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「、っかたねぇなぁ……」
 チッと面倒くさそうに舌打ちした龍二が利佳の後を追おうとしたけれど、その前に、と忘れ物でもあったような顔をして健悟の許へと歩みを進めてくる。
「―――おいおまえ」
「え、」
 気怠そうに指を指された健悟が驚きに背を伸ばすと、その瞬間、まるで握り潰されるのではないかと思うほどに強く中指を掌全体で押さえ付けられた。
「っ……!!」
 曲げ所が悪ければあらぬ方向に向いてしまいそうな勢いで中指を握られて、健悟が痛そうに顔を歪めると、……パチン、突如握り締めた手を離した龍二は光る指輪を中指で弾いた。
「いつになるかは知らねぇけど、コレ。持ってこねぇとどうなっても知らねぇかんな」
 分かってんだろうな、と低い声で脅されると同時にポケットから取り出した携帯電話で、突然カメラを向けられた。
「、」
 行動の速さに着いて行けなくなりそうになりながらも条件反射に下を向けばその瞬間に被るだけでしかなかった鬘を剥ぎ取られて、ばさりと前髪が健悟の目の前に降ってきた。
 そしてその瞬間、―――カシャリと、カメラのシャッター音が響いた。
「、…………」
 銀の髪が待合室の白に溶けそうになった途端、再び降ってきた真っ黒の擬似的な髪の毛。
「前、利佳に訊いたんだよ」
 そう言いながらさらりと写真を携帯に保存した龍二は、まるで弱みを握ったかのように、いつでも弱みなど握れる職業であると言い聞かせるように、言葉を続けていく。
「……おまえ、俺の妹泣かせた罪はマジで重いかんな」
 キッと睨みつけるように発された言葉はきっと本心なのだろう、眉を寄せながら睨まれて、少しだけ健悟の背筋が伸びた。
 そして、あの馬鹿も、と付け加えられたのは先程言った言葉についてだろう。くださいと、欲しいと、本心から出た言葉を撤回することもなく龍二を見つめると、その強気な瞳が気に入らなかったのか、龍二はわざとらしく大きな舌打ちをしてから、鼻先で笑いながら言葉を続けていく。
「……ぜんっぜん認めてねぇから。てめぇよー、生半可なもんじゃねぇんだったら、こっちが揺らぐくれーのモン持ってこねーと」
 なァ、と片側の口角をあげられて、試すように射抜く視線を送られる。
 肯定でも否定でもないそれはどちらに転ぶかも分からないと言っていて、一家揃って持っている真っ黒な瞳を覗いては、数年後の彼もこんな表情をするのだろうかと、こうして成長していくのだろうかと、思わず唾を飲んでしまった。
 そして、パチンと携帯を閉じた音が廊下に響くと、龍二は複雑そうな顔をしながらも一度俯き、少しだけガシガシと頭を掻いてから、ゆっくりと健悟を見据えた。
「……でもまぁ、とりあえずは……、―――……ありがとうございました。」
 本当に、と若干掠れた声で、噛み締めるように付け加える龍二の視線は上がらない。模範的な一礼は心からの感謝を表しているようで、つい数秒前まで身を包んでいた真っ赤なオーラは見当たらなかった。
 微動だにせず頭を下げる姿など想像したことはなく、その丁寧な一礼には健悟の方が驚きを隠せず頭を上げるようにと龍二に駆け寄ってしまったほどだった。
「……さっき言ってたこと、冗談にもなんねぇんだよ」
「、」
 健悟が肩を引いたことで漸く頭をあげた龍二は、頭を下げるという所作を恥じることもなく、僅かな動揺も見せずに言葉を続ける。
「……おまえが居なきゃ、あいつも居なくなってた、ってハナシ。考えるとこえーから、あんま考えたくねぇけど……あんな馬鹿でも居なくなったら俺ら……、って……あー、良いや、駄目だ、仮定の話しても仕方ねェしな、……マジで、ありがとうな」
 苦笑いと称するには感情が篭りすぎている、蓮が無事だと知った瞬間の安堵を思い出したのか、龍二は少しだけ涙声になりながら健悟に伝えた。
 そして、ありがとうと、そう素直に伝える言葉を後々恥じるように、龍二は照れたように微笑を浮かべながら健悟の肩に軽く拳を入れた。
「……っ!!!」
「龍二!!」
 龍二が手をあげた場所は、服の下ではぐるぐるに包帯の負かれたど真ん中、本気で痛かったのか健悟は膝を折り身を崩しそうになりながら顔を歪めた。それを見た睦は龍二の名を牽制するように呼び付けたけれど、それにハイハイと罪悪感もなさそうに溜息を吐いた龍二は、痛そうに顔を歪める健悟にワリィと謝りながらも、またひとつだけ事実が増えたことに口角を上げた。
「……まぁ、こーんな怪我してもなんともねぇような顔するくれぇには、本気なんだろうから」
 痛みも忘れるくらいに蓮を心配していたのだろうと、身を呈してまで弟を無傷で護ってくれたのだろうと、中々できることではないとばかりに微笑んだ。それも、高々数時間逢っただけの相手なら、尚更。それは健悟を信用するには十分な事実だったけれど、やはり自分もまだまだ子供だったのだろう、突然現れた人間を認めれども、弟を渡せと言われればそれはまた別の問題だ。
