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小説 3
ギャップV・5 (完結)
 インターホンから聞こえてきた声に、一瞬言葉が出なかった。
『あ、の、阿部君のお宅です、か?』
 少し高めの、ドモリがちな声。
 夢にまで見た声だ。え、夢じゃねーよな?
 「はい」とも「ああ」とも返事ができねーでいたら、その声はもう一度言った。
『三橋です、けど、あの、……阿部君……?』
 三橋――。三橋廉? レン、か?

 言葉も出ねーままに玄関を開けたら、そこに立ってたのはやっぱレンで、オレはますます絶句した。
 何て声掛けていいのかワカンネー。
 じわっと胸が熱くなる。
 なんでココに? どうやって? 住所を頼りにやって来たのか?
 つーか、今パリじゃなかったんか?

 パリだよ、なんてメール送って来たのはつい昨日だっつーのに。けどよく見ると、昨日のシャメと同じ格好だ。
 厚手の黒いコートにマフラー。巨大なキャリーケースを足元に置き、手には紙袋を持っている。
 ……空港から直接来たんだろうか?
 パリから?

 何も言えねーまま突っ立ってたら、レンが困ったように口を開いた。
「阿部、君?」
 眉が下がってる。
「あ、ああ。悪ぃ、その……」
 まさか感動してたとか言えねーし。しどろもどろに謝りながら、玄関の扉を大きく開く。

「時間あんなら、上がって行かねぇ?」
 言っちまってから、ハッとした。ヤベェ、部屋ん中にはコイツの出てる雑誌が、整理もしねーで積み上がってる。
 けど、目の前でふわっと頬を緩めて「いい、の?」とか訊かれたら、今更「やっぱナシ」とも言えねぇ。
 雑誌越しに見るキレイな笑顔より、こっちのふにゃっとした方が好きだ。っつーか、エロい。

 レンが屈んでブーツを脱いでる間に、オレは素早く部屋を動き回って、散らばってた物を片付けた。
 デカいキャリーケースは、オレんちの狭い玄関をすっかり占領してしまってる。こんなの収納するスペースもねぇ。
 安アパートのくすんだ照明の下で、フランス帰りのショーモデルがゆっくりとマフラーを外し、コートを脱いだ。
 その脱ぎ方もなんかエロい。もっとバサッと脱げっつの。
 誘ってんのか?
 動揺を誤魔化すように冷蔵庫を覗きながら「座れよ」と促すと、レンは遠慮がちに床の上に正座した。

「うち、よく分かったな?」
 冷蔵庫からインスタントコーヒーを出しながら訊くと、「住所貰った、から」とうなずいた。どうも空港からタクシーで来たらしい。
 つーか、空港からって……羽田から? まさか成田から?
 ちょっと怖くて聞きたくなくて、「砂糖とミルクは?」と話題を変える。
「あ、ミルクだけ、で。ありが、とう」
 いつもながらに律儀に礼を言われ、ちょっと照れて「おー」と言う。

 レンは遠慮がちにオレの部屋を見回して、ローテーブルの上の封筒を見た。
「あ、良かった、届いてた、ね」
 嬉しそうに笑うところを見ると、ホントに他意はなさそうだ。
「おー、つか、届いたの今日だぞ?」
 そう言いながら、レンの前にコトンとコーヒーを置いてやる。
 マグカップなんか1個しかねーから、オレの方は湯呑だ。片手で持つにはちょっと熱い。
 これからもこういう事があるんなら、コイツ用のカップを買っとくか。そう思うと、なんかじわっと笑みが浮かんだ。

 ふとレンを見ると、マグに口を付けながら、じっとテーブルの上を眺めてる。
 封筒? 中の記事か? ……いや、その横の紙袋、か。
 さっき押し付けられた紙袋、土産だっつってたけど、そういや中は何なんだ?
 手を伸ばすと意外に軽い。中を覗くと、箱の中にはカラフルなマカロンが10個以上入ってた。全部色が違う。
「あ、それね、雑誌の取材で行ったんだ、よー」
 レンが、ふひっと笑った。
 パリにはパリコレに出るためじゃなくて、雑誌の仕事で行ったらしい。女性誌の企画で、パリやミラノのスイーツや雑貨を色々紹介したんだそうだ。

 ああ、だからパリの滞在は短かったんかな?
「雑誌できたら、また届ける、ね」
 レンの言葉にに「おー」と答えながら、マカロンの箱を覗き込む。
 どれを食うか訊いたら、いつも通りぐるぐる迷って、ようやくピンクのを手に取った。黒い斑点がついてるヤツ。やっぱ1個だ。
「Chocolat Griotte」
 スゲーいい発音でレンが言った。
「これ、チョコレートとチェリーだ、よ」
 って、まさかスイーツ買う為に語学勉強してる訳じゃねーよなあ?
 残りも全部、1個1個見事な発音付きで解説してくれて、スゲーんだけどなんか笑えた。

