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ショートコント3
幸福保管計画



 あのひとは、ときたまてっぺんと底がひっくり返るみたいな気まぐれを起こしたりする。
「みそ汁の具はあさりがいい」と言ったのだ。あのひとは、貝類がこの世で苦手なものの三本の指に入るくらいに苦手なのにもかかわらず、だ。「TVを観ているとあまりにもうまそう」で、「いまなら食べられそうな気がする」のだと言う。
 それで、夏の終わりの茹だるように蒸し蒸しとした夕方のなか、ふたり連れ立って商店街を歩いている。


 ――いつも貝なんて食べないくせにね。

 とわたしはいじわるっぽく言った。今日はあのひとの十三日ぶりのおやすみなのだ。こうやって手をつないで歩いたりするのも、おそらく十三日ぶり。
 うれしいことがあると、わたしは俄然いじわるくなる。こういう風なのを天の邪鬼、なんて言うのかもしれない。
 あのひとは、わたしのことならなんでもわかってくれるので、わたしの余計ないじわるにも動じたりしない。大人なのだ。わたしとあのひとは、ちょうど十も歳がはなれている。

 魚屋さんでは、新鮮な貝たち(しじみ、あさり、はまぐり、さざえなど、ほんとうにたくさんの貝たち)が気持ちよさそうに冷たい水のなかでぷかりぷかりと泡を吐いて生きていた。
 わたしは貝が好きだ。けれどもじぶんで調理したりするのは好まない。「わたしはいま、このかよわき命たちを奪っているのだ」というたぐいの気持ちに苛まれ、指先がぞわぞわとしてしまう。

「あさりを100グラム」とみじかく、しかしとても透き通った誠実さのかたまりみたいな声であのひとは言った。
 魚屋のおじさん――あとでわたしたちが「くまさん」という渾名をつける、ひげもじゃのおじさんだ――は、わたしたちを交互に見くらべたあと、にっこりと微笑んで「かわらしい夫婦だね」とほんのすこしだけおまけをしてくれた。


 危うい、とはなんぞや、とわたしは思う。
 平衡、とはなんぞや、とわたしは思う。

 わたしの背は150センチとちょっと。あのひとの背は180センチちょうど。
 わたしはまだ学生で(国立のそこそこいい大学で、弁護士になる勉強をしている)、あのひとは市内のおしゃれなサロンで美容師をしている。


「お腹すいた」、というあのひとのこどもじみた文句をさらりと流す。銀のボウルに濃い塩水をつくり、ビニール袋のあさりを解放してやる。ざるを使うと、ボウルとのあいだに砂が落ち、調理がしやすくなると、いつかわたしのおばあちゃんが教えてくれた。
 しばらくじいっとながめていると、やがて安心したようにあさりたちがそろり、と貝殻を開きくだを伸ばしはじめる。
 ぷくぷく。泡、泡。
 ああ、とわたしは思う。

 ああ、彼らは生きている。
 彼らは生きている。一生懸命に、でもとても幸せそうに。二畳ほどのせまいキッチンの流し台のうえのちいさなボウルのなかで、しずかに呼吸を繰り返している。



 →つづく。




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