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「っ、」
「あー……だめだってわかってんのにさー、もー……ごめん、ほんとごめんっ」
「……なにがだめなんだよ」
 衝動的にとでもいうような掻き抱き方、温度を持つ香水に甘んじて額を埋めると、本当に久しぶりに健悟の体温に身を委ねた気がした。
「駄目に決まってんでしょ、おまえ、だってふつーに女の子と居た方が絶対幸せになれんのに、俺みたいに面倒臭いやつに引っ掛かる必要なんてないのに―――ったい!!」
「…………」
 ぼかっと良い音がした後で鋭く睨んだのは蓮、健悟の背中を勢いよく殴ってから、蓮は拗ねたように唇を尖らせて健悟を見上げた。
「……んな、バッカみてぇにドキドキしたのも、すっげえ好きだと思ったのも、逢いてぇって思ったのも、……おまえが初めてだったんだよ」
 蓮が怒ったように言えば、健悟が余りにも双眸を開くものだから、はぁ、と溜息を吐いてはその胸元に再び額を埋める。
「……つか、俺の方が、いま俺で良いのか…とか…考えてたし、……ふつーに、」
「、」
 驚きで声にならないとでも云う様子の健悟を見た蓮は、照れ隠しと言わんばかりにゲシゲシとその足を蹴って、チッと舌打ちを繰り返す。
「あー……、キメェ、マジキメェ」
「蓮……?」
「おれ何泣いてんのマジでおまえ相手になんか……あー、ちょうきもい俺」
「かわいいよ?」
「……んなこと言うオマエが一番キモいっつーの」
 まだバシンと頭を叩いても、ふにゃりと緩んだ笑顔は変わらない、蕩けるような柔らかさを目の当たりにしたのは久しぶりで、それが自分に向けられているのだと思うと、なんだか顔が火照って仕方がなかった。
 蓮の身体を少しだけ離した健悟が下を見るも、その嬉しさを噛み締めているかのような分かりやすい表情が続いているばかりだ。
「っだよ、」
 色が変わっているだろう頬を抑え隠しながら蓮が言うと、それを見た健悟は口角をむずむずと動かしては、抑えきれないとばかりに真顔で告げる。
「れん、好き」
「! ほ、ほっぺた赤らめんな、キメェ!」
 ばちん、とまたもや手が先に出てしまった蓮が健悟の銀色の髪を叩くと、そこを擦りながらも緩む表情は変わりもない。
「蓮も赤いじゃん」
「うるせぇっ」
「ねぇ、」
「……んだよ」
 にやにやと締りのない表情を露呈しては、遠足前の子供のように楽しそうに蓮へと話しかける。
「もしかしてこれって、って感じが止まんないんすけど、肝心なトコ言ってもらって良いっすかね」
「……は?」
 蓮が戸惑うのも当然のことで、つい五分前の死にそうなまでに切迫した表情も、震える指先も、今の健悟からは微塵も見られなかったからだ。
「んっだよそのいきなりの余裕は……!」
「だから! ね、言って。どうぞ」
「っ、」
 掌を蓮の元へと差し出して、どうぞ、と告げる様子には余裕が垣間見え、にやにやと緩む頬のその鼻を明かしたいと思ってしまうことも仕方のないことなのだろう。
 差し出された手を取ることなくべちんと振り払ってから、蓮はチッと舌打ちをしながら告げる。
「……おまえ、俺が隠れておめーにちゅーしたことあんの、知らねぇだろ」
「……!!!」
 若干したり顔で告げれば灰色の双眸はあからさまに大きくなって、言葉にできないとばかりに、え、と口元を動かすだけに留めていた。
 わなわなと震える唇と呆然とした表情が明らかに戸惑いを映していて、自分がこの顔を引き出したのだと思えば気分も良くなるのは当然のこと、蓮はすっと息を止めて、音もなくその灰色の双眸へと近づいていく。
 健悟の前髪がさらりと蓮の額に掛かった次の瞬間には健悟の高い鼻が当たり、それを避けるようにして柔らかな唇を近づける。
 両者眼を見開いたままに過ぎた一瞬、ふにっと伝わった感触は確かに真っ赤な唇から来たもので、音もなく乗せた蓮は健悟の肩を押して離れてやった。
「……ざまぁ」
 そして、ぽつり呟けば、受け止めきれないかのように呆然としていた健悟の表情が、一瞬後にはまるで沸騰したかのように真っ赤に染まってしまうものだから、蓮まで顔を見ることもできずばっと俯いてしまった。
「…………」
「、」
 無言で唇を触った健悟は指先すら触れている気がして、唇から頬に掌を移行すれば熱があるのではないかと断言できるほどには熱く火照っていた。
 わなわなと唇を震わせるも、健悟の顔の赤さが伝染したのかもしれない、段々と赤い頬を両手で隠す蓮を見てぷつりと切れていた思考が蘇ってくると、泣きそうなまでに鼻がツンとしてしまった。
「……な、なに、それ……!」
 手の甲で口元を押さえれば先程の感触が如実に蘇り、ばくばくと心臓が煩く騒ぎ立て始めた。失敗の許されない生放送の番組よりも、全席完売の舞台の上よりも、なによりも脳内に響き渡る鼓動の音。どくどくと煩いそれに身を委ねれば全身の血流が沸騰したかのような錯覚に襲われて、ぐらりと視界が揺れてしまった。
「…………っ」
「、おいっ」
 額を掌で覆い前のめりになった健悟を心配するように蓮の手が差し出された。気遣うように背中に差し出された手を掴んだのは一瞬、そのままその手首を自分の前に移動しては、今にも震えてしまいそうな両手で蓮の右手を覆う。
「…………健悟?」
「、」
 何か変な事でもしたのかと、まるで心配するように覗いてくる黒目、湧き上がるのは今すぐにでも掻き抱いてこの手の中に仕舞い込んでしまいたい衝動と、涙腺も崩壊し柄にもなく泣き出してしまいそうな安堵感。
 ぎゅっと蓮の手を握れば、二秒後にはその右手が揺れて、健悟の手を握り返す。え、と声に出してしまいそうな衝撃のままに健悟が蓮の顔を見れば言うまでもなく真っ赤に染まっていて、うそだろ、と、喉の奥に貼り付いて剥がれない言葉があった。
「…………」
「…………」
「…………つか、マジっすか」
「……おー、まじっすよ」
 ふん、と素っ気無く言ったつもりらしい蓮は夏だと言うのに耳まで真っ赤で、自分の知らないうちに、そんな熱欲が目の前の人物に生まれていたのかと認識した瞬間、嬉々とした感動で背筋が震えた。
「……いつ」
「教えねー」
 唇を尖らせた蓮を見て思うことは、かわいいと、すきだと、ただその二点のみ。会話をしているのにまったく会話が頭に入って来ない、現実がするりと身体に馴染まない、そんな感覚は初めてで、話すよりも温度を感じたいと、そう素直に想ってしまうくらいには自分はきっと、不安だったんだ。




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