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「なによ、人の手見て」
「は、……だって、指輪っ! 健悟、……あいつが大事にしてた指輪、利佳にっ――……え?」
 眉を寄せあからさまに怒っている利佳に蓮が告げれば、利佳は更に表情を変えて蓮へと詰め寄ってきた。
「…………」
「、え、」
 蓮が気迫に負けて後ろに下がれば利佳の部屋から出てしまい、そのまま廊下の壁へと背中をつける結果となる。背に走る硬い感触と前にある鬼のような形相を比べれば自分がこの先進む方向など悩むまでもない、これ以上後ろに下がれないと分かりつつも蓮はぴったりと壁に背をつけて、じりじりと寄ってくる利佳から少しでも距離を取りたいと膝を折り身を縮めている。
「……え、なんで俺殴られそうなの? え?」
 今にも振り上がりそうな利佳の細い腕を見た蓮が巧くはない苦笑をすると、余りの蓮の狼狽ぶりに未だ脳内整理中の利佳が、大きな溜息を吐きながら爆弾を投下する。
「…………ちょっとまって、あんたら付き合ってんのよね?」
「―――」
 蓮を覗き込むように確認してきた利佳の顔はぐにゃりと歪められていて、額に掌を当てながら信じられない言葉を吐いてきた。
「、――……はぁぁああ!!!?」
 蓮が利佳からの言葉を理解するまでに数秒掛かったことも仕方のないことで、利佳と見つめ合うこと数秒、開いたままだった口が横に細められ耳まで赤く染め上げられると、蓮は近所中に響き渡りそうな声を上げた。邪気の無い声量といえども庭に居た鳥類が数羽飛び立っていったことが空気の振動で伝わる。普段の姉弟喧嘩ですらここまでの大きな声を出したことはなく、明らかに背中に冷や汗が走っていることには自分でも気づいていた。

 ――だって、……付き合っている? ……自分と、健悟が?!

「……ばっ……、ばか、ばっか! おまっ、お、おれ、男だし!!!」
 よく見ろとでもいうように蓮が自分を見下ろすけれど、利佳の様子は変わらない。
「……はぁ?」
 変わらないどころか何か可哀想なものを見るような憐みの目で見られてしまって、蓮は俯きながら髪の毛をガシガシと掻いた。
「………………や、……まぁ、ぶっちゃけ、そうなりたいっておもったこともあったけど……って、ていうか………………おもう、けど……でもっ、」
 勢いに任せて変なことを言っている自覚は充分にあって、尋常では考えられないくらいに頬に熱が溜まっていることが分かる。焦りに任せて自分は何を言っているんだと思うと同時に、今まで口に出せなかった台詞を利佳相手に口にしていることに心臓が所定の針を振り切り戻って来そうにない。
「…………」
 熱い顔でごにょごにょと言い訳混じりの言葉を口にしながら、蓮はちらりと利佳を覗き見る。
 けれども利佳の表情は一切変わらず蓮を凝視しているのみで、蓮はまさか自分が言っていることが的から外れていたのだろうかと逃げ出したくなってしまった。
「ほらヒいた……めっちゃヒいてんじゃねえかよっ! わかってんだよキメェっつーのなんかよっ! だから言いたくなかっ――……え?」
 しかし、次の瞬間、ぐいっと身体が引き寄せられたのは紛れもなく利佳の仕業であり、胸倉を掴まれて自然と首が上へと持ち上がっているこの体勢に、項がいたいと、そう思うことしかできなかった。
「え、ちょっ……!」
「――……どういうこと?」
 焦る蓮とは反対に、利佳は静かな声で言う。
 胸倉を掴まれてギリギリと絞められている気がするのは気のせいではなく、今ならばその鋭利な視線に射抜き殺されてしまいそうだと蓮は本気で思った。
「説明しな」
 抑揚のない声で利佳は言い放ち、その声の無機質さに蓮の身体に鳥肌が走る。今までの姉弟喧嘩とは比べ物にならないくらい、こんなにも利佳を恐いと思ったのは初めてのことだった。
「…………え、ちょっ、な……なんでおまえがそんな怒ってん、の……?」
 恐いと同時にこんなにも焦っている利佳を見るのは初めてで、蓮は強がりで苦笑しながら問うてみる。
 己の言った台詞と利佳の態度に背中がじっとりと濡れていることが分かったけれど、そんなことを気に留めることもなく利佳を見つめていた。
「黙れバカ!」
 しかし利佳が言い放った声の大きさに、思わず肩がびくっと揺れてしまった。
 まるで本気で怒っていると言わんばかりの台詞と声量、その後に捻られている胸倉を乱暴に前後に振られて、蓮は首をガクガクと揺らしながら利佳に静止を求めている。鎖骨の下に利佳の拳があたって、とにかく、いたい。
「ふっざけんじゃないわよ! あんったらが喧嘩しても所詮のろけだの照れ隠しだの、そんくらいにしか思ってなかったわよこっちは!」
「……はぁあっ?!」
 けれどもあまりにも想定外な台詞が利佳の口から発されたことに、今度は蓮が動きを見せた。大きな声を上げてわなわなと唇を奮わせる姿は利佳からの言葉が受け入れられないと言っているようなもので、再び頭の中で利佳の言葉を反芻する。

 ――……惚気!?

