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「はい、じゃあ十分休憩。三十分からまた始めるからそれまでには席に戻っているように」
 そんな講師からの言葉を皮切りにガタガタと席から離れて行く周囲の中、蓮と恭祐だけは無言で目を合わせ、片方はとても楽しそうに、また片方は酷く疑わしそうな不満気な顔をしながら、見つめ合うのみだった。
「……てめぇ、陣内恭祐……」
「はァい?」
 唇を尖らせて警戒心を露わに睨む蓮の傍ら、くるくるとペンを回す男は酷く余裕めいていて、ふっと口角をあげてから「久しぶりだね〜」とにっこり笑われてしまった。
「…………」
 そして、目の前にある色とりどりの頭を見ながらふと思う。


 ―――認識が正しければ、真っ黄色に染まった髪を眼にしたのは、あの瞬間が初めてだった、と。




* * *



 小学一年生の冬休み、家族全員で行った最初で最後の東京旅行の時の話だ。
 あの時は蓮が偶々回した福引が功を奏して、一家まるごと家族旅行に招待されたのだ。すっかり抜け落ちているらしい健悟との記憶、その数日より少し前の出来事、話しは蓮が宿泊していた旅館の夜まで遡る。

 宿泊するべく案内された旅館は小さな蓮には上が見えぬほどに大きな外観と綺麗な内装、広い部屋に景観の良い露店風呂など普段自分が過ごしている家とは百八十度違いっていて、終始たのしみ笑っていた記憶は蓮の記憶の奥の奥、とてもうっすらと存在しているものだった。
 微温湯のように温かい家族の中で育てられていた蓮、でも、だからこそ、理想的な家族の中心できゃっきゃと微笑んでいる蓮をずっと訝しんでいた視線があるなんて、当時の蓮自身は一切気付くことは無かった。
 広間や玄関、果ては風呂場まで負の感情は蓮に投げられていたけれど、幼くも鈍感な蓮が知る由も無い、一方的且つ酷く内向的に行われていたそれが如実に現れたのは、旅行に来て三日目、五十嵐家が総出で夕食をとっているときだった。
 広すぎる夕食間に等間隔に並んでいるテーブルは六つ、カップルが使用する小さなテーブルや大家族用のそれ、そこに並んでいる品目と見た目に感動していた蓮は、部屋の一番奥、景色が最も綺麗に映える場所にぽつんとひとつ、子供用のテーブルが隔離されている事実に気付くことは無かった。
「―――えびっ!」
 ぱあっと明るくなった声、周囲の大人とは異なる子供用のメニューに声を明るくした蓮は嬉々として誰よりもはやく席に駆け寄っては元気にいただきますと手を合わせる。
好きなおかずは最後まで取っておくという癖は相変わらずで、子供サイズのエビフライを右端に避けては上手な箸使いでぱくぱくと食べ進めていた。
 その様子を隣で見ていた利佳が悪戯にエビフライに箸を伸ばそうとしたものならば小さな両手をプレートの上に伸ばしてヤダヤダと首を振るものだから、むくむくと湧き上がる嗜虐心に任せて揶揄り甲斐があるとばかりに頬を緩める様子は、実家と何ら変わりはないものだった。
 利佳がおかずにゆっくりと箸を伸ばす度に蓮があからさまに焦っては、はっとした顔で両手を利佳に向けて全身で拒んでくる。
 「うっそー」と利佳が笑っても猶ちらちらと警戒しながら利佳に目線を配るものだから、その素直な姿が可愛くて、「誰も取らないよ」と安心の声をかけることなくその様子を見守っていたのだ。 
 くすくすと愛でるように微笑む空気、そんな現場を目の当たりにして心の底から嫌悪が駆け抜けたのは、蓮からずっと離れた窓際にひとり座る少年だった。その視線の主は数日間蓮に纏わりついていたものと同義であり、小学生にも満たないような小さな容姿、日本人的な風貌に似合わぬ金色の髪の毛やピアスは周囲の大人からは何事だと言わんばかりの視線を預けられていた。
 そんな彼が目線を送る先は一家団欒の模範解答とも言えそうな五十嵐家のテーブルであり、幼い蓮を中心に笑顔ばかりが振りまかれているそれだった。綺麗な雪景色に目を預けることなくその光景を遠巻きに眺めては、苛々と頭に血が上り行く自分に気づいていた。
 彼が実際に行動に移したのは食事を終えて夕食間を去ろうとした際だ。ゆっくりと楽しそうに食を進めているからか蓮のテーブルには未だエビフライとデザートのプリンが残っていて、これから手を付けようという恍惚とした表情を横目に入れた途端、頭の奥に苛々が募り、つい蓮の座る椅子をガツンと蹴りつけてしまった。
 驚いた蓮が振動の先を振り返ると、その先に居るのは眉や口元を歪めている子供、こてんと首を傾げた蓮が偶然当たったのだろうという思考回路にたどり着くことは容易く、彼のことなど興味もないというように一瞬で自分の食卓へと顔を戻した。
 それに理不尽に怒りが込み上げたのは椅子を蹴り上げた張本人で、訝しむような利佳や龍二の視線も交わして、蓮がエビフライに箸を伸ばした瞬間―――勢いよく蓮の椅子によじ登っては、ぱくり、蓮の箸の間に挟まれていたエビフライを掴み取って蓮を睨み付けた。
 そして極め付けというように、ぽかんと口をあけている蓮の隣で、彼はプレートに残っているもう一本のエビフライをむんずと掴んでは、未だエビフライを頬張ったままの己の口に無理やり捻じ込んだ。
「―――……、」
 言葉も出ないというようにぱくぱくと開かれる蓮の唇、わなわなと震える蓮の頬を見て溜飲が下がった少年は、ごっくん、蓮のもののはずであったエビフライを綺麗に呑み込んだ。
 そして、ぺっとエビの尻尾を蓮のプレートに吐き出した少年は、あっかんべーっと赤い舌を蓮に見せてから、あからさまに「ふんっ!」と鼻息荒く走って行った。
 突然湧いて消えた子供の衝撃は当時の蓮には大きすぎて、跡形もなくきれいに尻尾だけが残るオカズのプレートを見ては「……ぅ、」と小さく声を発したのち、みるみるうちに目元を潤ませていったのだった。






