22
「どうだった?」
「、」
 降って来たのは、健悟の端的な問い掛け。並ぶ指輪を眺めるせいで今にも頬が蕩けてしまいそうだった自分を自覚して、蓮は勢い良く顔をあげる。
 絡む目線の先にはいきなりの蓮の反応に驚いているような健悟が居たけれど、急いで処理する蓮の頭に、映画の話題だったことを思い出して、言いたかった言葉を探すため急速に脳内の引き出しまで駆けて行く。
「、……どーだったって、……スゲェとしか言いようがねぇっつーか……カッコよかった、よ」
 俯き加減で言ってしまったのは所詮は照れが入ったから、普段の自分では考えようもない声の小ささと、もっと言い方があっただろうという陳腐な台詞には、言った途端に後悔の念が押し寄せた。
 あれも、これも、言いたいことはたくさんあって、映画の感想たったひとつとっても纏まらない。それだけ健悟と話をすることは久しぶりだった、自分がどうやって健悟と喋っていたのか、そんなことを思い出そうとしているくらいには。
「そっか。」
「…………」
 けれども健悟は揶揄するでもなく詳細を聞き出すでもなく、どこか懐かしい笑みを見せて微笑んでくれた。口角を上げて目を細める、頬が崩れて溶ける、今まで見てきたそれすら何故だか今は愛しくて、蓮は再びぐっと拳を握りながら言葉を絞りだす。
「……ぶっちゃけっ」
 勢いで言った一言にも健悟は焦らず「うん」と優しい頷きをくれた。その声音は先程までの怒気も焦燥も孕んではおらず、触れなくてはいけない部分の話をすることを、ギリギリの一線で我慢しているようにすら思えた。
「……今日。メールしようとおもってたら、おまえが来て……びっくりした」
「え、」
 唇を尖らせながら蓮が言えば、当然健悟は目を見開いて戸惑いを口にする。
 珍しく目を見開くそれは至極分かりやすい反応、眠っているメールを見せてやろうかと携帯電話を取り出そうとしたけれど、それ以上に分かりやすい形がすぐ目の前に存在していることを思い出した。
「……マジ、すげえタイミングなんだって」
 ぽん、と大きな荷物を蓮が叩けば健悟は信じられないという顔をしたけれど、この大荷物を見れば田舎を離れようとしていたことは一目瞭然だった。顔も上げれぬまま腕だけを健悟のもとへと伸ばして、加えて未送信メールの画面を健悟へと渡せば、それだけで此方の行動の意図は充分伝わってくれたことだろう。
 宛先は、変わらない、それどころか今となっては特別にすら思えるハートマークの絵文字だからだ。
 物的証拠を並べていけば思い切った自分の行動が今更恥ずかしくなって、蓮は俯いたまま項を掻くことしかできなかった。
「、」
「…………やっべ、すげー嬉しい」
 赤い頬を引き連れた蓮は下を向いていたからこそ、はぁ、と大きく溜息を吐いた健悟の表情を見ることはできず、その小さな声も聞こえることはなかった。何とは聞き取れなかったものの、ぼそりと紡がれた健悟の言葉に反応して蓮が上を見れば、思いのほかに真剣な表情をする健悟が居て、何を言われるのかと少しだけ肩を震わせてしまった。
「……ねえ、れん」
「なんだよ」
「あのさ、」
 ごくり、喉元が揺れたのは両者同じタイミングであり、ガラリと空気が変わったことを悟る。

「――いっちばん最初にさ、すっごい爆弾投下して良い?」

 恐る恐る、こちらの間合いを図るように、けれども確実に言いきって、健悟は問うた。
「爆弾?」
「うん、そう」
 ふっと無邪気に微笑む健悟が何を考えているのかも何を言おうとしているのかも全く見当がつかない、蓮はもう一度拳を握り締めて、震えそうな声で喉を揺らした。
「……なんだよ?」
 徐々に跳ね上がる心音は既に計測不能を示していて、何を言われるのだろうかと、それだけではやくと先を促したくすらなってしまう。
 そんな蓮の心配そうな表情が届いているのか居ないのか、健悟は少しだけ息を吸って呼吸を整えてから、ゆっくりと話し出した。
「……あの映画の撮影場所、本当はもっと山奥にしろって言われてたんだ。それこそ、森の中みたいな」
「、へぇ?」
 爆弾、と言った割には話し出したのは映画の話、まさか裏話でも聞かせるつもりなのだろうかと蓮は拍子抜けしながら相槌を打つ。
 その際、こてん、と若干首を斜めにしてしまったことが健悟にも伝わったのだろう、健悟は「そうじゃなくて、」と首を振ってから先の言葉を紡いでいった。
「でもおれが、此処じゃなきゃ嫌ですって言って、もうすっごい我侭言ったの。今までやったこともない歌もやりたいとか生意気言ったし、撮影もさ、最初は夜の参加も少なかったし、……すごくいっぱい迷惑掛けてたと思う、きっと」
「……あー、」
 前置きのように話し出した健悟に、蓮は素直に頷いた。言われてみれば健悟と逢ったばかりのころは必ず夕食を家で取っていたことを思い出し、懐古の情に絆されながら。
「それ。なんでか分かる?」
「えっ、……うーん……」
 しかし突然の問い掛けは想定外で、蓮は静かに眉を顰めて暫し考えた。
 けれども考えれば考えるほど思い出すシーンといえば先日の台所で行われた一件、利佳に指輪を返す約束だったり長年逢いたそうにしていた睦たちだったりで、どこか一本に綺麗に交わらない記憶に更に表情を曇らせることしかできない。
 自分が知らないことが多々存在し、きっとその目的遂行のために健悟は来たのだろうと、答えにならない答えしか持っていなかったからだ。
「わかんねぇよ」
「あは、だよね」
 自分の知らない事実に少しだけ拗ねながらぶっきらぼうに答えた蓮に対して、何が面白いのか健悟はふっと頬を緩めた。
 そして、一瞬だけ上げた口角はすぐに所定の位置に収まり、酷く真面目な顔がつくられる。

