小説 3
ノーサイン・5
午後練の前に、部室でこっそり田島に呼ばれた。
三橋はオレの顔を見もしないで、着替えた後、泉と一緒に出て行った。
あんな三橋を見てらんねーから、教えてやる、と田島が言った。
「試合中はさ、捕手は全体を見てんじゃん。バッターやランナーの事も考えてさ。配球も守備もさ。だから投手の事だけ考えてる訳に、いかねーじゃん」
「ああ」
そりゃそうだ。
捕手は、扇の要。試合の司令塔だ。だから投手だけじゃなく、他の8人全員と向かい合った位置に座る。全部の動きを見通せる位置に。
「でも、投球練習は、違うじゃん。お前いつも、何考えてブルペンに座ってんの?」
「はあ? 何考えて……って……そりゃ、色々だろ」
ただ、漠然とボールを受けてる訳じゃないのは、確かだ。的当てしてる訳じゃねーんだし。
考えてるのは、……フォームにおかしいとこないか、とか。調子いいなとか。配球の事とか。
……復帰戦の事、とか。
「投球練習ん時だけでいーんだ。三橋に集中してやってくんねーか。他になーんも考えずにさ。そしたら、分かると思う。あいつが言ってるイミ」
三橋が言ってる意味?
……集中、の、ホントの意味?
アップの後の、投球練習。田島に促される感じで、三橋がオレの前に立った。
昨日の朝以来なだけなのに、いや、今朝だってちょっと受けたのに。随分久し振りのように、錯覚する。
「一球!」
ブルペンで。三橋にミットを向け、叫んだ。
一万球。カウントダウン。
……集中。
オレは三橋をじっと見た。
三橋は、あの冷たい顔のまま、オレを真っ直ぐに見た。見据えたまま、振りかぶる。
左足を高く上げ、体重移動、ヒップファースト、大きな幅で着地して、ぐんと振りぬかれる腕。
パシィン!
左手が痺れる。何だ、コレ?
胸が詰まる。
投げ終わって、右足を着いても、まだオレを見据えたままの三橋。
「二球!」
叫びながら、ボールを投げ返す。
三橋がグローブでそれを受け、またオレを、あの目で見据える。
見据えたまま、振りかぶる。左足を上げて、体をひねる。肩、ひじ、体重移動。着地して、腕がしなる。
パシィン! 構えたミットに、真っ直ぐに来る。
重く響く。何だ、コレ?
何で重い? いつもと同じなのに、何で重く感じる?
何で胸が詰まるんだ?
ボールがミットに届くまで、三橋がオレをじっと見てるのは……いつもの事なのに。いつもそうなのに、何でそれが、今日は重い?
「三球!」
ボールを投げ返す。三橋がまたオレを見る。目が合って、ドキンとする。
全部投げてる?
一瞬、そう思った。
大きく振りかぶって、三橋が投げた球は、またオレの構えたミットに、真っ直ぐに来た。
パシィン。
重い。響く。
全身で、三橋が何かを訴えてる。
オレに、何か訴えてる。
胸が詰まる。
「四球!」
三橋しか見なければ。
三橋しか感じなければ。
周りの音も、何も。
呼吸さえ忘れる。
分かる。
三橋がオレに、全部投げる。
全部投げる。
今までずっと……全部投げてたのか。
パシィン! ミットに届く。全部。
「五球!」
オレは今、多分初めて、三橋だけに集中した。
(続く)
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