小説 3
ヒロイン×ヒロイン・5
オレがトイレに、リュックを持って行こうとするのにも、阿部君は気付かなかった。
なんか、すごいソワソワして、廊下の窓から外を見てる。そして、オレの方を見ないで訊いた。
「なぁ、お前、ああいうバケモノ退治してる奴に、知り合いいねぇ?」
「さあ……知り合いが、どうか、した?」
阿部君は答えない。
黙ったまま、窓の外を見てる。
何だよ、オレのこと、ちょっとは思い出してくれてる、の?
さっきからずっと胸が痛い。
でも、オレが、心をマイナスに染める訳に、いかない、よ。
オレは黙って二階のトイレに入り、すかさず鍵を閉めた。それから窓を開ける。
う、やっぱトイレの窓は小さいな。
でも、男のオレにはムリでも、変身したオレなら通れる、かな?
リュックからドームを出して、胸のネジ穴に差し込もうとした時、コンコン、とトイレの戸をノックされた。
阿部君かな。今、忙しいのに!
「入って、ます、よっ」
「分かってんよ」
阿部君が、ちょっと怒ったように言った。
「さっきの話だけど。バケモノを退治する奴でさ、お前そっくりのフォームで、武器の光球投げる女がいてさ。オレ、そいつにヒデー事しちまって。なあ、お前の知り合いとかじゃねーの?」
何なの、それ、オレのこと?
知ってどうする、の?
もう他に、好きな人、いるんだろ?
『三橋』って……あんな甘い声で、オレの名前呼んだくせに。優しい顔でキスしたくせに。
それがヒデー事?
確かにヒドイ、よっ!
オレはぐいっと涙を拭いて、ドームを自分の胸にはめた。外す時と反対に、左に4回、右に8回、左に3回、素早く回せばぺこん、とくっついて、変身が始まる。
肩幅は小さく、胸は大きく、手足は細くなり、髪がばさっと広がった。
「なあ、とっさに別の奴の名前呼んじゃうのってさ、結局、身代わりにしようとしてたって事になんのかな?」
阿部君はまだ、トイレの外で話してる。
何の話? 身代わり?
オレが誰かの身代わり、ってこと?
好きって言ったのも、嘘ってこと?
でも、もう、そんなの……。
「知らない! よ! 興味ない!」
叫ぶと同時に、ジーンズがずるっと落ちた。うわわ、格好つかないな。
「三橋?」
阿部君が呼んでるけど、返事しない。
慌ててベルトを締め直そうとするけど、あれ、穴が無い。そうか、このベルトもメンズだから……。
ジーンズもウェスト、ガボガボだし。うう、もう脱ぐしかない?
あ、でも、ロンTがブカブカになって、お尻まで隠してるし、ミニワンピっぽくないこともない?
「三橋? 中にいるの、三橋だよな? 返事してくれ、三橋!」
ドンドンドン、阿部君がドアを叩いて、ドアノブをガチャガチャやってる。
何だよ、もう放って置いて欲しいのに!
もっかい涙をぐいっと拭く。
思い切ってジーンズを脱ぎ捨て、長いTシャツ一枚になる。
いつもより太ももが出てるけど……うん、オレ、男だし。今日はグレーのボクサーなんだけど……うん、パンツ見えても気にしないし。
もういいよ。もう、どうでも。
早く終わらせて、早く撤収しよう。
もう、阿部君の話、聞きたくない、し!
「三橋? 返事しろ! じゃねーと、鍵開けるぞ」
ドンドンドン、と阿部君がドアを叩く。
うわ、本気? トイレの鍵は、コインとかで外から開けられちゃうって聞いた事ある、けど。
「入って来ない、でっ!」
オレはもう一度叫び、イヤホンをぎゅっと耳にはめた。
カチャン、と音がして、ドア鍵のシリンダーが回る。外開きのドアが引き開けられる。
オレは便座の上に立ち、窓枠に手を掛けた。
肩さえ通せれば。う、狭いけど……。
「三橋っ!?」
阿部君の声が後ろからしたのと、オレが窓から抜け出したのと、ほぼ同時だった。
一瞬、振り返る。
青ざめた阿部君と、目が合った。
阿部君が何か言ってる。でも聞こえない。
斜めに下がった足元の屋根を、靴下のまま滑り降りて、ジャンプする。
ひと飛びで、屋根から塀へ。塀から道路に下りて、風のように走る。
持ってるポテンシャル全部出せるように、体の中、いじったから。だからもう、フィールドは走れない。キャッチャーに向けて、投げられない。
……阿部君に向けて、投げられない。
それがずっと心残りだった。でも、もう今日で吹っ切れた。
もう、心、揺らさない。
キエサレー
叫んでるのは、修正液のバケモノ。
白い液を、所構わず撒き散らしてる。
新都心ならともかく、住宅街に近い場所だから、そんなに高いビルが密集してない。
オレは、適当に目星をつけた、5階建てアパートのエレベーターに乗り、最上階で降りた。そこから廊下の手すりに飛び乗り、屋上の縁にジャンプして、よじ登る。
『レンレン、攻撃位置に就いたの?』
「う、はい」
イヤホンからの指令に、短くうなずく。
人より速く走れるからって、やっぱり車程じゃないし。アグファムが無いと、出動はきついな。
オレは息を整えながら、胸のドームに手を当てた。
『気をつけて。ターゲットは修正液を吐くみたい』
相変わらずの瑠璃の調子に、ちょっと笑む。
だから。見れば分かるって、そんなのは。
あ、ターゲットがこっち見た。
キエサレー
ビュッ、と白い液が飛んで来る。
オレは胸に手を当てたまま、横飛びに飛んで、それをかわした。
「消えない、よ。そんなのじゃ」
修正液なんかじゃ、消えないよ。
「なかったことには、できない、よっ!」
ふわんふわん、とミントグリーンの光の球が現れて、オレの手のひらにしっくりと馴染む。
マウンドじゃない。ピッチャープレートも無い。
阿部君もいない。
でも、投げる。
キエサレ……
断末魔の叫びと共に、最後の修正液が飛んで来た。 一瞬、反応できなかった。
「三橋っ!」
って呼ばれて。全身が耳になっちゃって。
ぐるっと視界が回り、誰かがオレを抱き締めて、屋上の床を転がった。
(続く)
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