小説 3
バースディ・フール・9
オレが鉄扉の写真に驚いてる間に、田島がさっさと上り込んで、あちこちの照明を点け回った。
まず、キッチン。
1週間の間に、信じられねぇくらい散らかったキッチンは、勿論無人だ。
テーブルの上には、空き缶や空きペットボトルが洗いもしねぇで放置されてて、何故か1枚、オレの写真が置かれていた。
「三橋ぃー!」
田島が、名前を呼びながら、三橋の部屋の照明を点ける。
「どこだ、三橋!」
部屋にはいなかったらしい。田島はひょいとそこを覗いて、すぐに今度は、オレのだった部屋へ行く。
パチン、とスイッチを入れる音。
そして。
「三橋っ!!」
田島が大声で叫んだ。
慌てて駆け寄ると……三橋は、元オレの部屋の真ん中で、オレの写真を一枚抱いて、床に倒れ込んでいた。
「三橋、起きろ、三橋!」
田島は三橋をガクガクと揺すり、それでも目を覚まさないのを見て、素早く外に出て行った。
オレは三橋の側にヒザを突き、そっと細い体に触れた。
服は一応、乾いた物に着替えられていた。
けど、何だこれ? 体はとんでもなく冷たいのに、額はとんでもなく熱い。
「三橋、しっかりしろ!」
額に手を当てながら呼びかけると、意外に長いまつ毛がピクリと動いて、うっすらと目が開いた。
「三橋っ!」
顔を覗き込むと目が合って。
「あ、べ君?」
オレの名を呼んで、三橋がふにゃあっと笑った。
「おかえ、り」
うわ言のように呟きながら、三橋がゆっくりと体をひねり、オレの背中に腕を回した。
すり、と腹に顔を寄せられ、何でかな、すげぇ痛い。
胸の奥が、すげぇ痛い。
オレに甘えるように抱きついたまま、三橋がまた、うわ言めいた……力のねぇ声で言った。
「あのね、平気、だよ」
「え……?」
平気じゃねーだろう、こんな熱い額して。
オレは三橋を、ギュッと両腕で抱き締めた。何でだろう、ずっとこうしたかった気がする。
好きだと思う。
いや、勿論、今までだって嫌いじゃなかった。どちらかと言うと好きだった。
でも……。
ふと三橋が、ぶるっと震えた。
「寒ぃのか? 三橋?」
無理もねぇ、こんな熱だ。
そうだ、布団に寝かせた方が。いや、病院、救急車……。
オレはようやく思い至って、三橋の腕を外し、立ち上がろうとした。
けど、その瞬間、ひゅっと三橋が息を呑んだ。
オレに振りほどかれ、ぱったりと床に伏して、ひく、と小さな嗚咽を漏らす。
「三橋?」
オレの問いかけに、三橋はまた応えた。
「大丈夫、だよ。オレ、ひとりでも平気だ、よ……」
オレは何も言えなかった。
大丈夫な訳ねーだろう。平気な訳、ねーだろう?
だったら何で……泣くんだよ?
何でそんな、嘘つくんだよ?
玄関先が騒がしくなったと思ったら、田島がオレの親父を連れてきた。
「病院連れて行こう!」
親父が軽々と三橋を抱き上げ、肩に担いだ。
涙が一粒床に落ちて、三橋がやっぱ泣いてたと分かる。
三橋が運び去られた床には、ただ、オレの写真が落ちていた。
卒業式のかな? 花束持って、学生服で笑ってる写真。
それを持ったままキッチンに戻ると、ぐちゃぐちゃのダイニングテーブルの上には、3年の時のかな? 練習着姿の……おにぎり休憩の時の写真。
「それな、『うまそう』用だぜ」
声のする方を振り向けば、田島があの鋭い顔で、オレの方を見つめていた。
「お前ら、あれ、ずっとやってたんだろ? 一緒に弁当食ってる時も。ここで一緒に住み始めても」
「……ああ」
確かにやってた。だって、それはオレ達の、っつーか野球部全体の習慣だっただろ。さすがに一人じゃやんねーけど、三橋と一緒ならやるだろう?
でも、それとこの写真と、何の関係がある?
その疑問に答えるように、田島が言った。
「三橋な、お前が出てってからも、一人でやってたんだぜ。写真のお前と一緒にな」
そしてオレから写真を2枚とも取り上げ、卒業式の方のを上にして、テーブルの上にパン、と置いた。
「ちなみにこれは、『おはよう、おやすみ』用」
次に、ドアの内側の写真を指して。
「あれが、『行ってきます、ただいま』用だ。全部、お前の代わりだぞ! それがどういう意味か、よく考えろ! 『出てけ』って言われたからって……簡単に出てっちゃダメだったんだよ! このバカ!!」
そう叫んで、田島は玄関から出て行った。
オレはぼんやりと田島の言葉を考えながら、後に続いた。
鉄扉の前に立って、改めて気付く。これ……オレ自身と、目線が同じだ。
行って来ます、と、ただいま用。
じゃあ三橋はこの1週間、ずっとこの写真に向かって、話しかけてたのかな?
返事もねーのに?
『行って来、ま-す』
昨日、植え込みの陰で聞いた、弾んだ声を思い出す。誰に笑顔向けてるんだって、ムカついたのも思い出す。
じゃあ、あれは……この写真に向けて言ってたんかな? 何でそんな事すんのかな?
それってさ、平気って事にならなくねーか?
やっぱ平気じゃねーんじゃねーか?
オレに出てけって言ったのも……やっぱ、もしかして、嘘の一つだったんじゃねーか?
(続く)
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