18
 そこからは適当にパンフレットを受けとって、誰一人として知り合いが居ない会場でひとりぽつんと諸々の説明を聞いていれば入学式の数時間などすぐに過ぎて行った。
 一気に会場を後にする波に運よく乗った蓮が扉を出ようとしたとき、タイミングよくスーツのポケットで携帯がぶるぶると震えては、電話の着信を告げてきた。
 人込みに流されながらも少しだけ移動して、ようやく人通りが少なくなったときにその通話を繋げる。
「―――あ。れん?さっきごめんね、なんかあった?」
「あー、ちょっと迷っただけ。ふつーに大丈夫だった」
「えっ、迷ったの?大丈夫?ほらもぉー、だから俺が下見してこーかって言ったじゃんきのうー」
「っせーな、良いんだよ。…………おめぇが電話に出ねぇ間に、しらねーイケメン君が助けてくれたんでぇー」
「!?」
 からかうように蓮が言った途端に、電話元からはひゅっと息を飲む音がした。
 付近にあったベンチに座りながら蓮がネクタイを少しだけ緩めると、その瞬間、蓮の前を通って行くスーツの女の子にふと目を奪われた。それもそのはず、持っている携帯電話に公式か非公式かもわからない真嶋健悟のストラップがついているのが見えたからだ。
 こんなところでぐでっとだらけている大学生の電話が天下の真嶋健悟と繋がっているだなんて、この中に居る誰も思わないんだろうなぁと思うと、それだけでやっぱり不思議な気持ちに襲われる。

 ―――もちろん、その張本人が、こんなにも馬鹿でこんなにもうるさくて、こんなにも俺のことを好きだって、そんなことすらも。
「ちょっと、なにそれ。なにそれ、ちゃんと白状しなさい、蓮!」

「あー、はいはい、あとでな〜」
 そんなことを考えたら柄にもなくむずむずしてしまって、蓮は口元を綻ばせながら健悟の言葉を受け流した。
 電話元からは些か健悟がいじける気配がしたけれど、「なあ」と話し掛ければぶっきら棒ながらに「……なんですかぁー」と返事が返ってくる。
「つか俺式終わったんだけど。これどこ行きゃ良いの?フツーに来た道戻って帰って良いの?」
「え。ちょっと待って。蓮そこ居て、今から迎え行くから」
「マジ?場所分かんの?」
「すぐわかるよ、じゃあそこ居てね。またあとで」
「?おう、あんがとー」
 広い会場内でどうやって出会えばいいのかと右も左もわからない蓮は首を傾げたけれど、健悟は確実に逢えるという確信を持って車を移動してくるようだった。
 せめて分かりやすい場所に移動しようと蓮が会場を出て近くにコンビニでもないかと探しに行ったのだが、人込みの多い会場を抜けるだけで予想外に時間がとられていたその道中、健悟から着信を告げられては「いま反対の車線にいるよ」と告げられて、あまりに早いお出迎えにぱちぱちと目を瞬かせることしかできなかった。
「はっや。つかよくわかったな」
「うーん、うん、見えたから、あっちから」
「…………」
 あっち、と適当に指差せば蓮は「マジか」と納得したけれど、本当の理由は言えそうにない。
 蓮の携帯電話に内蔵されているGPSを追いかけただなんて言ってしまえばこの目の前の恋人の顔は怒りに震えるかドン引きして歪むかその二択だということは分かり切っていたからだ。
「蓮乗って。助手席」
「あざーす、もう帰るだけ?」
「んー、ちょーっと行きたいトコあるんだけど。付き合ってもらってもいい?」
「全然良いけど……え、つかなんでおまえもスーツ? 仕事のまんま?」
 職業柄スーツなど着る必要もない健悟だというのに上から下までまるで一冊の雑誌からそのまま抜け出してきたような風貌をしている。ワックスで自然に固められた髪の毛から緩く光る靴の先まで抜かりないそれは蓮と比べる対象にもならないほどに掛け離れていて、先程出逢った青年と並べれば、やはり健悟の方が恰好良いのかもしれない、と一人口にせずとも心の中でこっそりと思う。
