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*  *  *



「や〜〜じゃあえーっとぉ、んー、……あ。合宿終了お疲れ様ー!かんぱーい!」
「……すげームリヤリ、かんぱい」
 無駄に元気な恭祐の様子に呆れながら蓮がグラスを持ち上げると、恭祐は誤摩化すように笑いながら自身のグラスを蓮へとぶつけてきた。

 四日分の大荷物を持ちながら蓮たちがやってきた場所は新宿の奥にある隠れ家のような雰囲気のある居酒屋だった。
 歌舞伎町から少し外れた賑やかな場所、貸ビルの一階と二階に名前を連ねる居酒屋は思い切り準備中の看板が掛けられていたけれど、店内にずかずかと入る恭祐はそのまま軽く挨拶をしただけで、勝手知ったる家のように店の奥へと進んで行き、まるで自分の家のように個室である座敷を占拠して我が物顔でくつろぎはじめていた。
 壁に貼られている幾つものメニューはお洒落な名前ではなく普段耳にするような肉じゃがや唐揚げなど至って普通のメニューが並んでいて、密かに財布の心配をしていた蓮はホッと胸をなで下ろしながら恭祐の向かい側の席へと座った。
 通い慣れた場所なのだろう、頼んでもいないのに出て来る枝豆を横目に蓮が恭祐に続きウーロンハイを頼むと、店主は人好きするような笑みを浮かべて料理に好き嫌いはあるかと尋ねてくれた。
「イガなんか食べたいのあるー?」
「んー……」
「あ、肉じゃがオススメー。竜田もちょー美味しいけど〜」
「んじゃ、おまえのおまかせで」
「んじゃ、西さんにおまかせで」
 あれこれと指差す恭祐のお任せを注文すると、それを聞いた恭祐はまさに蓮の真似をしながら店主に向けて微笑んだ。
「ごめんネー、いきなりー。西さんの料理がどーぉしても食べたくなっちゃってぇ〜」
「はいはい、恭祐さんに言われたら通さないわけにはいかないからね」
 呆れた物言いとは裏腹に嬉しそうに頷く店主の、恭祐さん、という呼び方にぴくり蓮が反応したけれど、あえて聞き込むことをしなければ流れのままに会話が進んで行く。
 おれここでなんか注文したことないんだよね〜と自慢気にお通しに箸を伸ばす恭祐の期待に任せて蓮も箸を伸ばし、暫し料理を待つ。準備中だからかBGMのない居酒屋はひどく静かなように思えたけれど、外の雑踏を思えばその静けさが心地よく、蓮は落ち着くとこっそり思いながらちびちびとお酒で喉を潤した。
 その後実のない話を続けていくにつれ、湯気のたった料理が四人用のテーブルを段々埋め尽くしていったけれど、とりあえずこれね、と適当に持って来られた料理がすべて美味しいものだから、恭祐の言う通り、箸も止まらずガツガツと口に運んでしまっていた。
 最早お酒よりも料理がメインになってしまっている会合は酔っぱらいながら合宿で話した下衆な話をする空気でもなく単純に出て来る料理が美味しいとか、恭祐の携帯に入っているゲームアプリの話とか流行りの音楽とか、不思議と話す内容は尽きること無く、そして話のタイミングやトーン、つい数日前に出会ったばかりとは思えないほどに打ち解けているような気がしていた。
 室内のBGMが流れ始めてから暫くすればすっかりガヤガヤと個室の外から声が聞こえて来て、ようやく見知った居酒屋のような雰囲気になったと蓮が気付いたとき、恭祐もその人波に気付いたのか残り少ないビールが入っていたジョッキを一気呑みしてから、蓮のコップを指差した。
「イガ次はー?」
「梅酒。ロックで」
「はぁ〜い。そろそろ忙しそうだから、おれ自分でとってくるね〜」
 ジョッキの上に雑にグラスを重ねた恭祐は鼻歌混じりで店内サンダルを履いて、慣れた手付きで蓮の視界から消えて行く。
 手持ち無沙汰に携帯を見れば健悟からしっかりメールが届いていて、俺も呑みに行きたいだの早く逢いたいだのちゅーしたいだの読むのすら恥ずかしい文面と顔文字ばかりが羅列されているものだから、想定外である突然のダメージに携帯から眼を背けて机に額を突っ伏してしまったことも無理のないことだろう。
