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 本当に迷わない?ひとりで行ける?電車の時間調べた?送っていこうか?大丈夫?

 ―――昨日よろしく変わらず玄関まで付き纏ってきた健悟は必要以上にぱたぱたと蓮の周りに纏わり付いてきたけれど、行ってきますのちゅーを蓮から仕掛ければ容易に大人しくなったので、唇を抑えて立ちすくむ健悟の額にデコピンだけを残して歩き去ってやった。
「いってくる」
「、ってらっしゃい……」
「ん」
 たった一度の入学式の会場とは違い、大学は入学前にオープンキャンパスにも行っている。迷うことはないだろうと高を括った蓮は慣れたふりをしながら電車に乗りこんで、本格的に始まる大学生活にわくわくと心臓を震わせていた。





 大学に無事着いてからは掲示板の貼り紙を見ながら教室棟に進んだけれど、どうやら来るのが微妙に遅れてしまったらしい、あちこちで幾つかのグループに分かれては距離を図るべく既に談笑を開始しているようだった。探せども知り合いが居るはずもなく、あまり雰囲気にも馴染めないまま教室へと入る。
 時同じくして別の大学にて入学のガイダンスをしているだろう武人にそちらはどうだとメールを送りながらダラダラと時を過ごしていたけれど、時間が経つに連れて段々と人も増えてきて、あと数分でガイダンスが始まるだろうというタイミングで、上から軽い声が投げられた。
「隣いっスかぁ?」
「、あ、はい」
 突然のことに驚いた蓮は何も悪いことはないというのにぱっと携帯を閉じ、声の主も見ずに隣の席に置いていた荷物をどけた。
 そして、前から回ってくるプリントを一枚、また一枚と受け取っていた、そのとき―――。
「……あれ?」
「?」
 隣から、ぽつり、あたかも不思議そうなトーンで声が聞こえてきたために、反射的にそちらに顔を傾けてしまった。
「―――あ。」
 そして次に声をあげたのは蓮の方であり、つい先日見た顔が目の前にあったことに酷く驚き、目を丸くしてしまった。
「…………あーーっ、やっぱ! 昨日の金髪クンじゃんっ」
「、」
 目の前に居る男は先日のようにスーツを纏ってはいないけれど、派手な容姿に衰えは一切見られない。相変わらず複数色が混ざった髪型とゴテゴテに飾り付けられたピアス、たった一度会っただけだけれども、こんなにも整った顔を忘れられるはずはない。
「おれおれ、覚えてる?昨日会場まで案内したっしょ??すっげ、同じ科だったんだ?」
「え、……あ、あーーーあれかっ、あの―――」
 ―――健悟と同じ、香水のひと。
 ついそんなことを言ってしまいそうになった自分の口を右手で抑えた蓮に、男は酷く不思議そうに首を傾げた。
「? あの、なに?」
「、あー……、あー、あの、……イケメンくん?」
 ごまかすように口から出た言葉は酷く曖昧で、馬鹿らしい言葉になってしまった。一体何をいっているのかと自分でも思ったほどだというのに、目の前の男はそんな言葉にニカッと笑って御丁寧に人差し指と中指を立ててピースサインをお見舞いしてきた。
「せーかぁいッ」
 それに加えて、にかっと笑う語尾には星や音符でも付いていそうで、つい、ずるっと蓮の肩の力が抜けてしまう。
「……否定しねぇんだ?」
「えー。なんで?きれーな顔してるでショ、おれ〜」
「あー、はいはい」
「ちょっと!」
 笑いながら突っ込んでくる派手な男はびしっと蓮の肩を叩いてきて、殆ど初対面だとは思えない親しさが感じられた。
 しかしまぁ、すげえ偶然、と蓮が驚いていると、タイミング良く蓮の携帯電話が震えては着信を告げてくる。見れば実家から電話が入っているようで、まだガイダンスまで少しの時間はあるだろうと少し断ってから電源ボタンを押した。
「もしもし?」
