10
「…………れーんちゃん。あともーいっこ」
「は、まだあんのかよ……」
「あるんです。傾いてるとこ悪いけど」
 云々と頭の中を整理しているらしい蓮に、武人はこそっと話しかける。あとひとつだけ、気になるところがあったからだ。
“――俺のことなんて、どうでも良いと思ってる。”
 さっき蓮から発された台詞。それこそに蓮の根底が隠されている気がして、どうしても引っかかっていた。
 自分を卑下しすぎている気がする。普通ならば、一ヶ月近く一緒に暮らした相手に対して情が湧かない方が可笑しい。もっとずっと、蓮自身が思う以上に、大切にされていたはずだ。そうでなければきっと、この部屋に住むことを利佳が許すはずがない。
「さっきっからさ、……まぁ無理ないかもしれないけど、それでも蓮ちゃんとあの人とを比べる時点でなんっかおかしくね?」
「え?」
「あれでしょ、あっちは知り合いが死ぬほど居て、そん中で自分なんかとか思ってるわけでしょ、そんなんでどうでもいいと思われてるだのなんだの、なんか違うでしょって話ですよ」
 けれどもそれは先ほどの自分が言ったところの憶測のみなのだから、その全てを蓮に伝えるのはそれこそ信憑性の欠片もない。一番引っかかっていそうなところだけ、吟味して汲んでいく。
「だって、あの人とあんたでは立ってる場所が全然違うわけじゃん」
「……だから困ってんだろ」
「そういう意味じゃなくて。」
 蓮が捉える意味は、立場が違い過ぎるから「悪い」。
 けれども武人が言いたいことは、そもそも比べること自体が「悪い」と、そういう意味だった。
「あっちはそらもう社会人なわけでしょ。あんたっつーか俺もだけど、まだ高校生じゃん。比べる時点で立ってるラインちがくね? 俺らこれから何にでもなれんだぜ。真嶋健悟って今何歳だっけ、あの人に追いついた時にものすっげー格好良い大人になっててさ、そんとき並べりゃ良いじゃんか。なにもうハナから劣ってるみたいになってんのよ、いま比べて違いすぎんなんて、当たり前なんだよ」
「、あたりまえ?」
「そう、あたりまえ」
「……じゃ余計に田舎のガキなんかどうでも良いんじゃ――」
「バーカ」
 蓮が口にした言葉を全て言わせる間も無く武人は大きく口を開けた。
 それに呆気に取られたのは蓮の方だったけれど、武人は顔を顰めながら言葉を続ける。
「マジ苛々する、俺の言ったことちゃんと聞いてる?」
 屈強な瞳で武人が尋ねれば、狼狽する蓮からは小さく唸りの声が届いて、溜息混じりに言葉を続ける。
「だからさぁ、田舎とか都会とかどこに居るかとかの問題じゃないっしょ。どんだけ知り合いが居るとか勿論そういう話でもなくてさ、どんだけその人の中に入れるかの問題なんだから、あんたが東京で真嶋健悟の隣のマンション住んでても北海道住んでても一緒。どうでも良い奴はどうでも良いし、懐入れたい奴は入れたいし、それが誰だとかまでは、んなん俺が知るかよ」
「…………」
「あーあ、いつもの蓮ちゃんならやってやんよくらいに強気に言えんのにねー。どうしちゃったのよ?」
 武人が首を傾げて蓮を見れば、残像もないほどに弱気な目を逸らされた。
「……おまえねー、あれだよ、真嶋健悟も所詮赤ん坊だったときもあんのよ? いっぱい分岐点あって選択しまくってあの位置に居るんでしょーよ。あんたがこれからどんな選択するかなんて誰も分かんねんだから、考えたってむだだっつの。……あー、なんつーんだろ。尊敬すんのは良いけど、行き過ぎるとやべーっつーか。ひとりの人間として付き合ってないようなもんだし。釣り合う釣り合わないって考えるのおかしいじゃん」
「……なんか俺、すっげー慰められてる?」
「今更? こんなに俺が熱弁してるのに?」
 ふざけて武人が言えば、罪悪感からか蓮は小さく俯いた。
 けれどもそういう言葉が出るということは、事実武人からの言葉に慰められて、傷が癒えてるということと同意だった。
 今も猶難しい表情はしているけれど、それでもコンビニで泣いてしまったときに比べれば幾分も良くなった顔色に向けて、武人は少しだけ微笑みながら言葉を続ける。
「ていうか蓮ちゃんはさ、誰基準で比べてんのそれ。べつに人のために恋愛するわけじゃないし、結局自分が好きなら良いんじゃないの?」
 極論だけどね、と合わせて紡いだ武人の言葉を呑み込むように、蓮は反芻した。