 レモンだっつー黄色いのを1個掴み、食べながら、この間の客の話をする。
 マカロンは甘過ぎず酸っぱ過ぎねーで、旨かった。
「そいつなら、これ全部一気に食っちまうかもな」
 冗談っぽくそう言うと、レンはやっぱ思った通り、「うお、いいな」ってちょっと羨ましそうだった。
 笑ったら、なんか肩の力がスーッと抜けた気がする。
 やっぱ、久し振りだし突然だったんで、緊張してたんかな? レンが床の上で正座したままなのに、ようやく気付いた。

 つか、なんで正座? と、考えてハッとする。
 そういや、正座ってO脚になりやすいとか言わねーか? いや、あれはデマだったか?
 よくワカンネーけど気になった。でも、うちにはイスもソファもねぇ。
 代わりになるのは、と考えたら、今背もたれ代わりにしてるベッドになるか。

「正座で足、大丈夫なんか? こっち座れよ」
 オレはレンにそう言って、自分もちょっと腰を浮かし、ベッドの上に腰かけた。
 レンは幸せを噛み締めるように、ゆっくりマカロンを齧ってたけど、オレが隣のスペースをポンポンと叩いて誘ってやったら、ちょっとキョドった。
「お、オレ、大丈夫、だよ」
 遠慮しながらも腰を上げるレン。マカロンはしっかり握ってる。

 狭い部屋だから、数歩動くか動かねぇかのそんな距離。
「いいから座れよ」
 もっかい言うと、レンがおずおずと横に座った。ふわっと甘い匂いが香る。
 改めて見ると、やっぱ足が細長ぇ。
 高そうなスラックス。柔らかそうなセーター。着やせするタイプなんか、細身に見える。
 整った白い肌。頬がほんのり赤くて、横顔がキレイだ。まつ毛長ぇ。
 オレの視線を気にもしねーで、レンは無心にマカロンをゆっくり味わった。

 と、食い終わったレンが――ぺろり。突然指を舐めた。
 ドキッとして、目を奪われる。
 薄い唇。赤い舌。
 なあ、その指、甘ぇの?

 そう思った瞬間、オレはたまらずその手をぐいっと掴んでいた。引き寄せて舐めると、細長い指先がほんのり甘い。
「ふぁ……っ」
 レンが上擦った声を上げた。
 ビクンと腕が逃げようとする。
 強張ってもレンの指はなめらかで、整ってて、甘くて――舐めながら見上げると、白かった顔がとんでもなく赤く染まってた。

「あ、べくん」
 レンが小声でオレを呼んだ。
 指から口を離して、肩に手を伸ばす。またビクッと跳ねる肩。構わず引き寄せると、唇が触れた。
 3回目のキス。
 薄く開いた唇の隙間に舌を滑り込ませると、チェリーとチョコの混じった甘酸っぱい味がする。食ったばっかのマカロンの味。吐息も甘い。
 レンの舌は奥に縮こまってるけど、構わず舌を巡らせて、歯茎も上あごも頬の内側も、存分に舐めつくした。勿論、甘い舌の上も。
 夢中になって味わってると、その内レンが「んんっ」と喘いだ。

 ハッと唇を離して目を開けると、目の前には赤い顔。
 デカい目がうるうると光って、目元がちょっと赤いのがエロい。つーか、目つきが殺人的にエロい。
 よく考えたら、ベッドの上って色々意味深なんじゃねぇ?
 けど、もっかいキスしようと顔を寄せたら、スルッと逃げられた。パッとベッドから降りて、レンが床に立ち上がる。

「お、お、オレ、行かない、と。つ、次、にゅ、ニューヨーク……」
 いつもより激しくドモリながら、レンは真っ赤な顔のままで、わたわたと床のコートを拾った。
 そして、わたわたと袖を通してわたわたと玄関に向かい、わたわたとキャリーケースのハンドルを握って――オレの方を振り向いた。
「おみ、やげ、買ってくる、からっ」

 って。土産は嬉しーけど、マフラー忘れてる。
「あ、おい」
 慌てて拾い上げて玄関に向かい、呼び止めたレンの首にマフラーを巻いてやった。
「忘れてんぞ」
 囁きながら、どさくさに紛れて唇を合わせる。
 4回目は、ちゅっと重ねるだけのライトキス。でもキスはキスで。
 レンは真っ赤な顔で口元を押さえ、ガンッと音を立てて扉にもたれた。

 次、ニューヨークって、まさか今日これからじゃねーだろ、とか。パリからだったら、直接あっち行った方が近いだろ、とか。
 とんでもねぇ寄り道だな、とか。
 まさかオレに会いに来たのか、とか。
 次の土産も、またここに持って来てくれんだろ、とか……。色々問い詰めてぇコトはあったけど。
 でも2回もキスできたし、何か一気に気分が軽くなったし。今日はこれで勘弁してやろうかな、と、優位な気持ちで、オレはレンを見送った。

 次に会えんのは何日後なのかも分かんねぇ。
 けど今度は、そう不安に駆られずに待てそうな気がした。

  (完)

※2014VD記念ギャップWに続きます。

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あきゅろす。
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