 小声で話し掛ければ実家という文字の先に居たのは睦で、健悟から写真が届いたことに対するからかいまじりのそれだった。離れているからこそ感傷が入るだなんて事実もなく、健悟のことをどうこうと聞かれるものだから、知るか!と一言で話題を切り捨ててしまいたくなる。
 昼間だったからこそ利佳は居ないようだったけれど、睦から忠孝に通話を変わられて初めて、ふと、その返答に対しての自分の口調が訛っていると気付いてしまった。慣れ親しんだ人間しか聞き取れないような忠孝の言葉は影響力も甚大であり、普段は奥底に眠らせていたはずの訛りがひょこっと顔を出してしまう。忠孝からの言葉に「んだから、」と話しを纏めようとしたときにそれに気付いてしまって、いつからだとハッと口元を抑えると同時に段々と小声になってしまった。
 実家でもこんなに訛っていなかったはずなのに。離れたからこそ、電話だからこそ忠孝に引きずられてしまうのだろうか、つい訛りが出てしまう自分に驚きながら会話をしていると、その蓮の複雑そうな表情と聞こえる会話に対して隣から明らかに笑いが混じった声がした。
「、」
 一瞬聞こえた噴き出すような笑い声は言わずもがな揶揄混じりのものであり、蓮が馬鹿にされたと口ごもってしまうことも仕方のないことだった。
 固まった蓮に対し、隣に座る男からは手の動作のみでゴメンと謝られたけれど、それすら気に障り意図せずむっと唇が尖ってしまう。
 口数が少なくなった蓮が「……ガイダンスが始まるから切る」と不機嫌に呟いた横ではすっかり何事もなかったかのような顔をしながら携帯をいじっている青年が居て、昨日までの印象とは一転して宜しくない印象を抱いてしまう。
 ―――東京人。
 久しぶりの単語が、頭の中に降ってきたからだ。
 今頃ドラマの撮影に勤しんでいる男とは違う、この訛りすらをも可愛いと馬鹿げたことを言い放った男とは全く違うと思い知らされる。けれどもこれが当たり前の反応なのだと考え直した蓮は、不必要に下唇を噛み締めては口を噤むかのように自分に言い聞かせる。
 ガイダンスが始まってからは周囲と話す必要もなくなったけれど、不意に出てしまった訛りには気をつけなければと無意識に唇をふにふにと抑えてしまっていた。
 壇上からは、配布されているプリントに名前を記入しろといわれていて、言われるがままにそれに従う。枠線だけが整備されているプリントに対して、名前は五十嵐蓮、振り仮名はいがらしれん、と何の躊躇いもなく書き加えると―――…それを見ていたらしい隣の男は自分の陣地を超えてまで蓮のプリントに目を奪われているようで、重く噛み締めるように、ぽつり、ゆっくりと蓮の名前を呟いた。
「―――――」
「?…… なに?」
 紙を見て静止した彼を見て蓮は眉を潜めたけれど、 そんなことを気にも留めていない彼はジッと蓮の字面を見ては何か考え事をしているようだった。
「いがらし、れん…………って……」
「、?」
 再び口にされた自分の名前に蓮が眉を顰めると、次の瞬間に顔をあげて蓮の瞳を下から覗き込んできた彼は信じられないとでも言うように眼を大きく丸く開いているようだった。
「……まさかさ、……や、ぜったいないと思うケド……。……いがらしれんくん、さ……? ―――めっちゃ美人のねーちゃんいない?」
「……は、」
「…………」
 思い当たる人物を一人心に浮かべてしまった蓮がつい動きを止めると、好奇心に満ちた瞳が下から覗き込んで来ている事実に気付かされた。
 蓮のその反応から察したのか、隣では、「……マジでぇ?」と小さく呟いた男がひくひくと口角をつりあげる。
「、なんで知って―――」
 一瞬にしてドクドクとうるさくなった心臓を携えながら、ぎゅっとボールペンを握り締めて蓮が問うと、頭をガリガリと掻きながら「マジかよ」とぽつり落とされた。
