Season企画小説
そう禁断でもない関係・8 (にょた・完結)
廉は両手でぐしぐしと涙をぬぐい、くるっとオレに背を向けた。
「もう、やっ!」
癇癪を起こしたような、涙声。
手を伸ばす間もなく、廉はオレがさっき来た廊下を小走りに去っていく。
走りにくそうにしてんのは、つっかけ下駄のせいだろうか。
「あ、おい」
声をかけたけど、廉は振り向かねぇ。
ちっ、と舌打ちをして追いかけようとした時、「阿部ぇ」と声をかけられた。水谷だ。
「あのさ〜、あの子、お前のこと本気だぞ」
ドキッとした。
本気? 本気ってなんだ?
「12も違う子、あんま泣かすなよ〜?」
水谷はへらっと笑って、手を振った。
なんて返事すりゃいーか分かんなくて、ふんと鼻で笑う。
うまくポーカーフェイスができた気がしねーのは、きっと酔ってるせいだろう。
こんなつっかけで、大の男がみっともなく走り出そうとしてんのも。
カーペットを敷き詰めた廊下を、どたどたと走る。
宿泊客の脇をすり抜け、廊下の突き当たり、階段を降りると、小走りする廉の後ろ姿がちらっと見えた。
「廉!」
大声で名前を呼ぶと、廉がくるりと振り向いた。
廉だけじゃなくて、周りの客もこっちを見てる。けどそれも目に入らねぇのは……やっぱ、酔ってるからだろう。
視界に入るのは、ひたすらオレから逃げてく少女。
いつ手放してもいいんだと、そう思って突き放し気味に付き合ってた義理の姪。
彼女から切り捨てられる日を、オレはずっと待ってたハズで――だから、逃げてく背中を追いかける理由も、オレには無かったハズだった。
オレの手から離れていくなら、それでいいと思ってた。
捨てられるのを待っていた。
なのになんで、今、こんなに走って追いかけてんだろう?
――と、いきなり廉が「きゃあ」と叫んだ。
つっかけで走ってたせいで、つまずいたらしい。
さすがにガキみてーにベシャッと転んだりはしなかったが、ヒザと両手を床につけるようにうずくまった。
「そんなつっかけで走るからだ」
つっかけを鳴らしながら大股で近付くと、廉が意地貼ったように顔を背けた。
「ほら」
目の前に手を差し出してやったが、それを掴もうともしねぇ。
ちっ、と舌打ちを一つすると、びくっと廉の肩が揺れた。
面倒臭ぇと、全く思わねぇっつったらウソになる。
やっぱ女心はワカンネーし、言いたいことはハッキリ言えよな、とも思う。
けど……。
「よっ」
オレは、うずくまったままの廉のひざ裏に腕を伸ばして、強引に横抱きに抱き上げた。
相変わらず軽い。
「やあっ」
廉は一瞬抵抗したが、「暴れると目立つぞ」って囁いてやったら大人しくなった。
顔が赤い。
恥ずかしいのか、泣いたからか、それとも照れてんのか、オレにはよく分からなかった。
部屋に戻ってから降ろしてやると、廉は床にへたり込んだ。
「う……」
小さくうめきながら、またぼろぼろと涙を流し出す。
「もう、やっ……」
廉がまた言った。
けどオレは、いつもみてーに「じゃあ、やめようか?」とは訊けなかった。
そう言ったら、望み通り、もう終わる気がした。
終わるのを望んでたハズなのに……待ってたハズなのに、それをためらってんだから、我ながら矛盾してる。
けど、今は突き放すより抱き締めたかった。
酔ってるせいだろう。
酒なんか飲むもんじゃねぇ。
けど、こんなことシラフじゃ言えねーし。
「遊びのつもりはねーよ」
とか。
「好きなんだぜ?」
とか。
「廉ちゃんから捨てられねー限り、オレから捨てることはねーよ」
とか……。
でも廉は顔を覆ってますます泣いちまって、どうしようもなくて途方に暮れた。
「喜ばせようと思ってやってんのに、なんでこうなんのかな……?」
去年のレストランの時も、今も。
「何が悪ぃんだ?」
目の前にしゃがみ込んで頭をぽんと撫でてやると、廉が顔を上げてオレを見た。
指先でぬぐってやっても、涙が止まんねー。
ひくっとしゃくりあげている。
「オレはさ、廉ちゃんに幸せになって欲しーんだ。けど、オレがしてやれんのか、他の誰かの方がいーのか、分かんねぇ。自信がねーんだよ」
だって……オレは悪い男だろ?
初対面の水谷だって、笑わせてやることができるのに。オレはそれすらできねーだろ?
どこに連れてってやりゃ喜ぶのかもワカンネーし、結局、いつもカラダに逃げてたな?
なあ、だから。
こんな男はやめとけよ。
けど廉は首を振って、オレに両手を伸ばしてきた。
応じるように抱き寄せると、ぎゅっと首元に抱き着かれる。
「お、兄ちゃん、が、いい」
涙声でぼつりと呟かれて、じわっと胸が熱くなった。
「一緒、ずっと、いたい」
ひくっとしゃくり上げるたび、腕に抱いた廉の体が小さく揺れる。
こんな時、なんて言ってやりゃいーのか分からなかった。今までは、いつもキスに逃げてきた。それか、カラダに。
けど、それじゃダメなんだろう。
言葉にしねーと、伝わらないモンもあるんだろう。
「……オレでいーのか?」
浴衣の背中を優しく撫でながらそう問うと、耳元で小さく「んっ」と聞こえた。
返事だったのか嗚咽だったのか、一瞬迷ったけど――返事だと思うことにした。
廉が泣き止むまでに、30分くらいかかっただろうか。
その間、オレはずっと彼女を向い合せに膝に抱き、頭や背中を撫で続けた。
手ぇ出さずに、こうやってちゃんと甘えさせてやんのも、もしかしたら初めてだったかも知れねぇ。
つくずく自分は、最低だなと思う。
この先、もう泣かせねーで大事にしてやれるのか、ホントのところ自信がねぇ。
けど……。
「お兄ちゃん、お酒くさい、な」
そう言って泣き腫らした顔でくすっと笑った廉を見て――ちょっとだけ安心した自分がいた。
それは、オレに向けられた2か月ぶりの笑顔だった。
最終日は、昼にチェックアウトして、それからあちこち寄り道しながらゆっくりと帰った。
ドライブ中も、廉は以前のようにたくさん話しかけてきた。
「運転中だから生返事しかしねーけど、ちゃんと聞いてっから」
そう言ってやったせいかも知れねーし、別の理由だったかも知れねぇ。
渋滞に捕まった時に、「じゃー、またパンツ脱ぐか?」って訊いたら、「脱ぎま、せん!」って赤い顔で言われた。
「そういや、あのオモチャどうした?」
ふと思い出して訊くと、「知らな、い!」とそっぽを向かれた。
従順より、今の方が可愛い。
「次、いつ会えるかワカンネーんだから、体が疼いたら使っとけよ」
冗談半分で言うと、廉がますます赤い顔で言った。
「バカ! キライ!」
キライとか言われんのは、これで2回目だ。
前を向いたままで「はははっ」と笑ったら、廉も一緒にくすくす笑った。
こんなドライブなら、悪くねぇと思う。
「お兄ちゃん、旅行ありが、とう」
別れ際に渡された包みには、チョコとネクタイが入ってた。
精一杯の背伸びなんだろう。
そんな急いで大人になる必要はねぇと思うけど、でも、オレの為かと思うと可愛い。
こんな風に感じたのも初めてな気がする。
じゃあ、お返しにはぬいぐるみじゃなくて――指輪でもやれば喜ぶだろうか?
「なんで?」とか訊かれず、素直に受け取ってくれることを願いながら、オレは1人群馬に戻った。
気分は妙に晴れやかだった。
(完)
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