小説 3
ガーディアン・11
三橋の通う塾は、駅前の雑居ビルの中にある。
といっても、塾の始まる時間には、他のオフィスは当然いつも閉まっていた。
塾の入っている3、4階のフロアは明るくて賑やかでも、階下は薄暗くてしんと静まっている。帰りの生徒たちが、パラパラと降りて行く階段だけが、ほんのりと明るい。
その階段を、2人並んでゆっくりと降りながら、阿部が言った。
「帰りにもいるかな、あいつ」
あいつ、とは……あの、元生徒会長のことだと、すぐに分かった。
「まさ、か」
だって塾の授業は、学校と同じ50分、50分。あれから2時間ほど経つのに……同じ場所にいる訳がない。
「お前さ、この前の塾の日の帰り、コンビニの前でちょっと様子おかしかったよな。何でだ?」
途中の踊り場で、阿部が訊いた。
三橋が応えないでいたら、ぐいっと肩を抱かれ、顔を覗き込まれる。
「なあ、コンビニにあいつがいたんじゃねーのか?」
「違っ……」
コンビニに、誰が?
「塾帰りに毎晩、あそこで会ってたんだろう?」
耳元で詰問される。端正な顔が間近にあって、抱かれた肩が熱い。
「違う、よっ。ホントに……」
「じゃあ、あん時、誰を探してた?」
誰を、探してた?
三橋は、大きなつり目を見開いた。ぽかんと口がひし形に開く。
あの時探してたのは……いないことを確認して、安心したのは。
あの、見覚えのある顔は。
「う、お、思い出した」
万引き犯――。
三橋は勢い込んで、時々ひどくどもりながら、阿部にコンビニでの話を聞かせた。
阿部は黙って聞いていたが、階段を降り切って、足場の広い1階フロアに着くや否や、鬼のような形相になった。
「てんめぇー……」
さっきまでの甘さなんてどこにもない、それはそれは低い声。
「ひぃぃ」
おびえる三橋のこめかみに、ゲンコツを当てて、阿部は容赦なくウメボシを捩じり込んだ。
「全部話せって言ったよなー!」
そんなこと言われたかな、とちらっと思ったけど、とても反論できなかった。こめかみがギリギリ痛かったし、阿部の形相も怖かった。
「ご、ご、ごめ……」
半泣きで謝ると、阿部はウメボシをやめ、小さくため息をついて言った。
「別に怒ってねーけど」
怒ってないのに、あの怖さは普通じゃない、と思ったけれど……やっぱり口にはできなかった。
「帰り、コンビニ寄ってみんぞ」
阿部の提案に、勿論首なんて振れるハズがない。
三橋は阿部に言われるまま、コンビニのいつもの場所に自転車を停めた。雑誌コーナーの外側の軒下、ゴミ箱の少し横。
今日も、あの先輩はいなかった。
キョロキョロ見回して、ほっとする。
阿部に付き添われて、店内に入る。向うのはあの雑誌コーナー。今日は、あの日のように、三橋達以外誰もいない。
「ここで、あいつの真似してしゃがんでくれ。そんで、外からオレの顔が判別できっかどうか、確かめてぇ」
「あ、う、だったらオレが、外、に」
三橋はそう提案したが、「バカか!」とゲンコツ付きで却下された。
「んな危ねーこと、お前にさせれる訳ねーだろ! 店内は安全そうだから、大人しくここにいろ」
阿部は店内を素早くざっと、トイレの中まで点検して、それから一人で外に出た。
三橋は阿部に言われた通り、万引き犯の真似をして少し屈む。
思い出すのも嫌だった、不愉快な記憶。それを勇気を出して思い出し、頑張って目を開ける。
書架の向こう側は、ガラス窓。こうして見ると、意外に狭い。
外は真っ暗に見えるけれど、自転車はちゃんと区別がつく。店内からの明かりで照らされて、軒下くらいまでは明るいようだ。
間もなく、阿部が歩いて来た。
長い脚がくっと屈んで、端正な顔が覗き込む。
阿部が目を細めて笑った。軽く手を挙げた彼に、ためらいながら手を挙げ返す。
ふひっと笑ったその時……阿部に近づく影を認めて、三橋は「あっ」と声を上げた。
阿部も気付いていたようだ。顔が瞬時に、プロのそれになる。
けれど振り向かない。ギリギリまで相手を引き付けるつもりなのか。
三橋の覗く位置からは、誰が近付いて来たのか、顔は見えない。見えるのはただ、手に持つ金属バットだけ。
また見えたとしても、すぐには誰か分からなかっただろう。襲撃者は大きなマスクと、季節外れの帽子で顔を隠していた。
「あ、あ、危な……」
三橋は、ぺたんと尻餅をついた。
すっと立ち上がった阿部の後ろで、金属バットが振り上げられる。
ふと、阿部が笑った。
「あああああーっ!」
ガラス越しにも聞こえる、襲撃者の声。
思い切り振り降ろされただろう金属バットを、首を傾げながら軽くかわし、体半分振り返る。
バットを空振って前のめりになった相手を、阿部は軽く蹴り、軽く小突いた……ように見えた。そして、それだけで襲撃者は地に伏した。
一瞬で終わった。
焦らず、慌てず。笑みさえ浮かべて。
何だ、と思って、三橋は涙目で阿部を見た。
プロだ。
ガラスの向こうで阿部は、三橋に指を突き付け、その指で三橋の足元を指した。
お前はそこにいろ。声もなく三橋にそう命じ、阿部はと言うと、ケータイで誰かと話してる。
その誰かが分かったのは、祖父の家のベンツが、間もなくやって来てからだ。
祖父と伯父と阿部が力を合わせ、倒れた襲撃者をベンツに運び込んだ。
え、ケーサツとか呼ばないの?
呆然と見守っている内に、祖父のベンツは家の方向に走り去った。いつの間にか店内に戻っていた阿部が、三橋に手を貸して、無理矢理立たせる。
「さあ、帰ろうぜ」
阿部に言われて……三橋は小さく首を振った。
(続く)
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