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「なんだそれ、どっから突っ込めば良いんだこれっ……!」
 信じがたい利佳の話に頭はとっくに容量オーバーを訴えていて、拗れていくばかりのそれに更に真実が見えず迷走してしまう。
「……いいよ、健悟に直接聞きゃあ良いんだ、……俺だって出てってやる!」
 くっそ! と蓮が次に蹴りつけたのは車庫の柱だったが、利佳とは違い完全に力で負けてしまった足をひょこひょこと引き連れて家の中へと入って行く。
 蓮の頭の中には最早東京に行くことしかなく、健悟の居る場所も、健悟の家も、何一つ手がかりのないことすら忘れていた。東京に着いて健悟に連絡すれば、逢えるに決まっていると信じていた。一般人が芸能人に逢うことの大変さも知らぬまま、蓮は時刻表で電車の時間を調べる。
「げっ、あと一時間もあんじゃん……つか乗換えとか大丈夫なんかな……」
 一瞬過ぎる不安はそれだけで、容量オーバーしている頭で他に抜けている部分が多々あることには全く気付いていないようだった。
「ま、なんとかなっか」
 乗換えが出来なくても夏なのだから駅に野宿でもなんでもいいと、パタンと時刻表を閉じて、さっさと持って行く用意をつめて行く。
「…………」
――利佳なんか、もう良い。
――健悟に直接聞く。聞けなかったこと、いっぱい聞く!
「行ってきます!」
 誰も居ない家の扉は閉めずに、蓮は家を飛び出した。祖母と祖父の働く畑は通らないようにして駅までの道を歩いて行こうと、重い荷物を引っ張っていく。
 けれども歩いている内にこのままではいつもの家出と変わらない気がして、短考の末、睦に電話を掛けた。事情を話して、家出ではないと、健悟に逢いに行くんだと、確実に一歩ずつ進んで行きながら。
「…………」
 しかし睦の電話には電源が入っておらず、仕方なく利佳に電話するも通話中の音声が途切れることはなかった。
「…………携帯の意味ねーだろ!」
 普段はガラクタと化している自分のそれを棚上げして、蓮は畑の真ん中で叫んだ。
「結局いつもと同じじゃねえかよ……くっそ、あとでゼッテー電話してやる」
 蓮の中では、これはいつもの家出とはまったく違うという結論に至っていた。だからこそ無駄な心配は掛けぬようどこに行くのかと伝えておく必要があると思っての台詞だった。意見が食い違って、苛々して、あの家に居たくなくて、困らせたくてやっていることではない、これは。
 使えない、と携帯を閉じようとしたと同時に現在時刻が視界に入り、時間が物凄く余っていることを思い出した。
 同時に、本当に電車に乗ってしまえば健悟に逢えるのだと思って、今から心臓止まりそうになってしまう。重い荷物を持っていない右手の甲で頬を触るものの、已然として赤い頬は変わらず、逢えば自分が何を口走ってしまいそうなのかの想像もつかない。勇みながらも駅に向かうこの瞬間さえ、頭の中はぐちゃぐちゃで何も纏まってはいないからだ。
「あ゛ぁー……」
 利佳の言葉と体育館でのメッセージ、今までの健悟を想い出せば所詮期待しか募らない腹の内に、これが裏切られたとき、どうしたら良いのかが分からない。勘違いで空回りしているだけなのかもしれない、それでも伝えたい感情があることに、自分でも戸惑っていた。
 健悟を想い出せば自然と体育館の出来事がつい先ほどのように思い出された。長考の末に発されたメッセージを思い出せば、印象深い場所は展望台だと言っていた健悟が居る。
「…………」
 懐かしいあの日に自ら手を伸ばすことは至極久しぶりだったが、同時に言われた温かい言葉がどんどん溢れて来る。
 思い出せば思い出すだけ懐かしい記憶の欠片に、蓮はもう一度携帯電話で時計を見る。
 ――……ちょっとだけ、なら。
 甘い誘惑に勝てず進む方向は駅とは別の方向で、足が勝手に向いていると言っても過言では無い。
 二度と来ないと思った展望台への道を、蓮は無駄に大きな荷物を持って登っていく。長いそれに重さを加えて登ることは至極困難だったものの、頂上での光景を思い出せばなんら苦ではなかった。
 先程屋上で見た快晴と、今現在木々の切れ間から見える太陽の光に、今日の星も夕焼けも綺麗に空に映えるだろうと、見る事の出来ないそれに想いを馳せた。
「…………っしょ、」
 幸いにも先客が居ないのは、未だに学校が終わっていないせいなのかもしれない。
 御礼として学校単位で送るらしい映画の感想文を書き上げ掃除を終わらせれば、此処には“真嶋健悟”の幻影を求めた生徒がわんさか押し寄せてきそうだ。
「はー……」
 あの時と変わらない落書きに目をやってから、変わらぬ木椅子へと腰掛け空を見上げる。
 あの夜のように銀河が広がるわけもない昼間、見えるのは真っ青な空と白い雲だったが、それすら健悟を思い出す。一緒にショッピングモールに出かけようとしていたあのときは、こんなに綺麗な空をサングラスで隠していた。帽子を貸せば綺麗な笑顔で微笑まれたけれど、頭のサイズを明らかに直されたのがムカついてすぐさま足を蹴りつけた。そんなに怒ってるわけじゃなかったけどあまりにも謝ってくるあいつが面白くて、バスに乗っても怒ったふりを続けていた。
「、……なっつかしー」
 少ないと思っていた思い出は、記憶を探ってみれば沢山あった。
 自分が逃げていただけで、健悟を好きだと思う瞬間は、数え切れないくらいに多くあった。
 此処に来れば健悟を思い出すと思っていた。もちろん、来たらやっぱり健悟を思い出す。でも、きっとこれはどこに居ても思い出してしまうんだろう。
 健悟に繋がってるのは場所ではなく俺の心なんだから、場所なんて関係ない、もう仕方のないことなんだ。
 これからフられても、たぶん、何処にいても一生思い出す。
 一生好きだ、きっと。
「………………」
 結局、なにも変わらない。
 今も前も、一番嫌なことは、健悟に嫌われること。それだけなんだ。嫌われるのは嫌だけど、それ以上に、逢いたい、言いたい、逢って話がしたい。
 今、すごく期待してる。
 もし利佳が居ないんなら、もしかしたらって、浅ましいのに湧いてくる期待をどうすることもできない。利佳が居なくても相手は女優でもなんでもいっぱい居るはずなのに、今のこの勢いを失いたくなくて、自分に良いように考えてるだけかもしれないけど。
 でも本当に利佳と関係ないのか、健悟の片思いなのか、聞きたいことはいっぱいある。言いたい事も、いっぱいある。
「…………俺ら、もっと話するべきだったよなー」
 分かりあう為に、信頼する為に、言葉が足りなすぎていた。
 今からでも遅くないのなら、まだ間に合うのなら、あのときは我慢してたことでも、今ならば言えることがたくさんある。
 体裁も迷惑もすっとばして、必死になって、周りも見えないくらい盲目に、言いたいことがいっぱいある。
 生まれたての決心を抱えて空を見ていると、白い雲がゆっくりとでも着実に流れていくことに気付いた。風の遅い今日ですら田舎も穏やかに時が過ぎていて、こんなふとした光景を、健悟と一緒に眺めたいと、そう思った。

