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 どちらとも話しの告げぬままの時間が数秒、数十秒と流れていく。
 聞きたい事は無限に在る筈なのに、何を聞けば良いのかが分からない。何を問えば不自然にならないのかが分からない。
 久しぶりに逢ったからか、両者懐に大きな気持ちを隠し持っているからか、至極ぎこちない空気が纏わり付いていた。
 話の骨の目的も分からない、確信には触れないようなもどかしい相手の探り合いが続いたことに、喧嘩もできない間柄だったっけ、と首を傾げそうになってしまう。くだらない言い争いは何度もしていた筈なのに、自分の行いも、健悟の言動も、何処か一貫性の無い気持ちのブレが生じているような気がしていた。
「……あー」
 先に、匙を投げたのは蓮だった。
 項を掻いて、目の前に立ちはだかっていた健悟を押し退ける。
「……ちょっと、話終わってないっしょ」
 健悟が蓮の肩を掴めば、蓮は至極不満そうに眉を歪め、その手を肩で振り払った。
「べつに、“いま言うことじゃない”んだろ?」
「それは俺の話、蓮の話は終わってないでしょ」
「終わりだっつの、ねみーの。寝かして」
 埒が明かないことを悟ってか、健悟の懇願も聞かずに蓮は背を向けた。
 しかし、一瞬振り向いた末に哀しそうな顔をしている健悟を見つけてしまった。年上と雖もまるで疵付いているとでもに言わんばかりの表情は蓮に対して充分な効力を発揮し、所詮はその顔に弱い自分を自覚しながら、駄目だと分かっても少しだけ絆されてしまった。
「……タイミングわりかっただけだって、今度から出っから」
 出ないけど、とは勿論心の奥底に留めて言えば、今度は唇を尖らせた健悟が呟く。
「あんな回数無視して、全部タイミングで済ませるんだ」
「……学生もヒマじゃねぇんだよ」
 ――いっちばんひまだけどな、夏休みなんて。
 怠惰な生活を送る毎日で、鳴り響く電話を無視し続けていた自分を思い出しながら嘘を吐いた。
 この程度の他愛無い嘘も、健悟の嘘も、同じ嘘なのに、その大きさが違うのはどういうことなのだろう。
「忙しいんだろ、寝ろよ」
 んな隈つくって俺と話してる暇があんなら、寝てくれよ。
 見ない振りをしていた健悟の隈に溜息を吐いて、蓮が二段ベッドの梯子へと手を掛けた。
 しかし。
「、なんで?」
 その細い手首を躊躇わずに握ったのは勿論健悟であり、二段ベッドの二階へ上ろうとする蓮の様子に焦りを隠しきれてはいなかった。
「……あちーから」
 人と引っ付いて寝れる温度じゃねえだろ、と健悟に吐き捨てながらも、さっさと広い所で身体を休めろとの本心だけは覗かせない。
 現に熱を持つ手首を振り払い、健悟から距離を取っていた。
「……今までそんなこと言わなかったじゃん」
「言ってたよ、つーか元々こういう話だったじゃん、おまえも広くていーっしょ」
 健悟の言い分を無視して蓮が一段、二段、と梯子を上っていく。二階に到着した後、健悟も梯子に手を掛けているのを見て、蓮は驚きながらも盛大に梯子を揺らして邪魔をしてやった。健悟が上ってくるなら、自分が此処に居る意味はないと思いながら。
「のぼんな、ベッド潰れっから」
「……」
 不機嫌を露にいえば、至極寂しそうな顔が帰って来る。その綺麗な顔に絆されることは簡単だけれど、それなら今までと何も変わりはしない。
 心を無に決め込んで、見なかった振りをしようと、健悟が見ているままの状態で蓮は寝返りを打ち、健悟に背を向けて横になった。
「おやすみー」
「…………」
 平然と告げながらタオルケットを引っ張って、壁に向けて呟く。
 それに対しての健悟からの挨拶は無く、音も無く下のベッドへと潜った様だった。
 ギッ、とベッドが軋む音がして、蓮はその音に敏感に反応を見せつつも普段とは違うタオルケットに顔を埋める。
「…………っ、!」
 衣擦れの音しかしない下段からは不機嫌なオーラが漂っていることが空気で分かり、蓮は唇を噛み締めながらタオルケットに抱きついた。

 ――自然だった、よな、大丈夫だよな、くそ、利佳のばかやろう!

