小説 3 ノーサイン・6 榛名と秋丸は、小学校からの付き合いらしい。マンションも同じで、いつも一緒で。 中学で榛名が故障した時も、治療の間も。シニアでオレと揉めてる間も。その後も。ずっと一緒にいたらしい。 喜びも、苛立ちも、きっと全部受け止めてきたんだ。 受け止めるだけに、きっと集中してたんだ。榛名に。 フィールディングも、スローイングも、何もなくて。ただ榛名の正面に座って、榛名だけを見て、榛名の球を受けるだけに集中した。 だから、「特別」なんだ。 三橋も、「特別」が欲しいんだ、きっと。 そして、それはオレがいいんだ。オレに、そうなって欲しいんだ。多分。 何でかな。「好きだ」って言われてる気がする。 相変わらず、感情を全部消した、冷たい顔で投げてんのに。 オレの方、睨むように見据えてくんのに。 パシィン。 ミットが鳴るたびに、聞こえる気がする。 「好きだ」って。 一度気付けば、スゲー不思議だ。今まで、何で気付かなかったんだろう。こんな露骨なのに。こんな、ひた向きなのに。 集中してなかったんかな。 練習には集中してたけど、「三橋」には集中してなかった。だからかな。 50球投げたところで、三橋がうつむいた。 肩を震わせる。泣いてる? けど、練習着の右袖で、ぐいっと涙をぬぐった後、もっかいオレを見た三橋の目は……やっぱ相変わらず、感情を殺したままだった。 胸が詰まった。 「三橋………」 オレが近寄ろうとすると、三橋はそれを待たず、ふいっと目を逸らした。そしてそのまま、すたすたと歩き去る。 ベンチにグローブを置いて、すぐ横の水道の蛇口をひねる。 水道の位置はチョイ低くて、何をするにも屈まなきゃいけねー。三橋は屈んで顔を洗い、そのままそこに、しゃがみ込んだ。 ――出しっぱなしの水。 ――しゃがみ込んだ三橋。 ――細い背中。 キュッ。 水を止める音で、はっと我に返る。 三橋は立ち上がって、練習着のすそで顔を拭こうとしてた。 持ってたタオルを差し出すけど、素直に受けとらねーから、無理矢理顔に押し付けてやった。 タオルで顔を隠したまま、三橋が言った。 「集中してくれて、ありが、とう」 ぐうっと、三橋の喉が鳴る。 オレは何も言えねーで。「ああ」も「うん」も言えねーで。ただ三橋の顔を見た。 三橋はタオルをゆっくりと離し、ゆっくりと顔をオレに向けた。 真っ赤な目で。でも、やっぱり感情を殺した顔。 ああ、もうこいつは。 全部殺しちまうつもりなんだ………。 オレに向けてたもの。 思い。感情。全部。 もう、殺しちまうつもりなんだな。 それでいいのか? いいのか、オレ? 「好きだって、聞こえた」 オレがポツリと言うと、三橋はビクンと肩を揺らして、でも、表情の無い顔で、首を振った。 「何も、言って、ない」 声が濡れてる。泣いてた。でも、もう泣くのをやめようとしてる。そんな声。 「好きだって」 「言って、ない」 オレの言葉に重なるように、三橋が言った。 「言ってただろっ?」 思わず大声を出すと、三橋がまたビクン、とした。 ぐうっ、とまた喉を鳴らして。三橋が視線を下に向ける。 「我がまま、で、ごめん」 三橋が震える声で言った。 「あと、一万球、阿部君に、投げる。マウンドも、エースも、試合も譲らない。阿部君も、譲らない。けど、阿部君はオレだけの、ものじゃ、ない」 三橋の頬に、つうっと涙が落ちる。 「オレは、阿部君、が好きなんだ。ずっと、そうなんだ。男なのに、おかしいだろ? でも、そうなんだ。分かってる、阿部君の心、貰えない。阿部君、オレの事、好きじゃない。でも、せめて、投球練習だけは! バッターも、ランナーも、いない、投球練習だけ、は! オレだけを、見て、欲しかった、んだ!」 ひうっと、三橋が息を吸った。 涙がぽたぽたと、地面に落ちた。 「よそ見しないで! オレだけ見て! 練習の時っ、だけでいい、からっ。オレの事だけ、考え、てっ……!」 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |