旅人シリーズ
B
「うん。若くて綺麗ぇな女の人」
「いいえ?そんな人はいませんでしたよ?」
「あら、そうけ。でも一回くらいは見かけたろう?」
「いえ。僕はまだ一度もお目にかかっていませんね」
首を振りながら、僕はおかみさんに問うような視線を向けた。
おかみさんはびっくりしたように両手を口に当てると、
「あら、そうけ。あの人、よぉく山ん中さ歩いてっから、てっきりあんたも会ってると思ってたよ」
のらりくらりとそんなことを言う。
僕は辛抱強くおかみさんの話を聞いていた。
「その女の人というのは旅行者ですか?」
「違うよぉ。何年か前にふらーっとここへやって来て、村外れにある空き家を借りて住み着いたんだぁ。あんなに若くて綺麗ぇな人がいったい何だってこんな山奥に、ってみんなで噂してたんだわ」
「で、その人が何なんですか?」
「いやねぇ。よぉく一人で山さ入ってっから、何してんだかなぁーと思ってさ。あんた、山ん中で何か見なかったかね?」
「いえ、何も」
答えながら、ふと昨日のことを思い返す。
すると僕の思考はある箇所で止まった。
昨日、親父さんと山菜を採りに山の中へ行ったとき、途中で何か白いものを見たような気がした。けれどそれは一瞬のことで、振り返ったときはそこには何もなかった。
てっきり気のせいだろうと思っていたのだが、もしかしたらあれがそうだったのだろうか。
急に考え込み押し黙った僕に、おかみさんは興味が失せたのか、夕飯の時間を告げるとさっさとどこかへ立ち去ってしまった。
その天衣無縫さにしばし呆然としながら、しかし僕の気持ちはすっかり謎の女性へと向いていた。
「……」
僕は空を見上げ、そして宿の裏手にある山を見上げた。
日はまだ高い。今から山へ入っても、おかみさんの言っていた夕食の時間には十分間に合うだろう。
「行ってみるか」
僕はそう呟くと、タオルと上着を持って山へ向かった。
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