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「……前にさ、おれが嫌いなこと教えたじゃん」
「え、うん」
「すげー笑い話な、これ。……今俺がこえーことってなんだとおもう?」
 ハッと自嘲気味に笑った蓮が健悟に問えば、健悟はその言葉も呑み込めないのか、額に指先を当てながら苦笑していた。
「あー……ごめん、え、すげ、テンパってる。何も出てこない」
「はっ、……じゃ、おまえ以上にすっげえこと言ってやるよ」
 蓮はこれからする自分の発言を馬鹿にするように鼻で笑ってから、なるべく健悟と目を合わせないように呟く。
「おれがこえーのは、いまも、ずっと、……おめーから嫌われることなんだよ」
 そして最後まで言い切って、ちらりと健悟を覗いてみればすっかり目を開いて唖然としている表情があるからこそ、蓮はふっと口元を緩めてつい笑ってしまった。
「……なっさけねー顔」
「え、だって……」
「……いまだって、正直、んなことしてキモイって思われてねぇかすげぇ気になってんよ。でもおまえが、二度と来ないとか言うから、……マジでどうしたらいいのか分かんないんだって」
 絡まり縺れた感情をどこから整理していいかもわからぬまま、感情に任せて吐露すれば、言いたかった言葉は、伝えたくても伝えられなかった言葉は信じられないほどに湧いてくる。
「俺だっておまえから嫌われるのが怖くて、離れよーって思っても無理で、何回も何回も何回も、すっげぇいっぱい思ってもやっぱ無理で、やっぱすげえ逢いたくなって、……馬鹿だって分かってっけど、それでも俺だっておまえに逢いたかったんだから、仕方ねぇじゃんっ」
 逆切れするように健悟を睨むけれども、少しずつでも言葉を理解していったらしいその頬は緩んでいて、マジで、と小さく呟かれれば恥ずかしさから脇腹を殴ってしまった。
「……つーかムカツク、マジなんでおまえなんかにこんなこと言ってんの、超痒いんだけど、キモイんだけど」
「……逢いたかった、って」
「……っせー」
 健悟が言葉を噛み締めるように言えば、蓮は照れたように顔を背けて呟く。
「おら、証拠、疑うなら見ればいーだろ」
 蓮が見せびらかすように荷物を蹴れば、健悟は恐る恐るその中身を確認しては、着替えがガサツに収容されたそれを見て漸く顔をあげた。
「…………」
「…………マジで?」
「…………」
 ぽつりと呟いた健悟から眼をそらした蓮は肯定を示しているようで、健悟は荷物から離れてずいっと蓮に近寄っていく。
「……なに、期待するよそんなん、何言ってんの? 何言ってるか分かってんの?」
「ふざけんな」
「、」
 探るように健悟が問えば、蓮はそれを一蹴するように言葉通り睨みをきつくした。チッと舌打ち混じりに紡がれる言葉は汚いながらも純粋な本能で、蓮はなるべく健悟と目を合わせないように、恥ずかしくて死にそうだと思いながらも、湧き出る感情をひとつひとつ伝えていく。
「俺が……俺が、どんだけおまえの行動に振り回されて、何回期待して落ち込んだと思ってんだよ」
「、れん?」
「わかんねぇだろ、おまえに意味わかんねぇキスされたとき、手ぇ握られたとき、だ、抱かれたとき、全部全部おまえのだ、おまえが俺を勝手に振り回して、んな、バカみてーにドキドキさして……、んなのわかりもしねぇクセにおまえだけが被害者ぶってんじゃねぇよ! バッカじゃねぇの! おめぇだけが、すきだとか、きらいだとか、そんなんで片付けんなっ」
 毛を逆立たせる猫のように、蓮が睨みを強くした。けれども言われた本人はそんな所作を気にすることなく、告げられた言葉を精一杯理解しながらぽつりと言葉を紡いでいく。
「そんなん……言っていいの?」
「あ゛ァ?」
「……俺、蓮が思うほど、できた人間でもないし、綺麗な人間じゃないよ。いまだって、蓮のこと滅茶苦茶にしたいっておもってるんだよ?」
「滅茶苦茶って……」
 蓮は向けられた率直な言葉を馬鹿にしたように苦笑したけれど、健悟は至って真面目な顔で叱った。
「笑わねーでよ。俺すげー重いよ、蓮にひとこと言われれば、なんだってするくらいの覚悟は出来てんだよ。攫ってでもどっかに逃げて、蓮とずっと居れんならそれでいいんだ、じゃなきゃ、こんなに、……何年も何年もしつこく固執しない。」
「、固執……?」
 漢字にしてみればたった二文字のそれだけれども、蓮がその言葉を呟いたとき、ふと思い出した出来事があった。あのとき、星空の下で健悟が言っていた言葉だ。
“――でも、だからかも。元々何も無かったから、なんも執着しないで生きてたのかもしんない”
 今までずっと、誰にも、何も、執着することはなかったと言っていた。
 それが今、その感情が、自分に向けられてる……?
