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「! 泉さんっ」
 真っ先に反応したのは蓮で、健悟の手前、はしゃいでいる事実を隠すように少しだけ浮かせた腰を整える。
「……蓮くん?」
「、お久しぶりです」
 驚いたと言わんばかりに無意識のうちにファイルを閉じた健悟のマネージャー―――泉(イズミ)は蓮を見て一度首を傾げたけれど、眼の覚めるような金髪を視界に入れては改めて蓮を認識したようだった。
 一見して分かるほどに嬉しそうな蓮に健悟がムッと眉をしかめると、それを見た中条は呆れ混じりの溜息をつきながら二人の前にどっしりと腰掛ける。
「泉。それ急用?」
「あー……いえ、そちらが終わってからでも大丈夫です。―――コーヒー持ってきますね」
「よろしく」
「蓮くんはグレープフルーツジュースで良いかな?」
「あ、はい、ありがとうございます」
 以前泉と逢った際に好きだと言っていたことを覚えていたのだろうか、優しく了承を得る泉に蓮が頷いては、その度に健悟が眉を寄せて文句を零していた。
「なんだあいつ、昔はあんだけ蓮のこと嫌ってたくせに……」
「……てめぇのせいだろ、てめぇの」
「てっ」
 自分の行いを棚にあげて泉の背中を睨む健悟には蓮の方が呆れてその頭を殴ると、健悟は随分と不服そうに唇を尖らせて不満を全面に押し出していた。
「泉とは面識があるの?」
 不思議そうに首を傾げた中条に、蓮は少しの綻びを携えながら頷く。
「あ、はい。前に一度食事を―――」
「食事!?」
「……あ。」
 うっかり、とでも言うような蓮の挙動は酷く怪しいもので、それを眼にした健悟が逃すはずもなくピクリと眉を顰めた。
「ちょ、えっ? 「あ」ってなに!!!」
 中条など居ないものとでもいうように蓮へと照準を定めた健悟は隣にある肩をぐいと握って、がくがくとそれを揺らしはじめた。
「、あ゛ー……」
 しまった、とでも言いたいかのような蓮の言葉はしっかりと表情まで洩れていて、もう隠せないことを悟ったのか溜息混じりにぽそりと呟く。
「…………っせ、一回おめー抜きで話したんだって、別に報告するほどのことでもねぇだろ……」
「報告するほどのことでしょ、ことだってそれ!」
「あーーー、ハイハイごめんごめん」
 今度からするから、と昨晩交わした約束を思い出しながら蓮が言えば、健悟は酷く不服そうな顔をしながらもギリギリと唇を噛み締めていた。
「…………」
 唇をきっちりと尖らせて不機嫌そうにしている健悟の許へと格好のターゲットでもいうように泉が戻ってきて、アイスコーヒーとグレープフルーツジュースをローテーブルの上へと並べていく。
「てめぇコラ、いつの間に蓮に手ぇ出したんだよ」
「あ。バレちゃった? もー、蓮くんだめだって、内緒にしてって言ったのに」
「……すいません、つい」
 仕方ないと困ったように笑う泉に蓮が苦笑を返すと、間髪入れずに健悟の質問が頭上を飛び交った。
「……それいつの話? つーかなに、なんで? 何話したの?」
 好奇心丸出し、これ以外に聴きたい情報などないとでも言うように健悟が質問をすると、蓮は返答に困ったかのようにツツツと視線を右上へと逸らした。
「……あーー、そのうちな、そのうち」
「ああ、おれが言うよ。……そのうち」
 泉がからかうように笑いながら言えば当人には違いないだろうに疎外感を募らせてしまうことも無理はない。
「……そのうちっていつだよ」
「んー、そのうち?」
「てめぇ、泉っ!」
「時期が来たらな。ね、蓮くん?」
「、……ハイ」
 静かに笑みを浮かべた蓮に最も驚いたのは健悟で、まるでアイコンタクトで会話が成立している二人を阻むように金色の頭を自分の腕の中に隠しながら泉を睨みつけた。
「………………」
「馬鹿じゃねぇの? そういうんじゃねぇよ、ガキが」
 そんな健悟の行為すら鼻で笑った泉は流石子供のころから健悟を育ててきただけあって、随分と子供扱いをしていると思う。
 常日頃からこうなのか、お互いがお互いを牽制するような態度はタレントとマネージャーというよりもまるで友人や兄弟のように分類されて、珍しい、と蓮が思うことも無理はない。自分以外に、健悟とこうして言い合える人物が居ることを、初めて知ったからだ。
「あーもう、分かったから。健悟。アンタ突然仕事の邪魔しに来た程度の用はちゃんとあるんでしょうね?」
 この馴れ合いにも慣れているのか中条が呆れたようにその場を制して、アイスコーヒーをぐびぐびと喉に流しながら問う。
「ん? ああ、あるよ。こいつ俺の家に住むから、っていうその報告」
「―――……は?」
 それに対してあっさりと本題を述べる健悟に驚いたのは当然中条、そんなにあっさり言って良いものなのか、と蓮が肩を強張らせると、その空気を悟ったのか健悟がぐいと蓮の肩を抱き寄せながら中条に見せ付ける。
