小説 3 係長とオレ・5 結局タクシー代は、全額係長が払ってくれた。 一応、オレも鞄からお財布を出す準備をしたし、「いいよ」って言われた後も、「払います」って言ったよ。 でも、もっかい「いいから」って言われて、引き下がったんだ。間違ってない、よね? 払う覚悟はしてたけど、やっぱり出して貰えて、ほっとした。 ほっとしたけど、一つ気になってる事がある。 それは、オレが車を降りようとした時に、係長がこそっと言ったセリフだ。 「覚悟しとけよ」 え、覚悟って、何を覚悟しなきゃなのかな? タクシー代の請求、かな? うう、それは給料日の後でお願いしたい、な。 それとも、し、仕事の指導を厳しくされちゃうのかな? うお、それは困ったぞ。 お陰で週末は、一人でぐるぐる過ごしちゃった。 そしていざ、月曜日。 覚悟の意味を、聞きたいような、聞きたくないような。そんな気分で出社したんだけど、意外にも係長はいつもと同じだった。 「お、はようござい、ます」 オレが挨拶すると、いつものように「おー。はよ」って笑ってくれた。 「三橋、このデータ、今日中にチェックして。齟齬がなければ、表とグラフにすんの、明日までな」 「は、はい。明日の何時まで、ですか?」 「んー、終業まで。つか、最悪、明後日の朝までだけど、明日中のつもりでやってくれ」 こんなやり取りも、仕事量も、いつも通りだ。 でも、オレが仕事の合間に係長を見てる時、今までは5回に1回くらいしか目が合わなかったのに……今日は、気のせいかな。5回のうち4回くらい、目が合ってるんだけど。 う、サボってないか、見張られてるのかな? グラフ仕上げるまで、気合入れよう、かな? そう思って、ちょっと係長を見たら、係長があの格好いい顔で、オレの事をじっと見てた。 うひっ。サボって、いません、よー。 オレは慌てて目を逸らした。 係長と、やたらと目が合うようになった日から、やたらと食事にも誘われるようになった。 お昼もそうだけど、嬉しかったのは晩ご飯! オレ、一人暮らしで。自炊は嫌いじゃないけど、やっぱり一人の食事は味気ない。 仕事終わってからだし、オレはとにかく量が食べたかったから、行くのは自然、ファミレスとか定食屋とか居酒屋とかになっちゃうけど。 でも、係長が一緒に食事してくれるの、ホントに嬉しかったんだ。 だから、つい思ったこと言っちゃったんだ。 「デートみたい、です、ね」 そしたら、係長は、あの色っぽいタレ目でオレの事をじっと見て、言った。 「オレはそのつもりだけど」 うわ、またそんな格好いい顔で、じっと見られたら照れちゃうよ。 でも、顔を背けてから、気が付いた。 あ、あれ? 『バカは一日一回!』じゃない? ゲンコツがないの、ちょっと変な感じ、だな。 でも、これって、オレの言ってることが「バカ」じゃないって事、だよね。 うん、今までだってそうだったけど、ホントにそう思ったから言ったんだし。 うお、嬉しいな。デート。 憧れの係長に、こんなこと言われるなんて。 どうしよう。この感動、誰かに伝えたい! あ、明日、女子社員の人達に、自慢してみようかな? で、でも、ヤキモチ焼かれちゃったら、おやつのお菓子、分けて貰えなくなっちゃうかな? そ、それはイヤだ。 「誰にも秘密、で、いーですか?」 オレがそう言うと、係長は、ちょっと驚いたように目を見開いた。 そして、優しい顔で言った。 「勿論だろ」 それから。 ふっと屈んだかと思うと、オレの唇に、ちゅって触れた。 え………? 「秘密、な」 係長の大きな手が、オレの頭をぽん、と撫でる。 オレは、うなずくしかできなかった。 今のって。 キス………? 呼吸の仕方も分からなくなって。 ……倒れるかと思った。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |