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「おかげさまで」
「……ごめん」
「マジでとってんじゃねーよ、人のこと言えねーくせに」
 ハッと鼻で笑った蓮が健悟とくっついている背中をもぞもぞと動かすと、相変わらず綺麗な腹筋がついているだろうという気配があるものの、健悟の場合は見た目でわかる、絞ったというよりは窶れたに近いような風貌は健悟を一目見た瞬間から気付いていた出来事だった。
「おまえの方がやべえだろ、見られることが仕事だっつーのに」
「蓮に振られたせいで仕事にもなんなかったんです、ちょうかわいそうオレ〜」
「ばっ、振ってねえよ」
「シカトされまくって見送りでも一言も喋んなかったら嫌われたと思うんです、普通ー」
「……うーわ根に持ってやがる」
 げろ、とわざとらしく口にした蓮に健悟はこっそりと笑った。振っていないと、ただ擦れ違ってしまっていただけだというような蓮の態度が嬉しくて、今更ながらに本当に好きでいてくれているのだろうと、奇跡にも似た感情に感謝することしかできなかったからだ。
「持ってるよ?」
 蓮のせいだったんだかんね、と言いくるめるように言った健悟は、それを聞いて少しだけ気を落としてしまったらしい蓮のうなじに口づける。
 ちゅ、というリップ音が鳴るのはひどく久しぶりの出来事、少しの躊躇いの後、必要以上に吸い付けば自分好みの鬱血が蓮のうなじに宿るものだから、金髪に映えるそれを見て微笑むことしかできなかった。
「……根に持ってるから、ちょっとそれを弱みにして付け込みたいくらい」
 本来ならば過ぎた出来事などどうでも構わない、けれども罪悪感を持っているらしい蓮は付け込んでくださいと言っているようにも見えて、健悟は辛抱堪らず触れ合う場所ををうなじから骨格へ、頬へ、と段々と蓮の顔を片手で近付けながらリップ音を増やしていく。
「…………」
「なんで擦るの!」
 けれどもそんな蓮は健悟が触れた場所をわざとらしく手の甲で擦っては痕跡と感触を消そうとするものだから、その姿を見た健悟はつい笑ってしまい、色気も飛ばして突っ込んでしまった。
「や、だって、……なんか、……恥ずい」
 けれども色気を飛ばしたと思っていたのは健悟だけ、真っ赤な顔をしながら頬を擦る蓮に不意に当てられては、突然の攻撃に腹の底から熱欲が上昇してくるのを感じてしまった。
「……かっ……わいいなぁもうっ……」
 ふるふると震えるように、暴走を堪えながら健悟が蓮のうなじに顔を埋めると、蓮は信じられないとでもいうように過剰に反応しては、すっかり何かに堪えているような健悟を制する。
「だからもうなんでだよ、ツボがわかんねえよおまえの!」
「……じゃ分かって、おまえのやることなすことツボに入るから」
「抽象的すぎて分かんねえよ!」
 アホか!と蓮が怒ったところで微塵のダメージも喰らっていない、それどころか我慢できないとでもいうような性急さでTシャツの中に手を入れられてしまい、温度の違うそれを感じた瞬間、ゾクリと身体中に鳥肌が走っていった。
「……れぇーん、」
「、」
 耳元で囁かれることに弱いと知っての攻撃だろうか、熱い息を耳元で吐かれた次の瞬間にかぷりと耳朶を噛まれてしまったものだから、一瞬にして変わってしまった空気にカッと顔が赤くなる。
「ちょっ……おい」
「んー……」
 もぞもぞと背を動かして健悟の腕中から逃げようとしたけれど、反対に搦め捕るように捉えられてしまった。熱い息が耳にかかる、いい加減にしろと腕を回せども、えもいわれぬ速さで健悟の腕が蓮の薄い腹を撫でていく。
「おっま……分かってんのか、下に利佳居んだぞ?」
「……利佳が居なかったら、良いの?」
「……!?」
 逆に、とも言える質問を繰り出しては試すように尋ねられて、まるで人が変わってしまったかのようなオーラの差に驚く。
 こっそりと健悟の顔を覗き込めばまるで欲に満ちた瞳をしていて、その対象が自分なのだと、蓮がそう悟った瞬間、隣にあるタオルケットに潜って隠れたくなってしまったほどだ。
「っ、」
「先に言っとくけど、俺は超シたいからね、今すぐにでも」
「シたい、って……」
 まさか、と訝しんだ蓮がおずおずと尋ねると、にっこりと微笑んだ蓮好みの顔が嫌らしく歪んで、諭すように語りかけてくる。
「……れーんくん、もう高校生なんだから。分かるでしょ?」