 恋愛関係とは所詮ひとり対ひとりで、他の何者も入れない。対等な場所に居る両者が片方でも引け目を感じれば、その基盤はぐんぐんと崩れていってしまう。蓮の話を聞いて多くの違和感を抱いたけれど、そのどれもが不確かで弱々しいものばかりだったように思う。
「おれは営業用のあの人しか知らないし、どんなんがホンモンとか知らないけど、まぁでも……――撮影中にあんたに向けてた顔は最低限ホンモノだと思うけどね、俺は」
 揶揄するように武人が笑えば、蓮も心当たりはあったようで分かりやすく耳を赤くした。青くなったり赤くなったり忙しい表情は長すぎる十七年間という付き合いでも初めて見るもので、武人の知らない人物が、初めて蓮の深層にまで入り込んでいたことを思い知らされた。
 いつか来るとは思っていたけれど、ずっと来ずに成長して欲しくなかったとも思う。友達にしては強すぎる保護欲はきっと自分だけではないけれど、それでも少し寂しいと思うことには変わらない。
「……っていうかさっさと言っちまえよめんどくせーな」
 親友が独り立ちする少しの寂しさに襲われて、武人は唇を尖らせながら蓮を苛めた。
「むりだっつの!」
「付き合いたくねーの?」
「つっ……むり!」
「なんで?」
「なんでって、おまえ……」
 疑問を純粋にぶつけてくる素直な武人の瞳から目を逸らして、蓮は俯いた。
 そして、心の中で動き回っていた靄の軍勢を捕まえて、ひとつひとつを考えてみる。けれどもいつものように四方八方活発には動かず、落ち着いて眠ってしまったようにさえ思えていた。
 利佳のことは聞いてみなければわからない。相手が芸能人だからといって、過度に比べる必要もない。性別なんか、本当は、それくらいで否定する奴じゃないっていうのは、俺が一番知ってたのに。
 俺のこと好きかどうかなんて、そんなことが分からない。だからこそ、武人が言ったように、九十九パーセントの疑念があっても、一パーセントの可能性に賭けるんだろう。
 なにも、自分だけに限った特別なことではない。所詮は恋愛に盲目になってしまう人なんて、みんなみんな、きっとそうなんだ。
「…………っ、」
 自分の中で答えが出たと同時に、堅い鍵を掛けていた部屋が懐柔された。溢れ出る感情は今まで押さえ付けていた好きの気持ちばかりで、それを肯定してあげた途端に、すっと肩の力が下りて楽になった気さえした。
 誰かに認めてほしかった。――けれども、本当に認めてほしかったのは、他の誰でもない、自分自身だったのかもしれない。
「……あ、」
 頭の中に過ぎった考えがすとんと腑に落ちて、はっと気付いたように蓮は声をあげた。
 今まで数週間ぐるぐるもやもやと渦を巻いていた感情が治まって、波のない水面のようにすっきりとしていたからだ。度重なった靄が溶けて、じわじわと消えて行く気さえする。
「他は?」
 得意顔で武人に微笑まれれば、すっかり落ち着いた感情に答えが出てしまった蓮は、照れながら髪を掻くことしかできなかった。
「…………ははっ、やっべ、否定するとこがねぇ」
「上出来」
 蓮が照れくさそうに言えば更に笑みを濃くした武人が口角を上げながら、蓮の頭をくしゃりと撫でた。
 その手を振り払うこともしない蓮の肩はすっと下がっていて、今ならば、もっと早く相談すれば良かったとすら思ってしまうほどだった。
「なんか、俺……単純?」
「良いじゃん、単純で。あんまり考えてっと頭パンクしてハゲるよ」
「やだ。……でも、たしかにパンク寸前だったかもな」
「単純な方が蓮ちゃんらしいよ」
 くっと口角を上げた武人に、どういう意味だと笑う気にもなれない。この沸々と腹の底から沸いて来る熱情は、たしかに目の前の男の御蔭だからだ。
「おっまえ……すげえな……」
「経験したモン勝ちなの、こんなん。ていうか気の持ちよう?」
「俺もしときゃ良かったのかな……」
「無理でしょ、生理的に」
「…………」
 武人は再び馬鹿にするように鼻で笑い、蓮はじとっと睨みつける。
「すっきりした顔してんじゃん、俺のおかげで」
「一言多いんだよ」
 ぽかっと武人の腹を殴れば、今更になって、数週間前の自分を取り戻した気がした。
 あの頃の自分とは、決定的に違う部分があるけれど。



10/60ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!