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小説 3
アフターサービス・中編
 三橋が、どんな会社でどんな仕事してるかは知らねぇ。けど、あのマンションのオーナーだって事は知ってた。
 脱ぎ散らかされてたスーツやネクタイだって、相当上等なものだったし、居間のテーブルに転がってた腕時計だって、0が7つくらい付くってやつだった。
 だから、セレブだってのは知ってた。
 けど……ちゃんと考えていなかった。

 リムジン。
 オレなんか、間近で見たのだって初めての車に、あいつは毎日乗ってんだ。
 運転手に、ドアを開けさせて。
 ……恥ずかしー。


 オレは小さくため息をついて、バスのつり革をぎゅっと握った。


 さっき――目が合ったような気がする。
 駅前で、リムジンから降りるの見かけた時。
 あいつ、ぱぁっと笑った気がする。
 オレはすぐに回れ右して、バス待ちの列に紛れ込んじまったけど。
「阿部君!」
 って、呼ばれた気もする。あいつの少し高い声、よく響くよな。

 自分でも、何で逃げたのか分かんねー。「待って」っつってたのに、無視してバス乗って。
 やましいから? 気まずいから? それとも、恥ずかしいからか?
 恥ずかしいのは……あいつか? オレか?


 家に戻ると、夕飯の用意ができていた。
 腹は減ってるハズなのに、何か、気持ちがいっぱいで食えそうにない。
「後でいいや」
 と言うと、「じゃあお父さん呼んで来て」と母親に言われた。
 ダイニングを出て、左の廊下の突き当たり。事務所へのドアを開けて中を覗くと、親父が一人、書類を書いてた。
「メシだって」
「おー、今行く」

 オレが電話の前に座ると同時に、電話が鳴った。
 アゴで促されて、受話器を取る。

「はい、お電話ありがとうございます。24時間迅速対応の、阿部メンテナンスでございます」

 けど、相手はなぜか、すぐに喋らなかった。
 ぐすん、と鼻をすする音だけが響く。
「もしもし?」
 もう一度声を掛けると、弱々しく震える声が、言った。

『あ、の。アフターサービス、お願い、します』

 聞き覚えのある声だった。
「どうかしましたか?」
『1週間以内、なら、無料でメンテナンス、って』
 ぐすん、ともう一度、鼻をすする。
 そっと吐く息が震えてる。
 泣いてる? 何で? さっき笑ってたのに?
「場所は?」
 なんて、訊かなくても分かってたけど。

『駅前の、スリースター、ズ、マン、ション。101号室、の、三橋、です』

 正直に言うと、一瞬、迷った。
 親父に代わりに行って貰うとか、ホントに一瞬、考えた。
 けど、アフターサービス。これは、オレの仕事だ。
「すぐ伺います」
 オレはそう言って、受話器を置いた。


 さっき逃げてきたばかりの場所に、もう一度立つのは、かなり勇気がいる。
 向き合いたいような、逃げ出したいような。
 ピンポーン。
 呼び鈴を押してから、まだ私服のままだった事に気が付いた。
 はは、オレもなんか、余裕ねぇな。
 カチャッとドアが開いて、涙声で「どうぞ」と言われる。

 ああ、ここも漏水だ。
 涙流しっぱなしの顔を見て、なんとなくそう思った。

「手紙。また来る、って、あったから、待って、た、のに」
 ぐい、っと涙をYシャツの袖でぬぐって、三橋が言った。
 手紙ってのは、多分、一週間前にオレが残した、置手紙の事だろう。
 あの日の朝……目が覚めたオレは、腕の中で眠るこいつを、スゲェ愛しいと思ったんだ。だから帰る前、FAX用紙を一枚抜いて、メモを残した。

 ――ごちそうさん。楽しかった。また来る。カゼひくなよ――

 確かに、そう書いたけど。
「今日、やっと来てくれた、かと、思ったのに。ち、がった、ですか?」
 三橋がオレのTシャツの裾を、左手で掴んだ。
 その手首には、1千万は下らねぇ高級時計が銀色に輝いてる。
 目を逸らして、ため息をつく。

 だって、それ、オレの年収の何年分するんだよ?
 オレの年収の何年分を、お前は稼いでんだよ?
 そんな立場違ったら、友達にだってなれやしねーだろ?
 つーか、まだ友達ですらねーだろ。
「今日は、仕事で来たんです」

 細い体をぐいっと押しのけてそう言うと、三橋はよろめいて壁に背を預け、そのままずりずりと座り込んだ。

(続く)

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あきゅろす。
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