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「……泣いてねーよ」
「濡れてんじゃん」
「っ、かんけーねーだろ!」
「…………」
 枕を指さし、ハッ、と鼻で笑われたことが恥ずかしくて、蓮は再び健悟から逃げるように体勢を動かした。
 健悟に背を向け、タオルケットを頭から羽織る。太腿から下が全て露出してしまっているこの状況も、全てどうでもよかった。
 蓮の背中にはしっかりと「見るな」と書いてあり、放っておけというオーラを出しているのにも拘らず、それでも健悟はベッドを目指して歩いていく。
 電気の紐を離した指をそのまま梯子へと掻け、腕を伸ばして蓮の背を優しく叩いている。
「関係あるでしょ」
「……ねーよ」
「ある。……ていうか、そんなこと言わないでよ」
「…………」
 はあ、と分かりやすい溜息を背中で落とされ、顔が見えないながらに安易に表情の想像が出来てしまった。
 だからこそ振り返ることはできぬままに話を切り、蓮は再び寝るというアピールがてら身体を丸めていく。
 しかし、次の瞬間、二段ベッドがぐっと揺れたのは紛れも無く梯子を引っ張られていた所為であり、過敏に反応して漸く振り向くと、既に布団の上に健悟の片手が置いてあった。
「、来んなよっ」
 顔を歪めながら呟けども、健悟のペースは変わらずに、今度は柵に手が伸びて、健悟の顔が現れる。
「っしょ、」
 そして、最後、とでも言うように体重を掛けてから、大きな身体を折り曲げながら窮屈な二段ベッドの上へと侵入して来た。
「……来んなっつの」
 蓮は横になった体勢のまま、タオルケットから申し訳程度に顔を出しながら、健悟の膝をぐいぐいと押しやった。しかしその手はあっさりと捉えられ、むしろ捉えられたままに、わざとらしくにっこりと微笑まれてしまった。
「ほら、ベッド。壊れないでしょ?」
「…………」
「壊れないって。――よっぽどヒドイコトしない限り。」
 棘を含んだ言い方をしながら、健悟はぼそりと呟いた。
 ヒドイコト、に分類される行為が出来るはずも無く、溜息を吐きながらタオルケットの塊に目を向けている。
 一方で蓮は、暗に、充分二人で寝られると言うような笑顔を振り撒いている健悟の顔すら見ることができずに、ただ蹲っているのみだった。ただでさえ狭い部屋、天井まで数十センチしかない空間、暑い室内でそれでも上に登ってくる健悟の真意が分からず、蓮はやっぱりタオルケットの中へと逆戻りしてしまっていた。
 それを見た健悟は、もう容赦しないとでも云うように、蹲る蓮の腹に手を廻し、ぐるんと手前に引き寄せる。
「ぉわっ、!」
 蓮は全く外の状況が見えていなかっただけに、突然の攻撃に怯みながらもされるがままになるしか方法は無かった。
 健悟が強硬手段を取るとは思わず侮っていただけに、べろんとタオルケットを捲られることも想定外で、思わずタオルケットを放してしまった。
 唯一の防御壁を取り返すべく起き上がれば、瞬間、想像以上に近くに居た健悟としっかりと目があって、心配そうな、戸惑うような表情が真っ先に目に飛び込んできた。上半身を起こした蓮と、胡座を掻いている健悟の眼が合ったのは数秒ほどで、すぐに蓮が眼を逸らす。
 しかし。
「――泣かないでよ」
 タオルケットをあっさりと投げ捨てた健悟は、その手で蓮の目元を擦り、困ったような表情を変わらず向けてくる。
「……泣いてねえって」
 当然のようにその手を払いのければ、めげずにぐいっと涙を拭き取られた。
「っ、」
「その顔で言われてもね」
「…………」
 全く信じてないと顔に書いてあるのも当然で、既に目の縁を赤くした蓮は、あの日、誕生日の前日と全く同じ顔をしていたからだ。
 ただ、あのときと違うところは。
「……睨まないでよ」
「さわ、んなって」
 仕方ないと笑うこともなく、体の力を抜いて寄りかかってくることもない。反するように加えられた明らかな敵意に、健悟の背中に冷や汗が伝った。
 揺れるような脳内を蓮に悟られないよう、小さく息を呑み、逸らされたままの黒い眼を直視する。
「今度は、だれに泣かされたのか訊こうと思ったんだけど……違うね。――俺、なんかした?」
「…………」
 一瞬、蓮の肩が無意識に揺れてような気がしたが、その視線の先が変化することはなかった。立てた膝を抱える蓮の視界に見えるものは、自分の足先と膝小僧くらいのものだった。
 不謹慎なことを思う。健悟が心配してくれて嬉しい、と。
 けれども悩みの根源なんて言えるはずもない、健悟が何を考えているのか分からない。いま、健悟に対する感情は、困る、とい気持ちが一番正しいような気がした。
 自分の頬に突き刺さるような視線を感じる。針のような視線に臆することなく無言を通す蓮に、何度目かも分からない、大きな溜息が落とされた。
「……あー、ていうか……良いや、聞く。単刀直入に」
 ぐしゃぐしゃ、と音がしたのは健悟の髪の毛で、苛立ちをぶつけるように己の髪の毛を掻いているようだった。
 そして、チッ、と健悟にはそぐわぬような舌打ちが聞こえた、次の瞬間。
「っわ、!」
 健悟の骨ばった指が蓮の頬に触れ、無理矢理に顔を上げさせられた。頬には健悟の左手の感触がじんじんと響き、夏の夜にはふさわしくない熱さに襲われる。
 己の膝小僧を見ていた視界は一変、機嫌の悪そうな健悟を映し、寄せられた眉を見て顔が引けてしまった。首だけが健悟の方に無理矢理向かされたこの体勢。首が痛い。
「っ、」
 振り払おうと自分の右手で健悟の左手を触るが、ただ掴むだけに終わってしまい離れる気配が見えない、むしろ自分の頬がより強く掴まれた事で無駄な痛みを増したのみだった。
 睨みを増して拒否の意を示していることは明らかだというのに、それに従うこともせず、真っ直ぐに睨み付ける灰色の瞳がある。
 久しぶりに間近で見た色はやはり綺麗以外の表現が見付からず、泣きそうになる。香水の匂いに健悟本人の匂いが加わり、この匂いがいけないんだと、下唇を噛み締めることしかできなかった。



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