「味方が増えるかはこれから……つか、おまえの出方次第だね」
 だからこそ、敵に塩を送るかのように龍二は付け加えた。この男への感情は自分でも計り知れないものがある、数日前に突然現れた人間にはいどうぞとヒト一人を渡せるはずが無い。それでもこの目の前にいる子供の揺るがない態度を信用しても良いと、そう囁く自分も居るからこそ、見極める期間が必要だった。
「オレらが絆されるくらい良い男んなって、バリバリ稼いでさァ、納得いくようなモン持って来いよ」
 だからこそ龍二は、そう言いながら微笑を浮かべる。
「そうでもねぇ限り、男なんかに渡すわきゃあねぇんだよ」
 最後に付け加えた台詞、これは裏を返せば何れは渡す日が来るかもしれないと、そう込められた意味が伝わったのか、健悟はぞくぞくと背を震わせながら綺麗な返事、ハイと一言、龍二に負けず模範的な返事をしていた。
 それに対して、ヨシ、と満足げに頷いた龍二はまるで健悟の兄でもあるようで、より一層認めて貰わねばと、まだ見ぬ健悟の士気を知らず知らずと高めていた。
「かーちゃん、俺ちょっと利佳追ってくるわ。……―――じゃ、またな。」
 そして、じゃあな、と別れの台詞は見当たらない、ニッと笑った龍二は、今はもう消えてしまった利佳の背中を追いかけるべく白い廊下を駆けていく。
「………………」
 ぱたぱたぱた、と去り行く足音を聞きながら、やはり蓮は周りの環境に恵まれていたと、世間的に認められた俳優なんかよりも随分と手強そうな人達ばかりだと、健悟は己の予感を確信へと変えていく。
 がんばろ、と溜息をつく回数が増えた気がするのは気のせいでは無いだろう、けれども不思議とそれが憂鬱には映らず、明確な目標にむけて進んでいく道々が見えているような気さえしていた。何か目標を達成するために仕事をする、当たり前ともいえるそれだというのに、そんな経験なんて、初めてだったからだ。
「……あ、」
 そして健悟は、ふと頭に過ぎった四角いそれを探すべく、がさごそとポケットに手を突っ込んだ。
「、あの、……これ、目ぇ覚ましたら渡しといて貰えませんか?」
 蓮に、と付け加えれば睦も忠孝も驚いたような顔をしたけれど、もちろん、と快諾してくれた。
「ありがとうございます」
 御礼を言えば、睦はこちらこそと、いくら言っても償えないとばかりに御礼を零す。数日間もポケットに入れたままだった手紙は皺だらけ、その皺を伸ばすような所作は些細なものだったけれども、確実に睦の優しさと気遣いを感じられた瞬間だった。
 ……そんな優しさを利用しているんだ、自分は。
「我儘言って、……すみませんでした」
 返せなくて、……ごめんなさい。指輪を握りながらその言葉を飲み込めば、睦は気にすることはないとでも言うように微笑んだ。
「あの子の様子は見ていく? 一度は起きたのよ、また寝ちゃったみたいだけど……」
 寝てても良いなら、と申し訳なさそうに付け加えた睦に御礼を言って、当然だと言わんばかりに断言する。
「そう、お仕事は大丈夫?」
「あ、大丈夫で……す」
「?何かあった?」
「……いえ、大丈夫です。行かせてください」
 明日の仕事を確認しようとふと手帳を取り出せば、初めて気付いた見過ごせない事実に出会えた。
「…………」
 安堵するように穏やかな蓮の両親の後ろを着いて行きながら考えるは、初めて蓮に出会えたときのこと。
「…………クリスマスイブ、ねぇ……」
 ぽつり、足音に紛れさせるような小さな声は誰にも届かず真っ白な壁に吸収された。
 生まれてから一度も貰うことのなかったクリスマスプレゼントと、信じようと思ったことすらなかったサンタクロースという架空の存在、そんな風にくだらないと一蹴していたものだったのに、ふと自分の頭に浮かんだことはそんな浮かれた想像だった。
 すんなりと自分の中に入ったそれに一番驚いたのは自分自身だ、そんなこと、一瞬たりとも信じたことはなかったのに。一生分のクリスマスプレゼントを先払いしたかのような出会いは自分の中でも計算外で、いつか演じたモノクロに色褪せた景色が色づく瞬間を見た気がする。それは役の上では中々演じ辛い場面だったけれども、いまならば本心から演じることができるのかもしれないと思ったからだ。
 薄ぼんやりではあるものの、こういうことなのだろうかと、もう一度手にしたいと、……温かな何かが胸に落ちて来ることには気付いていたからだ。



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あきゅろす。
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