 恭祐が居なくてよかった、と赤くなっていそうな耳を叩きながらもう一度メールを眺める。
 大学のクラスメイトと、恭祐と呑みに行くということを律儀に告げたこの報告が、同居初日に言っていた約束を守ってやっているのだと、当の本人は気付いているのだろうか。
 いきなり誘われた恭祐との飲み会では男二人同士集まって特別な話をするわけでもなく、勿論普通に楽しいけれど、やはり逸る心は否めない。
「………………はやく仕事終わらせろっつの、ばぁか」
 ぼそり呟くと共に本人には届かないと分かりながらも携帯電話のメール画面をコツンと指で弾く。
 今日帰ったら嫌というほど一緒に居れるはずなのに、今か今かと仕事終了のメールを待ってしまっている自分が居るのも確かで、こんな姿は健悟にも恭祐にも誰にも見せられないと、自分ですら認めたくない気持ちに蓋をして冷静にメールの返信をしようとした、―――そのとき。
「めんどくさいからまるっと貰って来ちゃったぁー」
「!」
 突然個室の仕切りがなくなり明かりが射したと同時、梅酒と日本酒を両手に持った恭祐が悪怯れなく足で扉を開けてサンダルを脱ぎ散らかしている。
 恭祐には前科があるだけに絶対に見られてなるものかと携帯電話を勢いよく閉じた蓮は、恭祐の視界から見えぬようにと水面下で急ぎながら自分の背中へと隠した。
 そしてそんな小さな努力を知る筈も無い恭祐は、梅酒のボトルの上に逆向きに被せられたグラス共々蓮の目の前に差し出すと、適当に自分で取り分けてと言わんばかりに大きな音を立ててテーブルの上へと置き去った。
「はいっ、こっちイガのぶん〜」
「……どーも、っつかグラスじゃねえのかよ、一本丸ごとて」
「え〜、だって厨房ちょぉ忙しそうだったし〜頼んで遅いのやだしー何回も取りに行くのめんどくさいしぃ〜。他呑みたかったら言ってね〜取ってくるからー」
「………………おー」
 酒の銘柄と値段だけは宗像の家で鍛えられたからこそ恭祐が易々と持って来た瓶が一本数万円のものだと悟り、財布の心配をすると同時に料理の値段に見合わぬ酒のそれに一体どちらがメインなのだと思わず眉を顰めてしまった。
 けれども馬鹿高い酒を当たり前のように躊躇いなく注ぐ恭祐は何も気にしていないのか、なんの話してたっけー、と何事も無く問いかけてくるのだから、蓮は溜息を吐きながら恭祐へと視線を戻すことしかできなかった。
「……おまえここよく来んの?」
「うん、ちっちゃいときから来てるー。親父が好きな店なんだよねー」
「あー、恭祐の親父さんってあれか、昨日の」
「ん、そー」
 再び箸を進めた恭祐が生春巻きをもぐもぐと食べながら頷く傍ら、蓮が箸を止めて思い出すのは昨日の夜中、テンションが振り切れていた飲み会にてクラスメイトがネットで検索した恭祐の会社についてのページだった。
「おれ昨日初めて見たけど、すっげかっけえのな」
 役員紹介のページを開いて一番に目立つ場所、陣内の名字を見る前にきっとこの人が恭祐の父親なのだろうと気付いたのは、蓮が想像しているよりも遥かに大人の魅力と雰囲気を持った男性だったからだ。会社を動かす重大責任者だからこそ生真面目で固い印象が先立ち恭祐を見た限りでは想像できなかった父親像だったけれども、写真を見てストンと不思議に納得できた感覚があったのだ、この柔らかい笑みと裏腹な強い意志を持った瞳に。
「えぇ〜? 普通じゃんー?」
「いやいや、俺んとこと大違い」
 健悟よりも断然、大人の男の魅力が引き出されていたあの写真は稚拙な言葉を使えば「格好良い」の一言であり、将来あんな風に恭祐が成長していくのかと想像すればどこか納得できるものだった。だからこそ、あの写真を見た女子たちがあれほどまでに騒いでいたのだろう。



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