「…………」
 このまま一緒に居たら、絶対に絶対に絶対に気付かれる。あんな近くで眠りについて、心拍数すら伝わる距離で、バレないはずがない。
 それ以前に、今、健悟が下に居るだけで、顔を上げるだけで泣きそうになってるんだ。
 だっせぇ、かっこわりい、やばい、やべえってこれ、いまから武人家行こうかなやっぱり。
 顔すら見れない今、諸々を隠せる自信が全くない
 でも、隠さなきゃいけない。
 利佳のためにも、自分のためにも。
 おれが、ぜんぶわるいんだから。
 だまされたおれがわるい。
 健悟はわるくない。
 おまえはなにもしてない。
 おれが勝手に好きになって勝手に期待して勝手に信頼して勝手に裏切られた気になって、ぜんぶ、じぶんで独り歩きしただけだ。
 今だって、こんなん初めてで、どうしたら良いのかわかんなくて、確かめるのが恐くて、逃げてるだけ。
 あんなに嫌いになろうとしてたのに、同じ空間に居るだけで、たかが下にいるだけでこんなに嬉しいなんておかしいだろ。
 こんなの、俺だけだ。
 おまえには分かんない。
 おまえが、わかんない。
 なんで俺に笑いかけてくれるのか、俺に逢いに来てくれるのか、俺と一緒に居たのか。
 一方的に舞い上がって、馬鹿みたいな自分をこれ以上晒したくない。
 これ以上情けない姿なんて、見せたくねえよ。
「…………っ、」
 ごろんと寝返りを打てば、微かに漂ってきた慣れた匂いがあった。瞬間、たかがそれだけでぐいっと涙腺が開いてしまって、急いで鼻にタオルケットを押し当てる。
 手が届く距離には居ないのに、確かに其処に居るという安心感からか、腹の底からじわじわと熱い何かが込み上げて来た事は確かだった。
 たかが傍に存在してるだけ、たかが匂いが香っただけ、それなのに、こんな重い空気の中で、何でこんなに泣きそうになれるんだろう。
 これってなんなの、だせえけど、くだらねえけど、正直、こんなに好きになってたなんて思いもしなかった。
 いつからかすら分からないのに、あー、なのに、なにこれ、なんだこれ。
 やべっ、……!

「……、ぐすっ、」

 湧き上がりそうな嗚咽は息を止めて堪えて、流れてきた涙は枕に押し付けた。けれども、勝手に出てきた鼻水だけはどうしようもなくて、静かな部屋の中、一度だけ鼻を啜ってしまった。
 一度糧が外れればどんどん涙が溢れてきて、なんで今此処は武人家じゃなくて、何で健悟が居るんだ、と、状況を怨むことしか出来ない。
 これ以上情けない姿なんて、見せたくも無いのに。
 情けなくも再度ずびっと鼻を鳴らすと、ベッドの軋んだ音が聞こえた後、健悟が立ち上がる気配があった。
 トイレにでも行くのだろうか、早く出て行けと懇願しつつも、助かったと思いながら、ごしごしと枕で目元を擦っていく。
 しかし、次の瞬間。
「っ、!」
 部屋を取り巻く状況が一変し、蓮の部屋一帯が蛍光灯の灯りに包まれた。
 突然の眩しさに目を瞬かせれば余計に涙が頬を伝い、それを急いで枕に浸み込ませる。
 トイレに立ったのだろうと蓮が想定していたのは全くの見当違いで、扉の音すらなく、突然電気は点けられた。電気の紐を持った犯人など唯一人しか居らず、健悟は目線の先、目の縁を赤くする蓮を目敏く見つけてしまっていた。

「――……なんで泣いてんの?」

 怪訝な表情はやはり先程の音を悟ってか、蓮は諦め雑じりに鼻を啜った。




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