小説 3
バースディ・フール・6
ぼんやりと歩いてたからだろう。
大学の帰り、ふと気付くとあのアパートの前にまで来てて、ギョッとした。
1か月通った道だけど、駅とは反対方向だ。
まだ1週間やそこらしか経ってねぇのに、すげぇ懐かしく感じる。懐かしいって程、住んじゃいなかったのに。
でも……もう、あそこには帰れねぇ。
無意識に、住んでた部屋のドアを見上げる。
ここの部屋の鍵は、まだキーホルダーに繋げたままだ。繋げたままだと気付いてからも、まだ外してなかった。
別に理由はねぇ。単に、外すの面倒くさかったし、今じゃなくていいだろって思ったからだ。
もう、返さなくていいらしーし、どうでもいいけどな。
もっかい部屋のドアを見上げた時、それが突然開いたんでびっくりした。
慌ててドアからの死角に入り、階段からも見えねぇよう、駐車場の植え込みに隠れる。
隠れてから、何でオレ隠れてんのかな、とか思った。
バカバカしい。恥じるコトねぇ。堂々と顔を出して、「よお」とか言ってやればいい。
けど……泣かれたら困るし。
昼間の泣き声を思い出す。
電話しないで、と告げた声を。
もし、あのままあいつが泣いていたら……今、目の前で泣かれたら……。
けど。
そんなオレの思いをよそに。
「行って来、まーす」
誰に笑顔を向けてんだろうか。三橋の弾んだ声がした。
その夜、田島から電話があった。
田島と話すのは、三橋の誕生日以来だった。
『阿部、お前、三橋んちの鍵、持ってったままだろ。いい加減返せよ、何なら取りに行ってやる』
「はー?」
オレはイライラを声に乗せ、田島にぶつけた。
「返さなくていーっつったんはそっちだろうが! 捨てろっつったり、返せっつったり! 一体ホントはどっちなんだよっ!」
喚き声がうるさかったのか、隣室のシュンに壁をドンと蹴られた。
ちっ、と舌打ちが漏れる。
イライラする。
『捨てろって……誰が?』
田島が低い声で訊いた。
「三橋だよ! もう鍵替えたから、いらねーって。捨てていいって。そんで、もう新しい同居人いるからって!」
『三橋が? いつ?』
田島が怪しむように訊いた。
「昼だよ!」
『お前が電話したのか?』
「悪ぃかよ!?」
田島は、否定も肯定もしなかった。ただ、静かに訊いた。
『何の用事で電話したんだ?』
「そりゃ……」
ホモだと噂されて、それが三橋のせいだとか思ったから、なんて言えやしねー。
口ごもったオレに、田島が低い声で言った。
『今まで、お前が連絡事項以外で、三橋に電話してやったことなんかなかったよな?』
何だ、それ?
予想外のことを言われて、話題の飛躍についていけねぇ。
「はあ?」
短く問い返すが、田島はあっさり話題を変えた。
『まあいいや。とにかく、お前が三橋に電話して? 鍵返さなくていいって言ったって?』
「ああ」
そうだ、三橋はそう言った。
そして、鍵を替えたって。
もう新しい同居人がいるって。
付き合ってるって。
嘘だと思ったけど……嘘じゃないって。
田島はしばらく黙った後、『ふうん』と言った。
ふうん、って何だ。
ムカムカする。
そのムカつきをあおるように、田島が続けた。
『そっか、三橋がそう言うならそうなんだろ。悪かったな』
何だ、それ?
ふざけんな、と怒鳴ろうとして息を吸い込んだ時、プツンと通話を切られた。
怒鳴る相手を失って、やり場のない思いにため息をつく。
「くそっ」
オレはケータイをベッドに叩きつけ、キーホルダーを引っ掴んだ。
艶消し加工された黒の金属製のそれには、この家の鍵と、あの家の鍵の二つしかついてねぇ。と、いうか……。
キーホルダーごと貰ったんだと思い出す。
これって……同居記念とかだったんかな。よく見れば、ブランド物のキーホルダー。これと同じで色違いの金色の、三橋の誕生日に、あいつの部屋で見た。
プレゼントだったかも知れねーなんて、今更気付いてどうすんだ?
それごと捨てろって言われたのに。
そう言わせたのは、オレなのに。
(続く)
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