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Season企画小説
ジンジャーコーヒー (2014立冬・喫茶店店員×プロ三橋)
※この話はリラックスコーヒーの続編になります。





 どこのチームでも一緒だと思うけど、プロ野球の秋キャンプは基礎練習がメインだ。
 体力作りがメインの春期キャンプと違って、磨くのは主に技術面。
 だから、もう十分に技術があるって思われる、ベテラン選手や一流選手は参加しないことも許される。
 っていうか、逆にベテランが参加しちゃうと、若手がのびのびできなかったりするし。煙たがられることもあるんだって。
 でも、オレはまだまだベテランじゃない、し。
 一軍の先発ローテに入れて貰ってはいたけど、思うように投げられなかった時期もあるし。
 コーチや監督や先輩からも、「三橋は行かなくていいんじゃないか?」なんて言われてないから、当然のように今年もキャンプに参加した。

 7時に起床、7時半からビュッフェスタイルの朝食を取って、9時にバスで球場へ移動。
 その前に、ゆっくりとコーヒーを1杯飲めば、リラックスしてやる気が湧いて来る。
 11月の連休明けから始まったこのキャンプで、1つだけ心残りがあるとすれば、行きつけの喫茶店に行けなくなることだろう。
 寮のある町の片隅、ランニングコースから少し脇道に逸れた路地にある、小さくて静かな喫茶店。珈琲って漢字で書かれた看板の通り、すっごく美味しいコーヒーが味わえる。
 店内に立ちこめるコーヒーの香り、静かなジャズ、柔らかなソファ、控えめの照明。そして、カウンターの中に立つ店員さんの穏やかな気配……。
 試合前後のとがった気持ちも、そこに行くだけで癒されて、深く息を吸えるようになってくる。
 オレにとって、大事なリラックスポイントだった。

 その喫茶店に、冬限定で新しくメニューに加わったのが、ジンジャーコーヒーだ。
「三橋さん、明日から宮崎でしょ?」
 ファンを公言する店員の阿部君に、あの深みのある声で訊かれたのは、まさに出発の前日、11月3日のことだった。
「うお、よく知ってます、ね」
 驚いたオレに、「ファンですから」って、阿部君は格好いい顔で笑ってた。
 オレのファンだって言ってくれるけど、実際にはうちの球団、あるいは野球そのもののファンなんじゃないの、かな? 野球についての色んな事、阿部君はよく知ってる。
 でも、やっぱり気を遣って貰えると嬉しい。
「宮崎は暖かいでしょうけど、もうすぐ立冬ですからね。風邪とか、気を付けてくださいね」
 阿部君はそう言って、オレにジンジャーコーヒーを淹れてくれた。

 黒ベストに黒い蝶ネクタイ、黒いスラックスに黒のエプロン、っていう服装をした阿部君が、カウンターの中で手早くショウガをすりおろす。
 そのおろし汁を使って淹れてくれたのが、特製ジンジャーコーヒーだ。
「ごゆっくりどうぞ」
 いつもの穏やかなセリフと共に、テーブルにカップがことんと置かれる。
 コーヒーに角砂糖を落として、添えられたシナモンスティックでゆっくりかき混ぜると、ふわっと香るショウガとシナモンのいい匂い。
 初めて飲んだジンジャーコーヒーは、いつもとちょっと違う味わいで。でも、文句なく美味しくて、体をぽかぽかに温めてくれた。

 立冬から立春の前日までを、暦の上では「冬」って言うんだって。
 実際にはまだ秋の気配が濃くて、寒くなるのはこれからだなって感じだけど。でも確かに「冬」だって言われると、シャツだけで過ごすにはもう寒い。
「練習の後は、汗もよく拭いてくださいね」
 って。
 分かってるけど、改めてそう言われると、きちんとしなきゃなって気持ちになるから不思議だ。
 素直に「はい」ってうなずいて、嬉しくてふひっと笑う。
 癒されるなぁって感じるのはこんな時だ。
 コーヒーだけじゃなくて阿部君も、オレをリラックスさせてくれる。

「うちでは国産のショウガをすりおろして使ってますけど、普通にチューブの練りショウガでも作れますから」
 そう話してた阿部君に、帰り際、「レシピ、教えてくだ、さい」って紙ナプキンに書いたメールアドレスを渡した。
 困ります、とか、受け取れません、って言われるかと思ったけど、意外にも阿部君は「ははっ」って笑って、あっさりうなずいてくれたんだ。
「じゃあ、後で」
 その言葉通り、夜の9時を過ぎた頃にレシピを書いたメールをくれた。阿部君、いい人、だ。
 牛乳を使うもの、ハチミツを使うもの……と、阿部君の送ってくれたレシピは幾つかあったけど、結局よく作るのは、単純にショウガと砂糖を入れただけの簡単レシピだった。
 合宿所のコーヒーは、独身寮のコーヒーより格段に美味い。
 それでも阿部君の店にはやっぱり劣るけど――教わった通りにチューブのショウガを入れて、砂糖たっぷりで熱々で飲めば、朝から体も温まる。

 9時にバスに乗って球場に着くと、着替えて10時に練習開始。
 それから念入りにウォーミングアップして、キャッチボールから始めていく。
 シーズン中の疲れもあるし、気温も低いし、ムリすると体を痛めることもあるから、真面目にはやるけど、頑張り過ぎない。
 守備練習、簡単な昼食をはさんで打撃練習。肩の力は抜いて、気合は入れて、スケジュールに沿って行動する。
 ノックでゲキを飛ばす場合もあるけど、プロは「どうしてあれが取れなかったか」を考える方が大事だから、大体静かな練習になる。
 静かだって言っても活気がない訳じゃなくて、みんな真剣に集中してた。

 一通りの練習が終われば、1時間の自主練習。それからクールダウンを兼ねて合宿所までランニングした後、夕食まで一休み、だ。
 部屋でシャワーを浴びてからケータイを見ると、メールが1通届いてた。
――今日は立冬。調子はどうだ?――
 たったそれだけの、短いメール。送り主は阿部君だ。
 きっと仕事の合間の短い休憩時間に、さっと送ってくれたんだろうな。
 オレが目の前にいなくても、オレのコト思い出してくれてる。そう思うと嬉しい。砕けた口調でのメールも嬉しい。
 じわっと力が湧いて来る。

 キャンプ終了まで、あと2週間。
 寮に戻ったら、真っ先にあの喫茶店に向かおう。阿部君のコーヒーを飲みに行こう。
 その時、「お疲れ様」ってねぎらって貰えるように、この後の自主練習も頑張ろう。

――ジンジャーコーヒーのお陰で、元気だよ――
 短いメールを阿部君に返して、オレはケータイをポケットに入れた。
 夕食の開始まで少し時間はあったけど、体も心もぽかぽかで、じっと座ってられなかった。

  (終)
※2016阿部誕・モーニングコーヒー に続きます。

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