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「イガんとこは? どんなオトーさんだっけ?」
「まあ覚えてるわけねーわな」
「さすがにねー」
 偶然出会った十年前の記憶を手繰り寄せる恭祐に、さすがに無理があるだろうと懐かしさから笑いを浮かべながら蓮は言葉を続ける。
 自分が思い出せる忠孝といえば、実の息子にさえ通じないほど訛りが酷かったり、睦に内緒で宗像の家に高い酒を買ってくるように御願いしてくれる姿、けれどもちゃんと思い返せば田舎の夜空に広がる星をひとつひとつ教えてくれた記憶も、休日は武人たちに混ざってサッカーしてくれた記憶もあって、ぽつりぽつりと思い出す記憶そのままに伝えればホームシック気味になっているのか言わなくても良い記憶まで手繰り寄せてしまった感じが否めなかった。
「えー、イガこそちょーーー良いオトーさんじゃん?」
「……中身はな」
 喋りすぎた、と気付いたのは恭祐がにこり笑ったあとで、照れ隠しに視線を逸らす蓮を一直線に捉えながら、恭祐は純粋な疑問とばかりにぐいぐいと蓮に質問を走らせる。
「そういえばさー、イガはなんで東京出て来たのー??」
「、」
 何も考えずに疑問をぶつけてきた恭祐のそれは今の蓮にとっては隠している心を直接的に引きずり出すようなもので、「健悟が居たから」だなんて口が裂けても言えるはずはなく、「狭いところにいたくなかったから」と、間違いではない回答を眼を合わさずに紡いでやった。
「えー、狭いとか広いとかはよく分かんないけどぉー……んー、なんか変わったのー? こっち来てー」
「や、来たばっかだし、まあ、変わった感じはまだしねえけど…………でも、すげー、……なんだろ、いいなーっておもうときがケッコー増えた気ィするかも」
 地元に居たときには抱かなかった感情の揺れ、安心できるような、落ち着くような、自分だけを待っていてくれる確固たる存在の大きさは自身に大きな変化を与えてくれた。
 それはきっと、この東京という土地に来たからというよりも、この場所で誰と居るか、という問題な気もするけれど。
「ふーん……地元かー……あ、ねえねえ、高校んときのイガってどんなかんじだったのー?」
「どんなって?」
「え〜。なんかあるじゃん、何部でーとかあれがすきでーとかこれが嫌いでー、とかさぁ〜」
「部活は帰宅部だっつったろ。つかこれといってトクベツなもんも別になかったけど…………あー、まあサッカーとか温泉とか、海とか行ったりすんのはふつーに好きだったけど。田舎だし」
「へー、アクティブー」
「や、ゲームも好きだけど―――、………………っつーか……今気付いたけど……何が好きっつーか、地元のやつらと遊んでるのが好きだったのかな、おれ?」
「えーなにそれぇ〜、俺が嫉妬する話ー?」
「なんでテメェがすんだよ」
 からかうように唇を尖らせた恭祐の膝を軽く蹴りつけると、冗談、という言葉を付け足されながら小さく笑い飛ばされてしまった。
 武人をほぼ無理矢理東京へと連れ出したといっても過言ではない卒業前の自分を思い出せば、意外と寂しがりやな自分に気付いてしまいそうになり、急いで心の扉に蓋をする。
 そして話をそらすように恭祐の質問を蒸し返し、なんだっけ、嫌いな話だっけ、とわざとらしく胡座をかき直した。
「嫌いなもんかー……あー、おれ、うるせえのすげえ嫌いだわ……」
「? なーに、うるさいのってー?」
「電話とかメールとかテレビとか? なんかわーってなってるの苦手っつーか、飲み会も人少ねーほうが落ち着くし……それこそ騒ぎたがりのヤツとかも苦手だったし」
 健悟があの街に来たときのことを思い出しながらぽつり紡ぎ出すと、以前に比べれば頻繁に携帯電話を覗くことが多くなったと自分でも思う。どんな彼女に言われたって、メールも電話も返すことの方が少なかったのに。
「テレビは……まあ最近は結構見るようになったけど、ちょっと前の芸能人とかびっくりするくらい分かんねえ自信あるわ」
 今考えれば、あのとき“真嶋健悟”を知らなかったということは、周囲からしてみれば本当に有り得ないことだったのだろう。彼という人物を意識したその瞬間から、テレビやCM、ドラマは勿論雑誌やポスターまでどんな田舎に居ても眼に留まる存在だったとようやく気付くことができたのだから。
「ふーん。なーんかもったいないね〜」
「……もったいない?」
 驚くでも無く蔑むでも無く、恭祐から飛び出された一言目は蓮の辞書にはなかった言葉であり、「なんで」と訊かれれば「知らねえよ」と答える準備は出来ていただけに思わず鸚鵡返しで聞き返してしまった。
「うるさいのが何かよくわかんないけどさぁー、括りがちょーでかいじゃんー」
「どういう意味だよ」
「だからぁ、イガさぁ、カラオケもクラブもゲーセンもー? パチンコもー? ぜーんぶだめなのー?」
 質問に質問で答える恭祐に眉を顰めながらも、「んなもん俺の地元にあるわきゃねえだろ」と暗に行ったこと無いと返せば、恭祐は「ほらー」と笑って、諭すように箸で蓮を指差してくる。
 そして、行儀が悪い、とその箸を払い除けた蓮に向かって、めげること無く言い切った。

