小説 3
くろがね王と黄金の王妃・8
湖をいつものように散歩してる時だった。
ハナイ君が突然、サッと庇うようにオレの前に出て、鋭い声で言った。
「そこの者! この時間は立ち入り禁止だぞ! 事前に申し渡しがあったろう!」
見れば、質素な薄汚れた作業服を着た人が2人、慌ててその場にひれ伏してる。
「右の方が、湖の管理人です」
イズミ君が、斜め後ろから、こっそりと教えてくれた。
「あ、そう、ですか」
オレはうなずいて、二人の方をちらっと見た。
この間、裏返して置きっぱなしだったボートも、結局、管理人の私物だったんだって。
私物をあんなふうに置いとくなんて、って、ハナイ君は随分怒ってたから、この2度目の失態に、声が荒くなるのは仕方ないの、かな?
これが旅芸一座の親方なら、すぐに殴る蹴るとか当たり前だったから、ハナイ君が、口だけでガミガミ怒るのも、優しいなぁって、思っちゃうけ、ど。
ガミガミ言ってるハナイ君の背中を見てて……あれ、何か気になった。
何だろう、作業服がやけに汚れ、てる? 洗濯しないのかな? 洗濯しても落ちない、のかな?
頭や顔や手がちゃんと清潔だから、余計にそう思うのかな?
古い服に、長年の汚れが染みついて落ちなくて、煮しめたみたいに色が変わっちゃうっていうのは、オレだって経験あるから分かってる。ホントに、ほんの少し前までは、そんな感じだったんだ。
肌の色だって……初めて王様にあった日、キクエさん達にゴシゴシ洗われるまで、自分がこんな色白だとは思ってなかったし。
普通は風呂なんて入らないし、湯を体に使うのだって贅沢だから、労働者ってそういうものだと思う、けど。
「ほら、汚い格好でお目汚しになるだろう。早く去れ!」
ハナイ君が厳しい声で言うと、その二人は「はい」と小さく返事して、ゆっくり顔を上げ、オレの方を見ないように下を向いて立ち上がった。
そんな、お目汚しなんて……って思ったけど、でも下手に口を出すと、今度はハナイ君を叱ってるみたいになっちゃうから、何も言えなかった。
追い払うみたいで申し訳ないな、って思いながら見送ってて、ふと気が付いたんだ、けど。
あれ、管理人じゃない方の人、見覚えある? かも?
どこかで会ったのかな?
お忍びで街に行った時?
訊きたいな、と思ってイズミ君をちらっと見ると、イズミ君はすぐに察して、オレの側にひざまずいた。
「管理人じゃない方の、人、街で会いました、か?」
オレが小声で尋ねると、イズミ君は眉をしかめて、去って行く二人の方を見た。けど、もうこっちに背中を向けてしまってるから、顔までは分からない。
「ハナイ」
イズミ君はハナイ君に近寄り、また小声でぼそぼそと話した。
ハナイ君もイズミ君も、困ったように首をかしげてる。ああ、気のせいかも知れないのに、余計な事言っちゃった、かな?
「あ、の、見覚えあると思っただけ、です、から、気にしないで下、さい」
オレは赤くなりながら、2人にそう言って近付いた。
2人はオレに頭を下げて、でも、また何か話してる。
ちょっと気まずくて、オレは何となく周りに目をやり、そのままぐるっと城の方まで眺めた。
ここからは、バルコニーが良く見えた。
もし、王様がそこに立っていたら――。
オレがここにいても、そうと分かるかな――?
オレがバルコニーから見るのはいつも、湖の水平線や、その周りの美しい林、だ。わざわざ下を向いて、覗き込むようには岸辺を見ない。
王様もそうかな?
いつも顔を上げ、前を向き、胸を張って堂々としてる王様。下なんて見そうもない王様。
オレがここに立ってても、気付いて貰えないかな? 手を振っても?
……レン、とオレを呼ぶ低い声。
……オレだけが知ってる、甘いほほえみ。
王様の出発から、3日経った。
もう3日。まだ3日。
こんなに長く離れたことなかったから、すっごく長く感じてしまうけど、まだ3日。
そろそろ宮殿に到着したかな? 大臣と話し合いしてるかな?
いつ帰るかな? 明日には帰路につくのかな?
花火のこと、念のため早馬を出して、王様にお知らせして貰った。
といっても、王様達も早駆けしてるから、どれだけ早く伝えられるか微妙だって、ニシヒロ先生が言ってたっけ。
でも、いいんだ。
オレ、王様に伝えたいだけだから。
花火を用意して待ってますよ、って。だから、花火に間に合うように戻って下さいって。
宮殿に……他の姫君のいる場所に、オレを置いて長居しないで下さいって。
「王妃様にお願いがあるのですが」
花火を用意してくれる隣国の使者が、朝の謁見の時間にそう言った。
「なん、でしょう?」
オレは少し警戒して、使者の顔を見た。
お願いって……何をお願いされるのかって思うよね。
けど、使者の人は苦笑して両手を振った。
「いえ、無理にとは申しませんし、どうか警戒なさらないで下さい」
そう言われると、警戒したのが何か恥ずかしくて、少し頬が熱くなる。
使者は軽く頭を下げて、お願いの内容を言った。
「花火職人を待機させるために、林への立ち入りをご許可願いたいのです」
「え、と……?」
オレは、よく分からなくて首をかしげた。
「立ち入りできない、のです、か?」
「はい、王家の領地で、王妃様方が散策されることもあるから、と」
それは、確かにそうだったけど……。
キョドリそうになるのを何とかこらえて、オレはニシヒロ先生に視線を送った。けど、先生も分かってなさそうだった。やっぱり首をかしげてる。
だって……花火職人への立ち入り許可は、花火を提案された時からの、一番の議論の的だったんだ。
普段、王家の者以外立ち入り禁止の場所に……他国の人間を入れてもいいものか、って。ニシヒロ先生をはじめ、王様の側近が、一番議論したのがそれだったんだ。
許可なんて、とうに出してる。
オレは、ニシヒロ先生と顔を見合わせ、それから使者の顔を見た。
キョドらないようにするのが精一杯で……不信な顔は隠せなかった。
(続く)
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