小説 3
星の中で歌わせて・6
手を繋いだままレストランを出て、再びジャズフェス会場の方に向かう。
「もうちょっと聴いてく? それとも、ジュークボックスの喫茶店行くか?」
オレの問いに、RENが「う、と……」って小声で応じる。赤い顔して、もじもじうつむいてて、すげー可愛い。
いい気分でメインステージの方に近付くと、甲高いフルートが聞こえてきた。
「あ、か、『枯葉』、かな?」
「そーだな、4月なのにな」
くくっと笑い合いながら、ぐるっと回り込んでステージの見える位置に移動する。季節外れのの名曲を堂々と演奏してんのは、ビッグバンドらしい、大人数の編成だ。
フルートのソロに何本かのサクソフォンが絡み、トランペットと一緒になって、格好いいハーモニーを奏でてる。
ピアノは随分大人しいな。そう思って聴いてると、アルトサックスのソロが始まった。秋を感じさせねぇ、軽やかなアレンジ。成程これなら、春に演奏しても違和感がねぇ。
けど、大柄な演奏者の顔を見た途端、感心も感動も吹き飛んだ。
……先輩。
秀でた体格を存分に活かした、深く響く独特の音。センスのいいアレンジもリズム感も、何もかもが相変わらずで、けど知ってる音より格段に進歩してて、ゾッとした。
この人は、一体どこまでうまくなるんだろう?
一瞬の羨望はたちまち焦燥に変わったけど、でも悔しがる必要はねぇ。オレには最高の相棒・RENがいる。
「TAKA?」
無意識に、手をギュッと握っちまってたらしい。RENがこてんと首を傾げて、オレの顔を覗き込んだ。
「ど、どうか、した?」
不思議そうな問いに「何でもねぇ」と短く答え、メインステージに背を向ける。
「他行こうぜ」
強引に繋いだ手を引っ張ると、RENはオレとステージとにキョドキョド視線を移してたけど、何も訊かねーで従ってくれた。
足早にそこを立ち去っても、ずっと先輩のサックスに追いかけられてるような気がした。
耳に残る演奏だっての差し引いても、気にし過ぎだろうと思う。さっきの大人しいピアノを思い出し、あそこにいなくてよかったとも思う。
優れてるとか劣ってるとかじゃねぇ、大事なのは、自分に合うか合わねーかだ。RENが仲間と揉めたのと同じで――オレと先輩とは、合わなかった。いや、合わなくなってった、って言った方が正しいのかも知んねぇ。
『タカヤ、ピアノ主張し過ぎんな』
『オレの音、もっとちゃんと聴け』
過去に言われた言葉が、ふいによみがえって胸を刺す。
『オレは、あんたの為の伴奏マシンじゃねぇ!』
我慢に我慢の末、オレから投げつけた言葉に、先輩は心底訳が分かんねぇって顔して『はあ?』と目を見開いた。
『何言ってんだ、当たり前だろ』
それ聞いた瞬間、ダメだと思った。この人とは一生分かり合えねぇ。
先輩にとって、ピアノは自分のアレンジを引き立てるための、賑やかしくらいの意味しかなくて。オレのアレンジもオレの個性も、自分の邪魔をしねぇ程度にしか、はなから求めていなかった。
「TAKA……」
RENに繋いだ手をくいっと引かれ、ハッと我に返る。
いつの間にか、ジャズストリートの範囲から抜けちまってたらしい。繁華街の雑踏の中にいて、我ながら驚いた。
「ああ、ワリー。考えごとしてた」
正直に謝ると、ぶんぶん首を振られる。
怒ってはねぇけど、戸惑ってはいるみてーだ。
「音、聞こえなくなっちゃった、ね」
こそりと呟いて、デカい目でオレを見上げる。その無邪気な様子が愛おしい。
「ごめんな」
もっかい謝って、ビル越しの空を見上げる。
青空の向こう、大気圏の外には、今も星空が広がってて、それはどこまでも続いてる。
自由だ。
今のオレは、自由だ。もう横暴な支配者に何の制限も受けてねぇ。RENとなら、どこにでも行ける。オレの音を存分に響かせながら、RENの魅力も引き出せる。
「お前の歌が聴きてぇな」
ぽつりと告げると、RENも「う、ん」とうなずいた。
「オレ、も、TAKAのピアノ、聴き、たい」
見つめると、照れ臭そうに微笑まれた。
『TAKAのピアノには星が見える』
さっき貰った言葉を、大事に胸に刻み込む。
「……戻るか」
突然の予定変更に、RENは素直に「んっ」と笑った。
知らない誰かの音楽より、今は互いの歌で、音で、心の中を満たしてぇ。最高の相棒と星空に舞い上がり、この幸せを噛み締めてぇ。
You are all I long for
All I worship and adore
求めてたのはお前だけ
女神のように愛してる
1回目のライブ開始は午後8時。薄暗いホールの中、スポットライトを浴びて立つピアノに、いつものように歩いて向かう。
土曜だから平日よりも客の入りは多いけど、なんとなく店内がざわめいてる気がして、妙だな、と思う。初回の客が多いんかな? ジャズフェスの影響?
カウンターから寄って来たRENも、不思議そうに視線を巡らせた。
けど、まあ、やることは1つだ。
ざわめいた店内だって、どこだって、この空気の中にオレの音を溶け込ませて揺らして見せる。
最初の曲は、定番の「Fly Me To The Moon」。
RENと視線を交わし合い、いつもより少しキレよく鍵盤を叩く。
パンパンパンパン。いつもは聞こえねぇ拍手が来て、愛想笑いをしつつ演奏を続ける。
どんな一見さんだ? 薄暗い客席の中、手を振ってるヤツが1人。その顔にちらりと目を向けて――ドキッとした。
……先輩。
一瞬頭ん中が真っ白になって、楽譜も何もかもが吹き飛んだ。
(続く)
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