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小説 3
バースディ・フール・5
 ダイニングテーブルで新聞を読んでたら、慣れた気配が横を通った。
「あ、三橋ぃ、悪いけどお茶取って」
 顔も上げずに頼んだら、慣れた気配の持ち主が、呆れたように「はあっ!?」と言った。
 え、と思って顔を上げると、それは三橋じゃなくて弟だった。

「兄ちゃん、三橋さんに、ずっとそんな態度だったの?」

 弟は冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを出して、ドン、とテーブルの上に置いた。
「うるせーよ。コップ!」
 三橋なら……いちいち言わなくても、コップにお茶を注いで渡してくれたのに。
 弟は、顔をしかめて「自分で取りなよ」と冷たく言った。

 ――はい、阿部君。
 柔らかな声で、お茶のコップをコトンと置いて、三橋は目を細めて笑うだろう。
 そうしてオレの手元を覗き込み、ちょっとためらって訊くだろう。
 ――面白い、記事、ある?
 気が向けば、何を読んでたか教えてやるし。気が向かなければ、適当に……生返事をするだろう。


 合鍵を返し忘れたと気付いたのは、あの部屋を出て1週間経った頃だった。
 ワンルームでも借りて一人暮らししたかったが、今の時期に安くていい物件なんか空いてるはずもなく、当然寮だって空室はなくて。
 オレは結局、埼玉の実家から、1時間かけて通学していた。
 不便だった。

 何しろ、朝だって1時間早く起きなきゃなんねー。忘れ物も取りに帰れねー。突然の休講だって、時間つぶす場所、探さなきゃなんねー。
 部屋を出てから、それまでの1か月間がいかに楽だったかを知った。

 そして、いかに三橋が……側にいるのが普通だったかを知った。


 ある日、ジャージ姿でロードワークしてる三橋を見かけた。
 一瞬、声を掛けようとして……その資格がない事に気付いた。
 その代わり、後ろから走って来た田島が三橋に並び、肩を組んだりひじ打ちしあったり、仲良さそうに走り去った。

 あいつらは、前からそうだ。
 高1の頃から、あんな光景はずっと見てきた。別に今更珍しくねぇ。
 三橋の側にはいつも田島がいて、泉や浜田がいた。あいつらといる三橋は、いつも楽しそうに笑ってた。

 オレの方をちらっとも見ねーで、どっかに走り去ってくあいつらの背中を……一人眺めんのは初めてじゃねぇ。
 なのに何でこんな、置いてかれたみてーな気分になるんだろう?
 ……ムカつく。
 オレは勢いよく背を向け、石を蹴り飛ばしながら早足で歩いた。
 三橋のことも田島のことも、頭から消えて欲しかった。


 学食で昼メシを食べてた時だった。
「阿部、お前、ホモだってホント?」
 名前も知らねーような奴が、突然そんなことを訊きながら、オレの真横の椅子に座った。
「はあ?」
 思いっきり目つきの悪い顔で睨んでやったが、そいつは気にする様子もなくて、「噂になってんぞ」と言った。

「んな訳ねーだろ!」

 思いっきり否定してから、ぱっと脳裏に三橋の顔がよみがえった。
 ――阿部君が、好き、です。
 ぼろぼろ泣いた顔を思い出して、舌打ちしてぇ気分になる。
「誰がそんな下んねー噂……」
 吐き捨てるように言いながらも、三橋が頭から離れねぇ。

 まさか、三橋じゃねーよな、と思う。
 三橋が、あいつが言いふらしてたとか、そんな訳ねーよな。
 まさかな。でも……そうだ、この間の腹いせ、とか。

 一度そう思っちまったらもうダメで、居ても立ってもいらんなくて、オレは急いで電話をかけた。
 短縮の1番。
 やっぱ、取るのをためらってんだろうか。じりじりしながら10コールを数えた頃、ようやく電話が繋がった。

 お前、オレ達のこと、ある事ない事言いふらしたりしてねーか?

 厳しく問い詰めようとしたオレは、電話の向こうの震える声に、はっと我に返った。
『阿、部君……? な、んの用?』
 ああ、この声は。
 泣くのを我慢してるか、もう泣いちゃってるか、そんな声だ。
 ――安心して。オレ、阿部君のこと、好きじゃない。
 そんな、嘘をついた時の声だ。

 こんな三橋が、バカげたこと言いふらす訳がねぇ。
 なのにオレは……。


 黙り込んだのを不審に思ったのか、三橋が言った。
『……用がない、なら、切るね』
「あ、待て!」
 素っ気ないフリで言われて、慌てて何か話題を探す。
「あ、合鍵! 返すの忘れてたと思って」
 すると、三橋がまた、素っ気なく言った。
『捨てていい、よ』

「な……」
 そんな訳にいかないだろう。だって、鍵は二つしかなくて……退去の時に、不動産屋に返さなきゃならねーじゃねーか。
 そう言うと、三橋は『大丈夫、だよ』と応えた。
『鍵、新しいのに替えた、から』

 返す言葉が見付からなかった。
 何でだろう、地味にショックだ。

『それにね、あ、新しい同居人、見付けた』
「嘘だろ?」
『つ、付き合ってるんだ、よ』
 はあ? それも嘘だろう?
『もう、オレ、阿部君のこと、好きじゃない、よ』
 それも。
『阿部君は、全、部、忘れて、いい、んだ』
 それも。全部。

『だから、もう、電話しな、いで』


「嘘だろうっ?」


 たまらず大声で尋ねたら、三橋はふひっと小さく笑って……。
『嘘じゃない、よ』
 と言った。

「じゃあ、何で泣いてんだ?」

 その問いに、答えはなかった。

(続く)

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あきゅろす。
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