「――……蓮のため。」

「、……は?」
「蓮のために、此処にしたの」
「…………」
 開いた口が塞がらない、という表現はまさにこの瞬間のために生まれた言葉なのだろう。
 決して冗談を言っているとは思えないトーンで健悟が口にするものだから、真っ直ぐにあてられる視線に戸惑い、つい唇が開きぽかんとした表情になってしまった。
 さあっと通る風の音が耳に響き、真剣な表情は画面で見ていた顔そのもの、まるで映画のワンシーンを見ているような、そんな錯覚にすら陥る。
「…………え、……あー、そりゃ、……どーも?」
 返せた言葉は酷く陳腐なもので、未だに脈打つ心臓だけが置き去りにされた気がする。この程度の誑かすような台詞はいつも聞いていたはずだったのに、久しぶりに聞いたせいか必要以上の意識をしているせいか、巧い返しのひとつもできなかった。

 ―――びっくりした。

 そう思うだけで、握り締めた拳を覚られないかと、背中にすっと伝った汗がバレてしまわないかと、それだけが心配だった。
「信じてないでしょ?」
「、信じる信じないっつーか……」
 なにをだよ、と蓮が苦笑すると、健悟は小さく溜息を吐いた。そして観念したかのように背筋を伸ばしてから、何かを決心したかのように真面目な表情で、再び蓮へと話しかける。
「じゃあさ、ちょーっと昔話付き合ってよ、俺の」
「ん? あー、うん」
 昔話、というフレーズにドキリと心臓を跳ねさせながらも、蓮は平然を装って答えた。
 健悟の昔話ということはもちろん同様に、芸能人、真嶋健悟の昔話でもある。決して世間に公表することのなかったそれを自分が聞いていいのだろうか、聞くことができるんだろうか、信頼して、教えてくれるということなのだろうか。
「ちょっと長くなるかもしれないけど、良い?」
「……いいよ、久しぶりだし」
 長くなる、ということは、その分だけ長い時間を健悟と一緒に過ごせるということ。いつまでがリミットなのかもわからないそれだけれど、もうすこしだけ、自分の気持ちを整理して、ちゃんと健悟に言えるようになるまでの時間だけ、そのくらいの猶予が欲しい。
「……そーだね。まぁ、久しぶりっつーのに昔話ってのもどういうことっていう話だけど」
「はは、いーじゃん、」
 蓮は小さく口角を上げて笑ったけれど、心の何処かで助かったとも思った。健悟が隣に居るというただそれだけのこと、それなのに不覚にも今にも泣いてしまいそうで、今は喋るよりも、少しの甘さを含んだ低音を飽きるほどに聞いていたかったからだ。
 最後だなんて思いたくもないけれど、たった三十センチメートル離れた場所から聞こえる優しい声を、ずっと聞き続けていたかった。
 その唇が自分に紡いだ言葉の数々を思い出しながら、今度は何を喋ってくれるのだろうかと期待する。今から聴く話はどう考えても内密の部類に入るのだろう、それこそ決して、誰にも言ってはいけないような。この話を今まで、誰が聞いてきたんだろう。健悟のことを、本当のことを知っている人は、何人居るんだろう。自分なんかでも、健悟の内側に入り込んで良いのだろうかと、また、期待が生まれてしまった。

「……まぁ、もう十年くらい前のことなんだけどさ、――……」

 ――十年前。
 幾度か出てきたキーワードのような年数に蓮は小さく反応を見せてから、緩やかに心臓に響く低い声に身を委ねた。





22/60ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!