小説 3
バースディ・フール・8
ジーンズもシャツも、濡れて汚れてぐっしょぐしょになっていた。
そんな格好で講義なんか受けらんねぇし、電車にも乗れねぇ。
くそ、ホントなら何があったって、着替えを取りに行けたのに、とか……無意味なことを考えそうになるけど、首を振って否定する。
大学の購買に、ジャージとか売ってなかったかな?
いや、それより駅前のスーパーに、安いの売ってねぇかな?
イチかバチかでスーパーに行ったら、何か薄っぺらいジャージの下が、980円で売ってて買った。Tシャツなんか500円均一で、柄はともかく、まあ買えた。
「すぐに着ます」
つって値札切って貰って、試着室借りて着替えて、大学に行った。
今朝のことはかなり噂になってるみてーで、スゲー注目浴びたけど、もう気にしねーことに決めた。
ある意味、自業自得だし。
オレの機嫌悪ぃーの分かってるみてーで、講義室でも学食でも、ホモだとか何だとか、言いに来るやつはいなかった。
でも、もうどうでも良かった。
そりゃムカつくけど……どうでも良かった。
それより、三橋のことが気になった。
何で反射的に追いかけなかったんかな、オレ?
考えてみりゃ、高校の時なら迷わず追いかけてた気がする。何を放り出しても。
何でためらった?
あそこであいつを追いかけたら……やっぱホモだと笑われるからか?
追いかける資格がねーからか?
三橋の気持ちを知っちまったからか?
応えられねーからか?
ホモじゃねーからか?
応えられねーと、追いかけちゃいけねーのか?
そんなハズねーだろ?
友達なら……例えば田島なら、やっぱあいつのこと、追いかけるだろ?
雨の中、濡れて立ってたのを思い出す。
傘持ってなかったんかな? ちゃんとタオル持ってたかな?
風邪なんか、ひいてなきゃいーけどな。
無意識にケータイを開いて、また閉じる。
『もう電話しないで』
泣きながら言われたの、思い出すと辛い。
メールもダメなんかな?
単に気になるし、単に心配なだけだけど。単に、「タオル持ってるし、暖かくしてるよ」とか返事貰えるだけで安心すんだけど。
田島に……メールしておくか? 三橋が雨に濡れてたから、様子見てやってくれって?
はは、田島なら言われなくても様子見るよな。だって、あいつらは友達だ。親友だ。オレとは違う。
オレとは違う。
オレは、元チームメイトで、元ルームメイト。
今のオレは、何者でもねぇんだ。
家に帰って、家族そろって晩メシ食おうとしてた時に、田島からまた電話がかかった。
『鍵持って来い!』
いきなりわめかれても、意味ワカンネーっつの。
「はあ? 鍵ぃ? どこの鍵だよ?」
イヤそうに訊くと、さらに大声でわめかれた。
『三橋んちのだよ! 早く鍵持って来い! そんでドア開けろ!』
食事時にいきなり何だっつーの。大声でわめくから声が漏れて、ほら、親もシュンも聞き耳立ててっし。
オレは席を立って、ソファの方に移動した。
シュンがさり気について来てんのを、シッシッて感じで追い払う。
そして一つため息をつき、現実的な話をした。
「あのな、鍵ったって、オレは前のしか持ってねーぞ。鍵、替えたんだろ? 大体そんなの、新しい同居人に言えばいーじゃねーか」
すると、田島が言った。大声で。
『バカ! お前、あんなの全部ウソに決まってんだろーが!』
「え……?」
一瞬、モヤが晴れたような気がした。
思わず立ち上がって、ダイニングの方を振り返る。
親父のグラスにビールが注がれてんの見て、慌てて「呑むの待った!」って叫んで……。そして。
改めて訊いた。
「三橋が、どうしたって?」
三橋が、朝練には来てたのに、大学には来なかった……と、田島は言った。
あの練習好きの……と言うか、投球好きの三橋が、午後練にも来なかったので、さすがにおかしいと思って電話したら、「ちょっと熱っぽいから」とか言われたらしい。
『そんで今、休憩時間に様子見に行ったら、電気は点いてねーし鍵かかってっし、電話にも出ねーんだ! もしかして中で倒れてっかも知んねー! 早く鍵、開けてくれ!』
わめく田島を何とかなだめ、オレは親父の車に乗り込んで、2人の元に向かった。電車なら1時間でも、高速すいてりゃ30分で着く。
田島のデカ声はやっぱ外に漏れてたようで、オレが何も言わねぇうちに、親父は箸を置いて立ち上がってた。
母親はビニール袋に、リンゴやレトルトのおかゆを入れてくれた。
熱っぽいって、あいつ……やっぱ濡れた後、放置してたんかな?
ためらわずにメールでもしときゃ良かったか?
ってか、大学行かなかったって、どういう事だよ。今朝、あの後、バス乗って行ったんじゃなかったんかよ?
……全部ウソって、どういう意味だよ?
「そんなソワソワするくれーなら、さっさと三橋君に謝って、また同居させて貰え」
親父が、ハンドルを握ったまま言った。
まあ正論だ。
けど、そればっかりは、オレ単独じゃ決められねーし。
そんな、ケンカなんて単純な話じゃねーし……。
オレの悩みも知らねーで、親父がまた、見当違いの説教をする。
「男ならなー、自分が悪くねーつって思ってても、悪かったっつって頭下げなきゃならねー時あるんだよ」
「あー」
そうして尻に敷かれる訳ね、と心の中だけで思って、オレは生返事をしながらケータイを開いた。
短縮1番。
もう電話しないで、っつった、あの言葉も嘘かも知れねーとか……都合のいいコト考える。
もしかして。
出てけって言ったのも、嘘かも知れねーとか。
そんな、都合のいいコト考える。
思い切ってかけた電話には、やっぱ三橋は出なかった。
そして、30分後。
アパートの鍵を開けたオレが、まず最初に見たものは……鉄扉の内側、ドアスコープの上に貼られた、何でかオレの写真だった。
(続く)
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