「ん?あー、うん、ちょうど着てたから、ついでに。気に入ったし貰って来ちゃった」
「??ついでって、なんのついで?」
「んー?」
「……うーわ出たこれ、言わないパターン」
「あは、すぐ着くって、ちょっと待っててよ」
 蓮の突っ込みすらにこにこと笑顔で流した健悟は至極楽しそうで、まぁまぁこれでも食べて、と蓮が好きなチョコレートを渡してくるものだから、相変わらず扱いが巧すぎると、茶色いそれをボリボリと食べながら女々しく睨むことしかできなかった。
 言われた通り大人しく唇を尖らせる蓮を助手席に乗せる健悟は満足気で、一度も迷うことなくスーツで運転していく様はちらちらとつい目で追ってしまうくらいに、普段とは別人のように恰好良いものだった。
 「着いたよ」と健悟が声をかけてきた場所を一見すればただのガラス張りの大きなビルだったけれど、会社概要のプレートを見れば”スタジオミナト”と記載されていて、「ここ、さっきまで使ってたトコ」と付け加えられて初めて、こんなにも近い場所で撮影していたことを知る。
先日連れて行かれた場所とはまた別のところだったけれど、雑誌の撮影をしていた場所とは変わりないのだろう、健悟が我が物顔で入っていくことに特に違和感を覚えることはなかった。
「スタジオ……? まだ撮影残ってんの?」
「んーん。はい、こっちこっち」
「??」
 こいこい、とでも言うような手招きをされるがままに着いていけば、スタジオ内に入る際に出会った警備員以外は人っ子ひとり居ないようだった。
「ここねぇ、さっきまで借りてたスタジオなんだけどさ、」
 そう蓮に言いながら健悟はずんずんとスタジオ内を進んで行って、先日見た場所とはまた違った内装の場所に連れて行かれた。
 予め設置されていたカメラは本職のカメラマンが使うには随分と小さなもので、一眼レフとはいえ、まさか普段は置いていないものなのだろうことは分かる。それでも、ぽつんと孤独に立脚に置かれたそれを触りながら健悟はファインダーを覗き込んで、「いい感じ」と口角を上げている。
「今日は、スタッフとか皆帰った後でちょっとだけスペースを借りたんです。蓮、はいそこに立って?」
「え、俺?おまえじゃなくて?」
「蓮だよ」
「は?」
 おまえ、と蓮を指差した健悟はスーツ姿でカメラを握っていて、驚いた蓮の顔を一枚、ぱしゃりと激写してきた。
「わ、」
 思わず蓮が顔を隠してしまうと健悟は「だめだめー」と腕を下ろすよう指示してきて、蓮のスーツ姿を上から下まで眺めながらにっこりと微笑む。
「そーれ。まこっちゃんたちに送ろうよ。折角のスーツなんだし」
「……えー、……なにそれ恥っず……」
「いーじゃん、かっこいいよ」
「…………」
 さらりと褒めながらファインダーを覗き込む健悟は本心を語っていて、かっこいい、とストレートに褒められたことが嬉しかったのか、蓮は荷物を端っこに置いてから、ゆっくりとライトの中へと歩いていく。
「……まぁ、ちょっとだけなら」
「そう来なきゃ」
 ぐいっとネクタイを締め直した蓮の仕草すらカメラに収めた健悟は、蓮が動く度にぱしゃぱしゃとシャッターをきっていく。
 七五三の様にただ立っているだけだと思っていた蓮だったが、段々と健悟の要求がエスカレートしてきては、やれこんなポーズをとれだのこの大きな縫いぐるみを抱き締めてだの、スーツは関係あるのだろうかとつい思ってしまうかのような思いを散々味わった。
「……これ関係あんの?」
「ある!」
 呆れる蓮はあからさまにむくれた表情をしてぬいぐるみを見つめたけれど、健悟はその表情すらも可愛いとでも云うようにパシャパシャとフラッシュを盛大にたいては、ファインダーを覗き込み続けていた。
