おつかれさまでしたー、という多数の声がスタジオ中に響くと同時、会釈をしながらスタッフの間を抜けていく健悟は一目散に蓮の手首を掴みながらスタジオを後にしようとした。
「……蓮。行くよ」
「ういー」
 けれども蓮が大人しく従ったのは健悟に連れられて歩き出すというその一点のみ、ここ数分ですっかり見慣れてしまった顔を視界の隅に入れれば、健悟に着いて行くよりも先に、ほぼ無意識に健悟に掴まれていない方の腕をあげていた。
「あ。じゃーな、仲北―」
 まるで高校のクラスメイトに話し掛けるような感覚で手を振ると、それに目敏く反応した健悟はムッとした表情をあらわにしながら蓮の鼻をむぎゅっと抓ってくる。
「……なぁに仲良くなってんの、この子は」
「ってぇ!」
 咎めるように口を尖らせた健悟に蓮は「痛い痛い!」と訴えて、目をぎゅっと瞑りながら両手でその手を離そうと格闘していた。その光景を視界に入れた仲北は驚きを自分の胸のうちにのみ隠しつつ、若干の怯えも含みながら少しずつ二人へと歩み寄ってきた。
「お疲れ様です!」
「、……オツカレ。」
 しかし、礼儀正しく挨拶をした仲北に向けて、健悟は不機嫌な顔を隠すことなく蓮の鼻から手を離す。
 それと同時に蓮を隠すように少しだけ前に立つものだから、あからさまな警戒に蓮はすっかり呆れてしまった。無駄なことを、と思えば少しだけ苛ついて、後ろ姿の健悟にだけ聞こえるように、ぼそり、小さく呟く。
「……大人げねーヤツ嫌いよ、俺」
 細やかな声ながらも不機嫌を隠さない蓮のそれはしっかりと健悟にも届いていたようで、蓮の小さな声が空に溶けたたっぷり三秒後、健悟の職業上似合うことのない無理矢理な笑顔とそれに見合った声が聞こえてきた。
「……お疲れ様、またよろしくね」
「、はいっ!」
 声を聞くだけでもヒクリと口許が歪んでいそうな表情が窺えたけれど、仲北はそれに気付くことなく小気味良い返事を届ける。
 けれども、お辞儀をしながら去っていく仲北の背中を眺める蓮が健悟の腰に手を置いて、まるで良い子良い子とでもいうように撫でるものだから、健悟は悔しそうな表情を隠すことなくその手を引いて楽屋まで駆けていくことしかできなかった。
「……だから動かないでねって言ったのにー!」
「……言われてからは動いてねぇよ、一歩も」
 不機嫌そうな健悟に呆れながら蓮が溜息を吐いて、無造作に置いてある椅子へと座り込む。扉をしっかりと閉めた密室の楽屋で健悟がぷりぷりと怒りながらジャケットを脱ぐものだから、一刻もはやくこの場を去ってやるという無言の執念さえ感じ取れた。
「マジころすあいつ、仲北……!」
「……物騒なこと言うなバカ」
 はあ、と溜息を吐きながら蓮が引っ張ったのは健悟の脱ぎかけのボトム、外し途中だったベルト部分を引っ張って自分の許へと健悟を引き寄せると、その違和感に気付いた健悟の顔が少しだけ疑問に満ちていた。けれどもそんな表情などはただの一瞬だけ、少しだけ赤い蓮の頬に気付いた健悟が嬉しさを噛み締めるかのような表情で首を下げてくれば、その顔は先程の怒気を孕んだ顔よりもむずむずと嬉しさを噛み締めているものでしかなかった。
 無言のまま健悟が背を曲げて、蓮が言わずとも眼を閉じたその顔は化粧が施されたままの綺麗なもの、瞼を伏せる長い睫毛に向けて、機嫌を直せとも言うように蓮が一度キスを落とせば、至極嬉しそうに微笑んではすっかり機嫌を取り戻したようだった。
 単純、と蓮が言えばそれすらも満足そうに飲み込んで、今度は健悟が床に膝を着いて蓮にキスを強請るものだから、眼を伏せながら見上げてくる唇に温度を伝えたのは一瞬、服が汚れるから止めろと健悟の頭を叩けば、起き上がってからたっぷり十秒程蓮に抱き着いた後で漸く、着替えを再開したようだった。
 時計を見れば未だ午後二時をさしている段階。この後たっぷりと空いている時間を思い出したのか、途端に楽しそうに着替え出した健悟の行動ははやく、現金な態度も変わらないと言いたげに蓮は健悟へと話し掛けた。
「で? 今日まだほかの仕事あんの?」
「んーん、今日はこれで終わり。他はズらせたんだけど、これだけは急ぎだからって駄目だったの。ごめんね?」
 シャツのボタンを閉めながら当たり前のように、ちゅ、と唇に音を残して来るものだから、不意打ちのそれの一瞬後、蓮が照れからかつい視線を逸らしてしまうと、健悟は余計に楽しそうに口元を緩めていた。
「……いーよ」
 自分から仕掛けるのならばまだしも不意打ちで仕掛けられる行為には未だ慣れず、蓮が少しだけ口ごもる。
 その視界の端でしてやったと言わんばかりに楽しげに着替えをする健悟を見ては本当に先程までの撮影と同一人物なのだろうかと疑ってしまうことも無理はなく、数分前に駆られた衝動と優越感を思い出しては、意識せずともにやりと口元を緩めてしまっていた。
「……まぁ、たのしかったし」
 蓮が口角を上げてそう言えば、バッと勢いよく振り向いた健悟が眉を顰めながら声をあげる。
「……仲北が居たから!?」
「だーからっ、あほっ! てめぇの撮影見たからだろうが」
「、」
「…………はぁ……」
 見当違いな回答を正せば寄っていた眉が一気に解れて喜びを見せるものだから、今にも抱き着いてきそうなそれを右手ひとつで制して、いいからとっとと着替えろと舌打ちをした。
「あーもう、んで? 次どこ連れてってくれるんスか、東京観光は」
 溜息を吐きながら蓮が問えば、健悟はふにゃっと笑顔を見せて、前々から画策していたのだろう計画をあっさりと口にする。それはもう、至極楽しそうに。
「んー、とりあえず、同棲記念のご報告にでも行こうかなぁーって」
「……は?」
 ひく、と蓮の口角が引き攣って首を傾げたのは一瞬、次の瞬間には着替えを終えた健悟に手を取られてスタジオを後にさせられるものだから、どこに行かされるのかも分からぬまま、真っ黒な車のエンジン音だけが蓮の心臓へと響いていた。



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