「……あー…… ねぇ? 昔東京きたことない? 俺が小学生だったから……何年前だろ、丁度十年くらい前に?」
「――――……え……」
 十年前、随分と心当たりのある数字に蓮が眉間に皺を寄せるも、目の前には両手の両指で十を描く彼が居るのみだった。けれども、何があるのだと見えない展開に一歩後ずさり、後ろ手に体重を預けると同時、何か楽しいことを見つけたようなわくわくとした瞳にかち合った。
「、」
 そのどこか楽しげに悪戯めいた表情を間近で見れば見るほど、何処か懐かしい感情に奪われてくらりと脳が震えるようだった。
 稀に起こるデジャヴ、どこで見たのだろうかと言われれば即断も出来ずに、ぐるぐると記憶の糸を探ることしかできない。すっかり記憶から抜け落ちている十年前の東京、けれども憎らしいまでに覚えている出来事はひとつだけ存在して、その微かな手掛かりに気付いた瞬間、蓮はハッと目を大きくして今にも立ち上がってしまいそうなほとに唇を戦慄かせた。
 この目の前にある好奇心旺盛な瞳、東京と云う稀な立地、利佳との繋がり―――……小さなころから順々にその紐を辿って行くと、ほんの一瞬だけ自分の記憶と一致したかのような部分が生じた。
 それは自分が一番思い出したくない記憶―――そう、まるで、………… あのときに出逢った『東京人』のような―――。
「―――なッ……!」
「―――あ。思い出した?」
 がたっ、と蓮が一歩後ろに身体を引いて思い出したことは、先程の忠孝との会話を聞いて少し驚きながらも微笑んでいた男の表情だった。
 まさか古い記憶で聞き覚えがあった訛りに笑っていたということも考えられないことではなく、蓮は驚きに目を丸めながら立ち上がると、ガイダンス中だというのに大きな声をあげて問い質してしまいそうになってしまう。
「、てめっ……あんときの金髪野郎かッ……!」
 どういうことかと聞くべくわなわなと蓮が唇を震わせながら男に近寄る、と―――。
「シィーっ」
「むぐっ」
 典型的とも言える仕草、蓮の唇に押し付けるようにして人差し指を一本立たせては、何か秘密を握るかの如く楽しそうに曲線を描いた口元で蓮を見据えてくる。
「あとでゆっくり―――ネ?」
 にやりと笑った男は、一方的に蓮のプロフィールを見ていた自覚があったのか、ね、と同意を求めては自分の名前が書かれたプリントを蓮へと見せてきた。
「、…………じ……んない、きょうすけ、」

 ―――陣内 恭祐。

 そう書かれた文字を見せられるがままに読んだ蓮はどこかで発音したことがあるような感覚に囚われて、モヤモヤと霧がかった想いが流れてくる。
 目の前に居るこの男があのときの子供ならば、散々この訛りを馬鹿にしては利佳から何度も殴らられていたあいつと同じに違いない。
 こんなにも月日が過ぎた今、まさかこの広い東京で二度会うことは考え難く、蓮は何を企んでいるのだとギロリ睨みながら恭祐を威嚇したけれども、その表情すら笑いつけてくるこの男は昔のことを今更掘り返すつもりはないのだろう、敵意剥き出しの蓮をくすくすと笑いつけては早く話がしたいとでも言うように余裕ぶった表情でくるくるとペンを回しているだけだった。
 二十歳目前の現在と子どものころとなんて確実に変化していることだらけだ、けれどもあのたった一回の出来事によって自分の考え方が変化させられたという事実は確かにあって、あの数日間さえなければこれほどまでに東京を嫌いになることも、この髪の色も染めることだって無かったはずだ。
 軽いトラウマのようなそれが沸々と思い出されるけれども、依然として、目の前にある綺麗な横顔と過去の情報が一致することはなかった。



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