸ばして来た。

「何でそう思ったか、聞きてぇ?」
 三橋はごくりと生唾を呑んだ。

 恰好こそ女子高生の制服だが、三橋の中身はれっきとした男だ。
 女の子は怖いし苦手だし、ぶっちゃけ初恋もまだだったりするが、男よりは女の子の方が多分好きだ。
 だから、男に顔を触られたって、「セクハラ!」とか思ったりしないし、身の危険を感じたりする必要もない。

 なのに……何で今、クモの巣に絡まってるような気分になってるのか。
 ここは、女に化けた忍者として、騒がしい女子たちの真似して「先生、その手つきヤラシーっ」とかきゃあきゃあ言いながら、立ち上がって逃げるべきじゃないのか?
「せ、せ、せ、せ……」
 言いながら、「先生」と言うべきか、「セクハラ」と言うべきか、一瞬悩む。
 悩むと余計にどもりが出て、余計に焦る。
 三橋はキョドキョドと、視線を巡らせた。目の前に迫る阿部と、阿部の背後の窓、そして斜め後ろのドア……。

 焦ると逃げ道を確保したくなるのは、忍者としての本能だ。
 だがそんな三橋に、阿部はますます顔を近づけ、耳元で色っぽく囁いた。
「事件のこと、調べてんだろ?」
 三橋は小さく息を呑んだ。
 やはり、昼休みに現場近くで姿を見たのは偶然じゃなかったのか。
 何かを知っているのか、関係あるのか、それともまた、カマをかけているだけなのか……?

 何をどう聞くべきか、どう切り出すべきか、ぐるぐると迷う。その間、約10秒。思い切って口を開けた時、誰かがドアをノックした。
 ちっ、と阿部が小さく舌打ちをする。
「逃げんなよ、三橋くん」
 小声でそうクギを刺してから、阿部は「はい」と返事した。
 逃げるなと言われても、逃げたくてたまらない。
 もしまた他の女生徒が来たのなら……ここに一人でこうして座ってるのを見られるのが、ちょっとやばいって事くらいは、三橋にも分かっていた。

 ぬ、抜け駆けって事に、なっちゃうの、かな?
 仕事しにくくなるのは困る、な。

 困り過ぎて、余計に挙動不審になっているのには気付かず、三橋はおたおたと立ち上がった。
 けれど……幸いにも、部屋に入って来たのは生徒じゃなかった。
「阿部先生、ちょっとよろしいかしら?」
 優しげな大人の声に、三橋はほっとした。
 今日、初めて見る教師だが、資料は頭の中に入っている。まだ20代の美術教師で……。

「あの、ご相談があるんですけど……」
 美人というよりは可愛いタイプか。その小柄な女教師は、阿部に話しかけながら、ちらりと三橋の方を見た。
 何となく、出て行けと言われてる気がして、三橋はこれ幸いとドアに向かう。
 しかし、その手前で阿部が、「三橋さん」と呼び止めた。
「忘れ物」
「あ、はい」
 あれ、何か忘れるようなものあったっけ、と――疑問に思ったのは、ほんの一瞬。
 三橋は素直に振り向いて、ててっと阿部に近寄った。阿部は(何故か)優しい笑顔を浮かべて……。


 ……三橋の唇に、キスをした。


 目を閉じる暇もなかった。
「夜にここに来いよ、三橋くん」
 そう、三橋にだけ聞こえるように囁いて、阿部は三橋の背中を押し、廊下の外へと追い出した。
 されるがままで廊下へと出された三橋は、ドアに背を預けたまま、ずるずると廊下にへたり込んだ。

 もしかしなくても、あれがファーストキスだ。

「な、何で……男相手、とか……」
 ショックが大きいのか、脳が勝手に、何度もさっきのシーンをリプレイしてくれて、頬が熱くなってくる。
 それに、間違いなくあの美術教師に見られただろう。恥ずかしい。

 いや、恥ずかしい以前に、教師が生徒にキスを仕掛ける現場を、他の教師に見せつけていいものか。
 理事長や校長は、三橋が忍者で男だと知っているから、もし問題になったとしてもセーフはセーフだが。しかし、他の女生徒相手なら、懲戒ものなんじゃないのか?
 そんなトラブルを、わざわざ呼び寄せて何の意味がある?
 それとも阿部には……あの美術教師が、絶対に他言しないという確信でもあったのだろうか?

 絶対的な味方、とか。
 恋人とか……?

 ふと思い出して、遅ればせながら、三橋はドアに耳を付けた。
 しかし、聞こえて来たのは、近付く足音が二つだけ。カチャッとドアノブを回す音を聞くと同時に、三橋はさっきと同様、ひらりと廊下の天井に張り付いた。

 三橋が黙って見下ろす中、二人は仲良く肩を並べて、階段を下りて行った。

 キスの衝撃が大き過ぎて……三橋は自分が、「三橋くん」と呼ばれたことには気付かなかった。

(続く)

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