――いっしょに見たら、きっともっと、綺麗に見えるはずなんだ。

「…………あ。やべっ、ボーっとしてた」
 はっとして時計を見れば思ったよりも時間は進んでいない。暇つぶしに来た場所で電車に乗り遅れただなんて、そんな勢いの殺がれることをしたくはなかった。
「あと十分くらいしたら行くかー……」
 パチンと携帯を閉じてポケットへと仕舞うものの、本来仕舞ってあるべきの心臓は口から出てしまいそうなほどに落ち着かない。
 空を見て穏やかな気持ちになれると思ったのに、何を言っていいかの整理が全然つかない。
 だって、自分の中にこんなにいっぱいの感情があるのなんか初めてだ。どれから言えばうまく伝わって、どれを言えば分かってくれるのかが分からない。
 話をするって、どこから説明すればいいんだろう。ほんとは好きだった、いつからとか、なんでとか、そんなことも全部言わなきゃなんないんだろうな。無視してごめんって謝って、利佳とはどういう関係なのって追求して、もう逢えないのって、嫌いになったかって、聞きたくもない答えも聞かなければならないのかもしれない。
 言いたいことが多すぎて、散れ散れに飛んでいるピースを拾うたびに一貫性が見付からず、脈絡のないそれにうんざりする。
「……練習とかしときゃ良かったなー」
 これ言って、あれ聞いて、これ言って。そうやってもっとちゃんと最初から考えておけば良かった。本人を目の前にして言えないくらいなら、武人にでも頼んで、言うことを纏めてくればよかった。
 今から学校に戻ることもできるはずもなく、頭の中で散らばってばかりのピースを、どれから言おうかと丁寧にひとつずつかき集めていく。
 あと数時間で逢えるだろう健悟に、何から言おうと、それだけを考えながら。
 そんな風に、悶々と頭を悩ませていた瞬間だった。


「…………やっぱ、ここだ」
「――――」


 聞こえることのないはずの声が、届いたのは。









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