 本当のことを白状すれば睦に送るものは最初に録った少しだけ緊張している蓮と、健悟が冗談を言ったことで笑った蓮、安心しきっているその表情だけを送るつもりだった。他の写真は所詮健悟の趣味といっても過言ではないもので、持参した一眼レフで思う存分蓮を撮っては、後々本気の編集作業を行う必要があると算段していた。
 本当に自分が欲しいだけの蓮の写真を飽きるほど撮った健悟は幸せそうで、二度とないだろう機会にほくほくと周囲に花を散らしているそれと蓮の目がかっちりと見つめ合う。
「……けんごー」
「んー?」
 ファインダー越しに覗かれればいつもは立場が逆転しているだろう張本人がすごく気になって、蓮は考えるよりも先にその名を呼んだ。
「おまえも来いよ?」
「、…………行くー」
 もう良いだろ、とネクタイを緩めた蓮はすっかり口角をあげていて、こんな機会でもなければ二度と立つことはないだろう場所を少しだけ楽しんでいるように見えた。
 だからこそ健悟も蓮の隣りへと立って、遠隔シャッターを搭載したそれでパシャパシャと撮影を進めていく。
 誰も居ないスタジオは酷く静かで新鮮で、まるで時間が止まったかのような感覚はとても心地が良いものだった。
 カメラの前でテンションが上がっているのか、蓮が勢い余って背後から健悟の腰めがけて抱き着いていくものだから、驚いた健悟の表情がカメラに治まったことはもちろん、悪戯が成功した子供のような笑顔で笑い転げている蓮の様子もしっかりとカメラにおさまっている。
 そのまま健悟が誘導するままに肩を組んでこれ以上ない笑顔のツーショット写真を撮影したり、健悟が一方的にキスを迫っては殴られる写真が存在したり、時間が経つのも忘れて多量の光線の中に身を包む時間は酷く楽しいものだった。
 撮影が終われば健悟は即行で撮った写真をノートパソコンへと移行させていて、絶対に消さないと誓うかのごとくすぐにUSBに移行してから厳重にパスワードを設けていた。
 所詮は機械音痴、健悟が何をしているか説明されても分からない蓮は終始首を傾げていたけれど、「利佳たちには俺が送っておくから」と健悟が言えば恥ずかしそうにしながらも喜んでいるようだった。
「あーあ。しっかし……あーんなにちっちゃかった子がこんなんなっちゃうんだねぇ……」
 パソコンの矢印キーで写真を次々にスライドさせながら、ぽつり健悟が呟いた一言に、蓮はむっと唇を尖らせる。
「なにそれ、わりーのかよ」
「ちっがうよ、褒めてんの」
「あー?」
 一方的に健悟が蓮を知っている時期の存在は蓮にとっては不本意なものでしかなく、どっちが良かったのだと言いたげに健悟を睨むけれど、健悟は愚問だと言い切るが如く蓮の項に己の掌を這わせて引き寄せた。
「かわいいって言ってるんですぅー」
 うりうり、と蓮の額に自分のそれを押し付ける健悟は本当に愛でるような表情をしていて、写真も実物も、子ども時代も今も、蓮ならば何でもいいと、どちらも選べないと言わんばかりに蕩けた表情をしている。
 健悟がナチュラルに唇を食めば、その動きは予測していたのか蓮は逃げることなく唇を開けていて、誰も居ない広いスタジオの中、暫くは狭い空間でいちゃいちゃとくっつきあっていた。
「―――じゃ、お祝い行こっか。蓮も今日から大学生だしね。なに食べたい? お寿司? 焼き肉?」
「肉!」
「オッケー」
 随分とくっついた後に満足したのだろう健悟が蓮に問えば、間髪空かずに大学生男子らしい返事がやってきた。
 芸能人御用達の話題の焼肉屋に電話を掛ける健悟の横で蓮はうきうきと弾んでいるものだから、健悟はただひたすら、かわいいなぁ、とその頭に顔を埋め、髪の匂いを嗅ぎながら予約の電話をしていたのだった。




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あきゅろす。
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