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化けの皮



真夜中の町は昼間とはうって変わり、深い深海のように静かで、暗かった。月明かりを頼りに道を歩き、病院の前へと辿り着く。こんな深夜でも明かりがついているのか、と、室内の光を受け、ぼんやりと光る白いカーテンを確認する。その光は、ローの血色が良いとは言えない横顔をほのかに浮かび上がらせた。こちらを確認するように視線を寄越す、それへ頷き返せば、静かに拡げられる円の中へおれとローの体と、病院が飲み込まれていき、次の瞬間には景色が変わっていた。本当に便利な能力である。

見慣れてしまった白い部屋。少し低く感じる室内の温度。消毒のにおい。人の少なさからか、いつもは気にならない自分の足音がやけに響いた。遠慮がちに耳に届く静かな寝息に、心が緩む。昨日まで、精神疾患扱いの男が寝ていた中央のベッドには、シーツが小さな山型に膨れていた。よかった、と胸を撫で下ろし、穏やかに上下する物体へ近付く。今にも溶け出しそうなほどシーツに埋もれ、心地良さげに口からヨダレを垂らすガキに、心が安心したせいか、笑いがこみ上げた。

部屋を歩き回っていたローが、緊張感なく、笑いを堪えるおれに怪訝な視線を寄越す。落ち着いた声が、油断するな、とおれを咎め、再び円を拡げた。


「地下がありそうだ、降りるぞ」

「地下?そんなはずは…」


この病院の地下に施設があるなんて聞いたことがない。そう思ったが、横でこちらを見下ろす真剣な瞳に緊張感が高まった。秘密の部屋でもあるというのだろうか。張り詰めたローの気配に皮膚がピリつき、思わず気を引き締める。行くぞ、とおれの腕をとった彼は、シャンブルズ、と静かに唱えた。

青白い光。冷凍庫の中かと思うほどに寒い室温。明らかに、病院としては異質な目の前の光景。良い趣味してやがる、と低く呟いたローの言う通り、そこには異常としか言いようがない景色が広がっていた。いくつも並ぶシンクや手術台の上には、金属製のトレイや手術用の器具が無造作に放られている。酷い刺激臭に胃液が込み上げそうになり、おれは思わず鼻をおさえた。ホルマリンと、血のにおいだ。部屋に響く低いブーンとというノイズ音は、室内温度を一定に保つための装置だろう。鼻を抑えてもなおこみ上げる胃液を飲み込み、自分の体の半分ほどあるガラスの容器が並べられた棚へ歩み寄る。そこにあるものが何かを理解するのと同時に、喉元をせり上がる嘔吐感に耐えきれず、おれはその場に片足をついた。


「お、えっ……」


標本なんて、生やさしいものではない。黄色味がかった液体の中に詰め込まれたそれは、これまでずっと見つからなかった人間の、胴の方だった。トルソーのように手足をもがれた裸。土色をした死人の皮膚はガラスの湾曲に合わせ歪み、虚ろな表情で目を開いたままピクリとも動かない。波のように何度もやってくる嘔吐感をやり過ごそうと、肺の中の空気を目一杯、吐き出す。おれの背中を撫でる手のひらに顔を上げれば、今にも人を殺しそうな爛々と血走った瞳のローが、ホルマリンに浸かった死体たちを凝視していた。


「海賊と一緒なんて、感心しないなぁ」


部屋の空気に似合わない明るい声。いつからそこに居たのか、シンクを挟みこちらに向かって眉尻を下げ優しく微笑む顔に、息を飲む。先生だ。彼は、いつものようにコーヒーの入ったマグカップを片手に、こんばんはナマエ君、とはにかんで見せる。この状況を普通に考えればあり得ないことだが、おれはその柔らかな表情や、声色を耳にした時、なぜか酷くほっとしたのだ。



化けの皮



腰抜けになったナマエを立たせ、クソ・オブ・クソ男の様子を観察する。医者としての風上にも置けねえ、変態野郎に胸糞悪い気分が全身を駆け巡っていった。さっさとあの世へ送ってやろうと、円を拡げる。隣で弱々しく立ち上がったナマエも、その手に拳銃を構えた。二対一のこの状況に、勝ち目があるとは思えない。しかし、男は怯むことなく、気持ちの悪い笑みを浮かべたまま、手にしていたマグカップをシンクの上に置いた。笑みを象ったままの瞳で、おれの腕を一瞥した男は、さらに口角をあげる。


「あの傷はフェイクだったんだね、ナマエ君」


悪い子だなあ、と緊張感なくそう寄越すクソ男。一歩前に立つナマエの体が無言のまま固まるのがわかった。どういうことだ。暗示がまだ解けていないなんて、面倒くさいこと言いださないよな、とナマエの名前を呼べば、おれの声に振り向きもせず、拳銃を構えている腕をゆっくりと下ろす。おいおい冗談だろ、と細い肩を捕まえて意識を無理矢理引き剥がすように揺すれば、酷く遅い動作で光を失った瞳がおれを見上げた。

ナマエの様子に満足そうに目を細めたクソ男は、近くにあった手術台の上で丸まっていた黒布を取り払う。暗くてよく見えなかったが、布の中から出てきたのは、体中に鬱血痕を付け、ボロボロになった海兵だった。どうやら気絶しているらしい。男はぐったりと倒れる海兵の腕を手に取り垂直に持ち上げると、見せつけるように皮膚へとメスを当てる。まさか、と思った時にはもう遅かった。海兵の腕に刻まれた血の滲む十字目掛けて、弾丸のように飛び出すナマエの体。

咄嗟に能力で、海兵の体を自分の近くへ入れ替える。目の前から消えた男に気づき、ナマエは器用に空中で体を捩った。床を踏み込こみ、先ほどと変わらない勢いで、こちらに向かって走ってくる。海兵とおれ目掛け放たれる銃弾。痛む肩に鞭を打ち、海兵の重たい体を放り投げ、突っ込んでくるナマエの体を捕まえ、床へねじ伏せる。おれと宙を舞う海兵の間を通り抜けた銃弾は、背後のガラスやら器具やらを派手に撃ち抜いた。


「シャンブルズ!」


宙に浮いた海兵の体が床に着く前に、その場から消し去る。男の代わりに、土の付いた黒い石が無機質な冷たい床へと転がった。病院の外にでも飛ばしておけば安全だろう。おれは、手のひらの下で、床に頬を押し付けるナマエの後頭部を叩いた。


「おい、いい加減にしろ!」

「….…悪い」

「そう、何度も暗示にかかってんじゃねえよ」


わかってるよ、と、ナマエは、額に青筋を浮かべながら苛立った様子で立ち上がった。あぁ、これは相当キレている。瞳孔が開いた瞳をギラつかせるナマエの、怒りの気配が、ビリビリとおれの肌を刺した。ブチ切れてはいるが、ある意味正気を取り戻したナマエに、クソ男の顔が歪む。ロー、とおれの名を呼んだナマエは、男目掛け銃弾を一発ぶっ放した。望み通り、男を撃ち抜く直前の弾丸と、その体を入れ替えてやる。

目の前に突然現れた存在に目を剥いたクソ野郎めがけ、ナマエは、振り上げた拳を勢いく打ち込んだ。相当な衝撃だろう。まともに拳を頬に受けた男の体は、勢いよく床へと沈んだ。






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あきゅろす。
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