「っていうか住んでる、昨日から。ねー?」
「…………」
 同意を求めるように蓮を覗き込む健悟の顔は満面の笑みに溢れていて、蓮は直視できないとばかりにぱっと眼を逸らした。その反応に気を良くしたらしい健悟は先程までの負に満ちた表情から一転、喜々として中条へと笑みを向ける。
「忙しくて連絡できなかったんだわ、わりーね」
 昨日今日のオフをもぎ取るために奔走していたことは中条とて泉とて知っていたからこそ健悟はそう加えたけれど、泉はアイスコーヒーにささるストローを噛みながら眉をしかめて舌打ちを繰り出した。
「……嘘つけよ、連絡したら反対されるから言わなかった、の間違いだろ」
「意味わかんねぇよ、泉」
 厭味をさらりと流して蓮の手を取る健悟は自信に溢れていて、反対意見など聞かぬとでも言いたげに離せと騒ぐ蓮の指に自分のそれを絡めた。
「ま、顔見せっつー自慢だから。その辺ヨロシク」
「あんたねー……それならそうと先に……はぁ」
「ごめんって」
「あー……まぁねぇ、この子が居るからあんたが頑張ってるっつーのもあるしね。良いけど、……絶対にバレるんじゃないわよ、」
 眼を伏せて溜息をつきながら言う中条の真っ正面、その言葉を聞いた健悟はぷっと吹き出す。嘲るような笑い声に中条が眉を顰めて顔を上げると、健悟は口端をつり上げながら蓮の右手小指を自分の口許へと近付けた。
「―――俺がやっと蓮と住めるっつーのに、んなヘマすっと思ってんの?」
 そして、そう自信満々に言いながらとても幸せそうに指輪にキスを落としては、中条にかける声とは一転、柔らかな甘い声で「ね、」と蓮に向けて同意を求める。
 ごくり、とその気迫に負けそうになりながら息を呑んだのは中条だけではない、社長室という小さな部屋の空気が数秒間停止した。その後、そんな顔も出来るようになったのかと、泉がガリガリと頭を掻くとそれが合図だとでもいうように空気が壊れては、蓮はハッとしたようにその指を健悟から引きはがした。
「あー。なんで〜?」
 すると寂しそうに健悟が身体ごと近付いてくるものだから、蓮は自然と真っ赤になってしまった顔を隠せぬままに健悟の頭をバシンと殴りつける。
「ってえ!」
「……バッ……おまえ……!」
 わなわなと唇を震わせては人前で何をしているのかと叱り付けたい気持ちでいっぱいになったけれど、何が悪いのかという悪びれもしない視線を受けたからこそどこから説明して良いものかと返答に迷ってしまった。
 赤い顔で次に続く言葉を考える蓮は聞かずとも恥ずかしいと表情が物語っていて、それを見た中条はなにかを納得するように何度か頷く。
「……ふーん。……たしかにちょっとかわいいかもね、その真っ赤な顔は」
 そしてぽつり、蓮を見ながら品定めをするように中条が思案すると、健悟は何処からか危険を察知したのか急いで蓮を中条から隠すように抱き込んだ。
「……!? 蓮! 帰るよ!」
「、はっ、まだ飲んでない……」
「ばかっ、そんなのあとで買ってあげるから!」
「ちょっ……!」
 状況も把握していない金髪が健悟の腕の中でもごもごと動いては暴れたけれど、健悟はダメダメと繰り返しながら中条から隠すように事務所の建物を後にする。
「あーもうだめだめ、あんなとこいたら危ないから、マジで」
「おめーが連れてったんだろーがよっ……!」
 バタン、車内に乗り込んで急いでエンジンを吹かし出した健悟に呆れるけれど、当の本人はそういう問題ではないと、当初の予定は遂行したから良いのだと言い張っては唇を尖らせながら繰り返し小さく頷くのみだった。
 ハンドルをぎゅうと握りながら、「あの女は気に入ったらあっさりデビューさせるから! だめっ!」と騒ぐ健悟は子供のようで、それと同時に所詮は過保護で親馬鹿な保護者のようにも見えてしまう。
 なにを馬鹿なことを、と蓮が呆れることはもちろんだけれども、それ以上に、大事にされていることは充分すぎるほどに伝わってくる、全身全霊をかけるように重すぎる想いで縛られることは悪くない。
 その想いを伝えるかの如く、健悟からは早く家に帰りたいと甘えるようにぎゅうと手を繋いで来るものだから、そんな想いは同じこと、いつもよりも少しだけ体温の低いそれをはやく温めてあげたくて、蓮も同様に、指先に力を込めて握り返しては言葉を発さずに答えを出した。
 発車後は指輪の距離も離れたけれど、赤信号で停車すればまた飽きもせず健悟が蓮の頬を突いたり唇を抓ったり、間も空けずちょっかいを出してくるそれが酷くもどかしくて、これといった会話なんてなかったけれど、無言の空間はとても心地の好いものだった。



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