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「…………おい」
「ん?」
 情に流されている感覚はある、突然沸き上がる衝動と一ミリも離れないこいつの体温に乗せられている自覚もなくもない。……けれども、じわじわと沸き上がるこの嬉しさと、この気持ちだけには、なにをどうしても嘘をつくことは難しいと、そう思う。
「……ちょー待て、今調べっから」
 決して流されているわけではない、そう自分に言い聞かせながら蓮は携帯をポケットから取り出して、健悟の中から離れようとした。
 ……けれども。
「……やぁーだ。」
 にやにやとした顔は見ずともわかる、まるで語尾にはハートマークが散りばめられてそうな芸能人は変わり身が早過ぎるだろうと殴ってやりたいくらいだった。
「…………」
 ふにゃりとした笑顔に高い声、逃がすことが業だと言わんばかりに絡み付く腕と身体、芸能人の真嶋健悟でも、この家に遊びに来ていた健悟でもない、甘ったれた姿は子供返りしている駄目な大人そのものだったけれども、此方が本性なのかと、それを自分にだけ見せてくれているのかと、その事実を嬉しいと、可愛いと思ってしまっている時点できっと、自分も大概重症なのだという自覚だけはあった。
「……っと、ここで、たちあげ、て……」
 左手で持っている携帯電話に、右手の人差し指でゆっくりと文字を打ち込んでいく。つい一分前まで孕んでいた空気とは思えないほど色気のイの字もない空気は蓮が余りにも必死に携帯電話に向き合っているからで、検索する内容が内容なだけに健悟は何と検索をかけるのだろうかと後ろから覗き込む。
 不安定ながらもまずまずは使いこなせているらしい携帯電話、文字を人差し指で打っているのはインターネットに繋ぐという動作が不慣れだからだろうか、どこだっけ、と眉を顰めながら模索している蓮を見ては、触りたいという願望を必死に鎮静化に向かわせることが先決だと思った。
「れん、少しはケータイ使えるよーになったの?」
「おー、武人に教えてもらった」
「…………へー」
 さらりと答えた蓮に対して数秒間を迎えてからの健悟の反応、武人、という言葉に突っかかったのか蓮の腹に回る手がわかりやすく強まったことで、蓮は口角を上げながら溜息を吐く。
「男の嫉妬は見苦しいぞ」
「……うわ殴りてぇマジで、武人ってやつ」
「俺じゃねぇんだ」
 蓮がハッと鼻で笑うと、殴れるはずがないとでもいうようにもぞもぞと健悟が髪の毛に顔を埋めてくるものだから、距離の無さに落ち着かず肩を揺らしてしまうことも仕方のないことだった。
「……つーか、おまえは寧ろ感謝した方が良いよ。俺武人居なかったら、……多分おまえから一生逃げてただろうから」
 健悟が居なくなった後、どうでもいいという素振りをしながらも一番面倒を見てくれたのは武人に違いない、黙って話を聞いてくれたことも、何を言うでもなく無言で後押ししてくれたことも、きっと二度と忘れることは無いのだろう。
 今は恥ずかしくて言えないけれど、何十年後には笑ってあの時はありがとうと、空気に任せるように伝えることが出来るのだろうか。そう考えたらそれだけでどこか恥ずかしくなってしまって、蓮は軽く頬を擦ってから、にやけた口元を押さえるようにもう一度携帯電話へと瞳を落とす。
「…………感謝っていうか、そんなに蓮を動かした武人って奴にムカつくしかないんすけど」
 その蓮の動きである一部始終を横顔から見ていた健悟が眉を顰めるも、蓮にとってもその解答は舌打ちを繰り広げてもおかしくないものだ。
「……俺の親友なんすけど」
「余計ムカつくんすけど」
「勝手にしろバカ」
「、呆れた!」
「呆れるわアホ! ちょっと黙ってろ!」
「…………」
 うっせぇな、と舌打ち混じりに呟かれたことに、いつもの蓮が帰って来たと思うと同時、同じ空間に居るというのに蓮の双眸が向かう場所が自分ではないことに不満が募ることもまた事実だった。
「だっから、だいたい調べるくらいなら俺が教えるって言ってんじゃん……実践で……」
 ぶつぶつと愚痴りながら健悟は蓮の髪の毛で遊んでいて、少しだけ根元が黒くなり始めているそれに、いつもはどこで染めているのだろうとぼんやり思う。
「やだ。おまえだけ知ってるとかフェアじゃない」
「相っ変わらずプライド高いんだからもう」