「、…………」
 その事実が繋がった瞬間、蓮の身体にぞくりと鳥肌が走った。
 ちらりと確認すれば健悟の手が小さく震えている気がして、そのあとに自分の指先を見ては、何とも知れない感情から小さく揺れていた。
「…………」
 健悟が遠い、分からない、信用、できない。数日間に自分の中を駆けて行った感情は数え切れないほどに膨大なものだった。
 だけど、いまこうして、目の前で重々しげに口を開く彼を見て、少し震えていそうな手を隠すかのように背けた行動を見て、画面の中で指輪を見つけたときとは比較にならないくらい、ぎゅっと心臓が鷲掴みにされたような気がした。
「っ、」
 ―――健悟が遠いなんて、馬鹿じゃねえの。
 こんなにちけーのに、こんなに素直に感情出してるくせに、嘘なんて吐けないって、……ずっとずっと、分かっていたことだったのに。
 ……だって、俺が好きになったのなんて、“真嶋健悟”じゃねぇもん。健悟だもん。
 こんな、馬鹿でも恰好悪くても、あほでもへたれでも、健悟だから、すきなんだって。
 だっていまこいつがこんなにビビッてんの、指震わせてんの、オレに嫌われるとか思ってるからなんだろ? んだよ、それ、一緒だよ、俺だって、おまえに嫌われたくなかったのに。だからこうして、こんな、離れてた、のに。
 ……そんなん、言葉よりも物語ってたんじゃねえかよ。こいつの行動全部が、オレを好きだって言ってたんだ。
 んだ、それ、お互いに、怖くてその一言が出せなかっただけ、とか。嫌われるのが恐くて、信じることが恐くて、健悟を拒否ったりなんてぜってぇしねぇのに、おまえ、……つーか、おれも、どんだけ怯えてんだよ。
 こんなバカみてぇに弱気にしてる健悟が演技だなんて、俺はどれだけ、こいつから目を背けていたんだろう。どれだけ、話をしてこなかったんだろう。
「、」
 蓮はぐっと唇を噛み締めて、自分にもてる力を駆使して右手を動かした。
「っだよ、おまえ…………おれのことだいすきじゃんっ!」
 ばん、と平手で叩いたのは健悟の背中、小さく奇声を発した健悟を見ては、そういえば初めて会った日も、こうしてこいつの背中を叩いては、いいやつだと、そんなことを言った気がした。
 けれども、平手で背中を叩いたあのときとは確実に違う、胸の中から飛び出してしまいそうな情けないまでに温かい気持ちがある。誤解が解けてうれしいのか、自分のことを分かってくれてうれしいのか、健悟の言動がうれしいのか、感情が縺れて正しい判断こそ出来そうにないけれど、ぐにゃりと視界が歪んだということは、容量を超えてしまった感情が目からあふれ出してしまいそうということなのだろう。
「なに泣いてんの……、俺は言ってたじゃんずっと、蓮のこと大事だって」
「わかんねぇよ、そんなん、東京のヤツは皆そうだって、オレ、思って……」
 ぐず、と鼻水をすすったことが恥ずかしくて俯くと、久しぶりに感じる温かな体温が頭の上に乗ってくるものだから、余計に視界がボヤけて仕方がない。
「……ばか、しないよ、オレは蓮にしか言わない。蓮にだけだよ」
 くしゃりと髪の毛を握られて、少しだけ力を込めて怒られた。嘘など吐いていないと、信じろと、まるでそういっているかのように。
「蓮にだけは、嫌われたくない。ごめん。ごめん……」
「……あやまんなよ」
 欠点なんて無さそうなこの男が、俺なんかに怯えるなんて、どんだけ可愛いの。
 いつか、健悟の好きな人がヒーローのようだと言っていたことをふと思い出す。あれは、利佳のことじゃなかったのか? ぜんぶぜんぶ、おれのことだったの? おれなんかのこと、そんなにおもってたの?
 ……良いのか、俺なんかで、……つか、ほんとに、これ、現実?
「……マジで?」
「……うん」
 探るように訊けば、弱々しいながらもきちんと肯定の返事が返ってくる。
「、」
 ……なんなんだよ、もう。愛しすぎるんだよ、このバカ。
 心臓がぎゅっと縮んでは、腹の底から何かが溢れてくる。やばい。どうしよう。なにこれ、愛しくて愛しくて、ほんとに、……泣きそうだ。
 ぐにゃり、表情が歪んだ瞬間に目の前が真っ暗になった。眉を顰めると同時に襲ってきたのは温かさで、急激に香りが強くなった香水に、背に廻された腕の強さに、ぎゅうっと抱きしめられているのだと分かった。




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あきゅろす。
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