 暗に男女でするだろうそれを雰囲気で示されると同時に腹に這っていた健悟の掌がゆっくりと上昇してきて、弄り方を変えて来るものだからぞわぞわと沸き上がる鳥肌を抑えられそうにない。
「ッ、……却下。」
「なんで」
「バカか、できるかっ」
「……できるよ、ここで」
 言うと同時に健悟の太股の上に乗っていたお尻の中心を撫でられて、現実的に襲ってきた初めての危機感に身を堅くしてしまった。
「う、そださわんな気持ちわりぃ」
「ひっど……!」
 健悟の掌が這う周辺から、意識するよりも前にぎゅっと力を入れてしまったせいで下半身に余計な力が入った。身構えてしまった所作は容易に健悟へと伝わって、先程までは身を委ねていた背中が緊張からかピンと背筋が張られていることに気付く。
「……なんで? 高校二年なんてヤりたい盛りじゃんか、俺そんなことばっか考えてたけど」
 罪悪感もなく健悟が言い切ると、少しだけみえる顔の位置から全力で健悟を睨みつけながら、不審という言葉をあからさまに顔に貼付けている蓮がいる。
「大丈夫、おまえとだから」
「それはそれでキメェよ……」
 キリッと断言した健悟はどこからくるのか自信満々に言い切るものだから、蓮は大きく深い溜息を返すことしかできなかった。
「全然気持ち悪くないよ。利佳から写真いっぱい貰ってたし、逢ったころのおまえばっか考えてたわけじゃないから、俺も」
 ね、と宥めるように言われたけれど、深く考えれば考えるほどその言葉の意味を追求してはいけない気がしてきた。
 だって、それは、つまり、写真の中の俺で宜しくない考えに至っていたと告白してきているようなもので……!
「まっ、真面目に言ってんじゃねえよキメぇよどっちにしろ!」
 アホ!と健悟の身体から逃れようとすると、まるで開き直ったかのような声音が上から降って来る。
「……じゃあ蓮は、シたくないの?」
 ストレートな誘い文句は甘い匂いを孕んでいて、するすると腹を撫でる掌は微塵の罪悪感もなく上昇していく。
「…………ッ、」
「もっと触りたくない? 俺だけ?」
 懇願するような瞳を引き連れながら強請るように上目で見ては、健悟は蓮の手を引いて己の頬の上まで持って行った。
「だったら、なんで蓮は俺にキスしたの?」
 ねぇ、とたった一言言葉を発する度に小さく揺れる身体、力を抜いていた蓮の手が段々と意識を宿すように指を伸ばしてくる。柔らかい頬の上、掌が押し付けられる感触と同時に、親指の腹でじんわりと目下を撫でられる。
「……俺は、俺以外のヤツの方が蓮を知ってるとか、そんなのぜったいヤだかんね」
 健悟は蓮の曲げられた指を包み込みながら、自分で言った事柄を想像しては不満げな顔で言い放った。蓮が触れている箇所が気持ち良い、夏の暑さを凌駕する心地良さに身を委ねながら、今だからこそ言える本心を紡いでいく。
「だって俺が知らない蓮なんてたぶんいっぱい居るんだよ、それがヤなの、……おれは、蓮の全部を知りたいの」
 我儘だと分かりつつも、今の状況ならば許して貰えるのだろうそれを漸く口にする。
 俺めっちゃ重いよ、多分、と消えそうな声で呟けば、少しの沈黙のあとに「……だろうな」と呆れたような肯定の返事があったことに、少しだけ救われてしまった。
 だって、十年分だ、十年間言えなかったことも言いたかったことも無限にある。それを言葉だけでも了承してもらえたことが嬉しくて、健悟は蓮の肩を捉えるように抱きしめた。
「……すっげーストレート……」
 あからさまな独占欲も、告白まがいの台詞も、直接的すぎて何の障害物も通さず心まで響いて来る。そう思ったからこそ蓮はつい笑ってしまったけれど、その衝動が嬉しさから込み上げたものだということは分かっていた。
「………………」
(だってそんなの、―――……おれだって、そうだ)
 自分なんかよりも比べものにならないような数と量の人と係わり合う健悟、そんな健悟を見て同じ感情を抱いてはいたものの、伝えて良いとは思えなかった。迷惑がられはしないかと、拒否されはしないかと、悩んでいた自分がバカバカしくなるほどだ。
 きっと同じ気持ちなら、こうして言葉にしてもらえることがどんなに嬉しいことか、どんなに安心できるものか、いまならば漸くわかる気がした。




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あきゅろす。
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