猫目堂 笑顔@ 3rd ―花束/bouquet― 扉の前で、彼は足を止めた。 思いがけない邂逅に背中を押されるようにしてここまで来たが、さていったいどんな顔をしてこの扉を開ければ良いのだろう。 『笑って。いつものように』 そんな言葉が思い出される。 いつものように普通に笑って――。 たしかにそれが一番いいとは思うのだが、だが果たして普段自分はどんな風に笑っていただろう。 改めて思い返してみると、笑っていたことなど殆どないことに気がつく。 いつもいつも自分が見せていたのは、眉間に深い皺の寄ったしかめ面ばかりだった。 「本当に駄目な父親だな、私は」 思わず深いため息がもれてしまう。 そう言えば、娘に夫となった青年のどこが良いのか尋ねたとき、 「彼はね、とても優しい人なの。いつも穏やかにほほ笑んでいてくれて、その笑顔を見るとなんだかとても安心するのよ」 あのときは馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ったが、なるほど、今なら娘の言った言葉の意味が理解できる。 彼自身、結婚当初の貧しくて苦しい生活の中、妻の明るい笑顔にどれだけ励まされたことか。 「……」 彼は手に持った白いライラックの花束をじっと見つめた。すると、彼の口元に自然に笑みがこぼれた。 「行くか」 彼はひとつ大きく深呼吸して、目の前の扉をノックした。 「はーい」 カチャリ。 澄んだ声とともにドアが開き、目の前に懐かしい――でも心なしか少しだけ大人びた娘の顔があった。 [前へ][次へ] [戻る] |