「―――イガぁ、それは『嫌い』じゃなくてさぁ、『食わず嫌い』っていうんだよ?」

「あ゛?」
「だってすげーもったいなくない? そのでっけーひとくくりみたいなさぁー」
 楽しいことだっていっぱいあんのに、とまるで自分のことのように唇を尖らせた恭祐は、蓮に向けていた箸をそのまま鳥の竜田揚げに突き刺して、大きな塊を一口で咥内へと含んだ。
 そして、もごもごと頬を騒がしく動かしながら、何かを思いついたかのように蓮へと話し出す。
「あ、あとあれ。それこそサッカーの応援とか。ちょぉ〜〜〜うるさいけど、イガ好きそう、っていうかサッカー好きならぜったい好き」
「………………あー、たしかにそれなら」
「でしょぉー?」
 恭祐に言われた場所を想像するとたしかに騒々しい以外の何者でもないけれど、自分の趣味の範疇内だ、同じ嗜好の人間と騒ぐことはきっと、それもまた楽しいことなのかもしれない。
 その発想はなかった、と悔しい程の衝撃を受けた蓮が顎に手を置いて考えることは、今まではその地に行く機会もなかったし、行きたいと思わなかったということだ。
 ―――これからは、いまならば、行こうと思えばいつでもどこにでも行けるのか。
「…………」
 恭祐に諭されたことは悔しい以外の言葉では表せないけれど、確かに恭祐の言う通りだ、カラオケもクラブもゲーセンも、パチンコだって、行ってみれば楽しい何かがあるのかもしれない。
「あ。キライと言えば。そういえばイガさぁ、前に言ってたよね、俺にとられてからエビフライ嫌いになったってー」
「、おー」
 ごくごくと酒を飲み進める恭祐は一向に肌の色も変わらず酔っているのかさえ分からなかったけれど、この場に似合わぬ真面目な瞳に蓮は少しだけ肩を強張らせて頷いた。
 大学初日の説明会で話していた戯言が、今なぜ再び掘り起こされたのだろうとその真意をはかることが出来なかったからだ。
「…………」
 若干眉間に皺を寄せた蓮が恭祐の次の言葉を待っていると、その瞬間―――。
「―――はい、おまたせ」
 がら、と扉が開けられて、店主が顔を覗かせたと同時に、いままでは気にしていなかった店内の煩さも蓮の耳へと入って来た。




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