「―――……そうだオレ、よく考えたらあんときからエビフライも食えなくなったんだ……!」


 当時を思い出して蓮が強く拳を握ると、隣に居る恭祐はブッとふき出して、まだ引きずってんの〜とケラケラ笑い始める。
「引きずってねえ、俺だっていま気付いたっつの……!!」
 今迄何故か受け付けなかったエビフライは食わず嫌いしている食べ物のひとつだったと認識していたけれども、そうではない、そこにはれっきとした理由が存在していたらしい。
 楽しみを奪われたトラウマといえば軽い響きに聞こえるけれども、当時は子ども心ながらにそれほど喜んでいたのだろうと思う。
「トラウマねェ〜。それを言うなら俺だってあるじゃん?」
 思い出した、とでも言うように眼を伏せた恭祐は右耳に前髪をかけて、ちらりと耳朶を見せてくる。
「、?」
 蓮の耳よりも断然飾りの多いそれに吃驚しながらも好奇心を隠さず見ていると、恭祐はその蓮の表情に対して不満を露わにがっくりと肩を落とした。
「えぇぇ〜〜〜……っ」
「は?」
「信じらんない、忘れちゃったのぉ?あれだよ、あんたが散歩に行こうとしてた日、朝、玄関先でさァ―――……」
 口先を尖らせて不満を口にする恭祐が溜息をつくと同時、その姿がふと誰かに重なる感覚があった。
 ぶすくれる顔が健悟に似てると、こんなときまで頭の片隅に入ってくる邪念に蓋をしてから、全く身に覚えのない恭祐の話に耳を傾けていった―――。










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