 先ほど武人に言われたばかりの言葉、友人同士に当て嵌まることのないそれを利佳の口から発せられたことに、ただでさえ赤かった蓮の顔が余計に赤みを帯びて行く。
 熱くなった首を蓮が両手で押さえる傍ら、未だ利佳の憤りは治まらずにチッチッチッと速いスピードで幾度も舌打ちが繰り返された。
「……さいあく。最悪最悪最悪。ほんっとにそういうことだったわけ、信じらんない。マジで逃げるか普通、信じらんない。さいっあくまじで。なにあいつバッカじゃねーのほんとに!」
 ガンッ! と利佳が蹴りつけた壁は蓮の真横のもので、過去に蓮の部屋の扉を壊しているその脚力に蓮は顔を震わせながらも分かりやすく狼狽している。
「り……りか……?」
「あ゛ぁ?!」
「なんでもない!」
 すると、名前を呼んだだけでもう一発壁に穴が空いてしまいそうな衝撃が背に伝わって、蓮は思わず目を背けた。
 先ほどまでの利佳に手を上げようとする気合も消え去りまるで小動物のように壁に背を預けているだけの蓮を見て、利佳は溜息を吐きながらその胸倉を解放した。
「……あんたそこでちょっと待ってな」
 鋭い眼で睨み付けられれば蓮が動くことなど当然出来ず、コクコクと小刻みに縦に首を振ることしか出来なかった。
 苛々をあからさまに表に出しながら携帯電話で何処かに電話をし始めた利佳、しかし相手が出なかったのかチッと舌打ちをしてから、柔らかいベッドにそれをめいいっぱいの力で投げ捨てている。
「出ねぇし。」
 幾度も舌打ちを繰り返す姉の様子が可笑しいのは勿論のこと、受け入れがたい現実と幾つもの台詞に、今まで想定していた事項が足元からガラガラと崩れ去っていくことが分かる。
 立っていたはずの場所を奪われる感覚に、蓮は拳を握り、己を鼓舞しながら姉の名を呼んだ。
「……なぁ、……どういうことだよ? だってあいつ、利佳に指輪渡して、利佳に好きだっつってたじゃん……」
「はあ?」
「、おまえも、嬉しそうに貰ってたじゃん! ……おれ、見たんだかんな、…………――十年前、……そうだろっ! 十年前になんかあったんだろ、なぁ、教えろよ、なにがあったんだよっ!」
 再び利佳の部屋に入って進撃するような瞳で見つめるものの、相手から返って来るのは冷ややかな視線のみだった。
「―――教えない。」
「え、」
 仕舞いには、まるで子供のようにプイッと眼を逸らされて話を拒否される。
 あれだけ意味深なことを言っているのに口を割ろうとしない利佳に更に蓮が詰め寄るものの、それは利佳の憤りを増長させるだけのものでしかなかった。
「あ゛ーーーっ、うっさい!」
 眼をぎゅっと瞑りながら、叫びに近い声を利佳が出す。本当に切れたような態度に蓮が一歩後ずされば、それに臆することなく利佳はずんずんと近寄ってきた。
「あたしは! あのバカにもムカついてるけど、あたしを信用しなかったあんたにもムカついてんだからね。――……ざけてんじゃねえぞコラてめえ、ナめやがって」
「、……!」
 ガラの悪いヤンキーのように至極早口で言われれば、未だクローゼットの奥深くに眠る特攻服を思い出して、蓮はその場で停止する。
 地元の友達と親には知られないよう夜な夜な抜け出していた利佳が記憶に棲み付いているからこそ、蓮はつつつと横に黒眼を逸らすことしか出来なかった。
「もういい、あんたは後回し」
「てっ!」
 すると、軽く頭を叩かれて、この件は終了とでも言うかのように肩を押されて跳ね除けられる。
 蓮が邪魔だとでも言うように身体を押した利佳は弟を退かして出来た道を堂々と踏み締め、足早に階段を下りていく。
「サヨウナラ」
 そして利佳が蓮の姿も見ずに背中で言えば、蓮がその背を追いかけて行ったところで当然利佳の足が止まることもなかった。蓮が急いで追いかけるようにドタドタと階段を駆け下りるも、利佳は蓮が追いつく前に自分の車のエンジンをかけ、荒い運転で蓮を蹴散らしてどこかへ行ってしまった。
「、おいっ!!!」
 まるで蓮一人くらいならば撥ねてしまいそうな運転、装飾が施されている車に向かって声を上げるものの所詮は届かぬ声でしかなく、田舎の道路をスピード違反の車が消えて行く。
「い……意味分かんねぇっ……!」
 今度壁を蹴るのは蓮の方だったが、車庫の壁をぐいっと蹴り付けても、靄々と募る気持ちが発散されることは一向になかった。



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