 まだですかー、と健悟が溜息を吐くと同時、もう待てないとばかりに蓮の肩に額を擦り付けると、蓮からは、「あ、これかも……」と小さな囁きを得ることができた。
「あったー?」
 蓮が調べていたのはあくまでも方法論、初っ端からゲイビデオのようなサイトに飛ばされてはこの先の希望は微塵も無くなってしまいそうだと、健悟は値踏みをするように蓮の携帯電話を覗き込んだ。
 最新機種とは程遠い携帯電話、比較的小さな画面に映し出されていたのは男同士の恋愛について記載されているページ、実際に致すことが目的と云うよりは、概念のようなノウハウを教えるようなサイトらしかった。
 れん、それちがうよ……とガクッと頭を下げたけれど、当の本人はカチカチと一文ずつ読み進めていて、今まで掠ったこともない知識を存分に会得しようとしているようだった。
「なにそのサイト……」
「っかんねぇよ」
 今読み始めたばっかだっつーの、と言い放った蓮の先に見えるのは、芸能界でも数字が取れると話題のキーワードの羅列のようなものだった。ビーエルとか関係ねぇからはやくガチな方検索してよ、と健悟が溜息を吐く横で、新しい開拓に興奮しているのか、蓮は少しだけ楽しそうな声で「なぁなぁ」と健悟に話し掛けてくる。
「かっぷりんぐって、なにこれ、名前くっつけてんの? ……俺らだったら、けんごれん? れんけんご? ……語呂わりぃな、れんけん、けんれん……みてぇな?」
「、」
 顔の先だけ振り返っては上目遣い、嬉々とした声を出す蓮を健悟が跳ね退けられるはずもなく、自分と相手をひとつの組として考えてくれる思考回路すらも愛しいと、今ならば蓮の行動すべてを許してしまいそうな自分が怖い、どうでもいいと思える質問を跳ね除けられるはずもなく、健悟は大きなダメージを喰らった頭を抱えてしまいたくなりそうになりながら、それをひた隠しにするように肯定の返事を渡す。
「……じゃねーの?」
「んー……、ケンレンって……なんか漫才コンビみたいだな。ドーモー、ケンレンでーっすみてぇな」
「やろっか、舞台ならいくらでも用意できるよ、夫婦漫才」
「やんねぇよバカ死ね」
「……死んだら泣く癖に」
「…………はぁ? 、泣かねぇし」
 尻すぼみになった呟きは若干の戸惑いを映しているようで、健悟は込み上げる情欲を我慢できずに蓮の背中へと改めて覆いかぶさる。
「っ、かーわーいいいいい!!」
「うっぜぇよ! なんかもううっぜえよマジで!」
 離れろアチィ!! と蓮が肘を使って健悟の脇腹を攻撃すれどもその攻撃に力が入っていないことなど一目瞭然、拒否されているどころか許容されている気配を感じ取っては、健悟はひとり蓮の首へと唇を這わせていく。
「んー」
「、だっから、噛むなっつの……」
 がじ、と噛んではみたものの痛さも伴わない程度の感触だろう、痛さと云うよりも寧ろ恥ずかしさから蓮は首を後ろに下げたけれど、それはそれで見える喉元に舌を這わそうとするものだから、本当に、油断も隙もない。
「おい、って!」
「……だーって。暫く逢えないんだから牽制しておこうかな、と」
「はあ?」
 蓮にはまだばれていないらしい項と肩のキスマーク、噛み跡でも足しておけば邪魔者を避けることはできるかと本気で考えてしまっているほどだ。
 しかし健悟のそんな思惑とは裏腹に、蓮はひとり「うーん……」と頷きながら背を健悟へと預け、何か難しい顔をして心もとない記憶の紐を解きほぐしているようだった。
「……つーかケンレンって……なぁんか聞いたことある気ぃすんだよなー……あー、なんだっけ……」
 うーん……眉を顰めながら首を傾げて、なんだっけ、と繰り返す蓮の所作に緩む口元を抑えきれないのは健悟だけ、悩ましい顔をしている蓮にふっと笑いながら、蓮の左腕を持ち上げる。
「分かんない言葉があるときはどうするんだっけー、れんくん」
「えー、辞書? 本棚遠い……」
「おばか。ネットで調べれば良いでしょ」
「あ、そっか」
 全くもって考えもしなかったと言いたげな表情はまさに携帯に慣れていないことを表しているようで、たどたどしい手付きで言葉の検索を始めていく。けんれん、じしょ、その二文字を漢字変換もせぬままに検索を掛けた様子にはつい笑ってしまいそうになったけれど、本人は至って真面目にやっていることなのだろう、そう思ったからこそ健悟は己の掌で鼻から下を覆っては全力で笑いを噛み殺していた。




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