Season企画小説
思い出して欲しいこと・3
阿部君の怒鳴り声を聞くことのないまま、県大会が始まった。
違和感はなくならないままだったけど、抽選会を経て、対戦校が決まり、対策を考え始める内に、そればっか考えてる訳にもいかなくなった。
初戦の相手は、1回戦負けの常連のとこで、対戦データもあまりない。
「格下だからって、気ィ抜くなよ?」
試合前の投球練習、阿部君に冷静にそう言われ、オレは勿論うなずいた。試合前の球場は少しずつざわつき始めてて、ドキドキとワクワクが強くなる。
阿部君はいつも通り冷静だ。
プレイボール直前、マウンドでいつも通り触れ合わせた手のひらも、いつも通り温かかった。
「しまって行こう!」
張りのある声を聞くと、ビリッと胸が震える。テンションがどんどん上がって、冷静なリードに笑みがこぼれる。
「ナイピッチ!」
時々掛けて貰える言葉もいつも通りで、昨日までの不安も忘れ去った。
1回は0−0、2回は花井君の活躍で0−3、阿部君もヒットを打って、ランナーを帰して貢献した。
ベンチに戻った後「お疲れ」ってねぎらわれ、「ああ」って冷静に返す阿部君。
「コールド行けそうだな」
ニヤッといつもの笑みを浮かべながら言ってて、みんなが「強気〜」って笑う。
公式戦、いつもの試合の、いつものベンチ。
「そんなこと言って、油断大敵だぞ」
「分かってるって」
花井君のたしなめに軽くうなずき、阿部君が手早く防具を着けていく。
後輩に防具を手伝って貰いつつ、水分補給する姿にドキドキした。彼に背を向け、マウンドに先に向かい、みんなと軽くボール回しを始める。
野球楽しい。投げるのも楽しい。阿部君の力強いリードは相変わらずだけど、自分も一緒に考えられるようになったのも嬉しい。
にへっと笑いながら、阿部君のサインにうなずき、振りかぶる。
阿部君だってこの試合、真剣に取り組みつつも楽しんでるって思ってた。
けど――。
田島君のツーベースヒットで決勝点を入れ、7回コールドが決まった時も、阿部君は冷静な顔のままだった。
「よっしゃー」と湧くベンチ、みんなが田島君を迎え、肩や背中を叩いてそのヒットを讃え合う。
集合して礼をしてベンチに戻った後も、田島君も花井君も他のみんなも、満足したように笑ってた。グラウンド整備に行く足取りだって、みんな軽い。監督も、穏やかな顔で笑ってる。
そんな中、阿部君ひとりが無表情だと気付いたのは、ストレッチしようとした時だ。
むすっとしてるって訳じゃないけど、機嫌よさそうには見えなくて、浮かれてた気分がしゅうっと沈む。
オレ、なんか悪かったとこ、あった、かな?
途端に不安になったけど、「始めるぞ」ってストレッチを促す口調は、いつも通り冷静だ。
ドカーンと怒られるより、こんな風に黙られる方が怖い。すごく怖い。
「あの……何か、あった?」
震え声で訊いてみたけど、「何が?」って普通の口調で訊き返され、ますます訳が分からない。
イヤな感じのドキドキがよみがえる。試合に勝ったのに、なんでこんな、背中がヒヤッとするんだろう?
「さ、さっきの試合、何か、悪かっ、た?」
「別に?」
オレの背中を押しながら、淡々と返事する阿部君。
「こ、コールド、できた、ね」
体を前に、斜めに倒してストレッチを続けつつ、彼の反応をそっとうかがう。
「別に、あのくらいの相手なら普通だろ」
そう答える口調はあくまで冷静で、いつも通りだけど何かおかしい。
「それより、次が問題だぞ」
って、分析するのも変わらないのに、どんどん不安になってくる。
別に、誉めて欲しい訳じゃないけど、コールドゲームの後に淡々とされると、寂しいって言うか、モヤッとする。
それ以前に、おかしい。おかしい。
「勝ったの、嬉しくない、の?」
恐々訊くと、阿部君はしばらく沈黙して――。
「まあ、当然だしな」
形のいい唇を歪めて、不敵な感じでニヤッと笑った。
その笑みは、間もなくゆっくり消えて行き、後には冷静な阿部君が残る。
怒鳴らなくなった阿部君、勝利に浮かれずに前を向く阿部君。冷静で沈着で、どっしりとホームに座り、みんなに的確な指示を与える司令塔。自信家で、だけど油断も慢心もなくて、いつも人の2歩3歩先のことを眺めてる。
どこにも問題なさそうなのに、どうしよう、イヤなドキドキが止まらない。
おかしくない? おかしいよね?
そう考えてるのは、オレだけ?
阿部君とチームのみんなとの顔をキョロキョロ見比べながら、帰り支度を整える。
「よお、勝ったか?」
と、後ろから声を掛けられたのは、その時だった。
振り向くと、榛名さんがいてドキッとした。
榛名さんのチームとは、順当に行くと次の次に当たるハズ。
「今度は負けねーぞ」
ニヤッと笑う榛名さんに、ギクッと震える。秋大のときみたいに、「オレだって」って闘志が湧かない。阿部君と一緒にまた勝ちたいのに、勝てるって未来が描けない。
けど、そんな弱音は見せたくなくて、シャツの胸元を握り締める。
「は、いっ」
勇気を振り絞って返事をすると、榛名さんは「おー」って機嫌よさそうに笑って――それから阿部君の顔を見て、不思議そうに眉をしかめた。
「タカヤ、何お前、何か言うことねーの?」
機嫌を損ねたように文句を言い出した榛名さんに、阿部君が向ける目は冷たい。冷たいっていうか……冷、静?
「うちと当たる前に、負けねーでくださいよ」
淡々と告げられる言葉は、とても激励には聞こえなくて、そんな彼の態度にビックリした。
ニヤッと笑いながらの軽口なら分かる。
一時は不仲だったかもだけど、2人の間にはそれを乗り越えた気安さがあって、いいなぁって憧れた。
けど、今のそれは何か違う。
軽口じゃない、激励でもない、かといって嫌味でも挑発でもない、無感情な言葉に冷や汗が出た。
「行くぞ」
オレにそう言って、さくっと背を向ける阿部君を、榛名さんと並んで呆然と見送る。
「アイツ……どうしたん?」
こそりと訊かれたけど、どう説明していいか分かんなくて、言葉に詰まった。
おかしいって思うの、オレだけじゃないんだって、ホッとしたけどホッとできない。
阿部君、怒鳴らなくなったんだって、榛名さんに話したい。
けど、試合を控えた他校の先輩に、そこまで甘える訳にはいかなかった。
「榛名、怒られるぞ」
秋丸さんが迎えに来たのを見て、「失礼しま、す」と頭を下げる。
阿部君が、ニヤッとも笑わなくなったのは、それから間もなくのことだった。
(続く)
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