残る爪痕 血脈の果て (薩摩和菓子)完 「宿命」 終戦後、ダクラはアラシュをトースの洞窟に運んだ。その間、一度も身動ぎをしない。アラシュは死んでしまったのだ。だからダクラはアラシュを王族の砦、全ての王族の墓に埋葬しようとした。アラシュを半球の中央に横たわらせる。そこから二リーゲル離れると、厚い扉が閉まった。辺りを闇が包み込んだ。 段々暗がりになれると、ダクラの前に誰かが立っていた。いや、それには爪が生えている。アラシュでない誰かだった。 「展開というのを弁えているな。知っているか。ここは王族の始祖であるテラとエレが契りを結んだ場所なんだ」 開口一番に不謹慎な事を言う。初めて会った時と同じだ。 「何故自分をそのように遇しようとする」 「愚問だ。試験体が試験体以外と交わっては血が劣化する。ベルゼバブの随伴歩兵として、そのような事は許されない。良いか。今ここにいる二人はテラとエレの再来なのだよ。でも大丈夫。千年もの間他人に見向きもしなかったテラだって俺に取り憑かれた途端エレに一目惚れ、エレもテラにメロメロ。言わば俺は試験体同士の恋のキューピットだ。君たちの事も悪いようにはさせないさ」 王族の始祖テラとエレ。その名が何故この場で出てくる。そしてベルゼバブとは一体何なのだ。 「テラとエレのX染色体は、二人とも全く同じ物だ。つまりテラをテラたらしめているのは彼が持つY染色体だ。そしてそのY染色体は息子のノウへと受け継がれたが、ノウは人間の社会に埋没していった。千年もの間にそのY染色体は増えては途絶えるを繰り返し、現在受け継ぐ者は一握りだ。その数少ない一人が、ミュールドの抱えていた学者、ハイルドだった。ミュールドは知っていたよ。これがハイルドと王族の間に生まれた子である事を。エレについては説明を必要としないだろう。王族が今まで為してきた事だ。近親婚を繰り返し、血を外に漏らさない」 「ベルゼバブというのは何」 もう血筋についての話は聞きたくなかった。自分が近親婚で生まれたなどという忌まわしい事は。 「君らが巨大生物と呼んだ生物兵器だ。その破壊力は強大ながらも移動速度が低い。だから二千年前、俺と並行して人型の生物兵器、人狼が随伴歩兵として作られた。今のガゼルだ。そしてその開発段階に作られた男女一対の試験体はベルゼバブとの協力機能を実装していた。それが今この男に起こっている事なのだ。それが使命なのだ。それ以上の理由は無いだろう」 目の前で独説する男はあの巨大生物、つまりベルゼバブだった。ベルゼバブは自信に満ちた表情で腕を広げると、音も無く口角を釣り上げる。正気では無かった。ダクラはベルゼバブに言い返す。 「矛盾している」 ベルゼバブはおどけたように頭を傾ける。 「どこがだ」 ダクラに迷いは無かった。自身が信じる事を、淡々と口にした。 「ベルゼバブは死んだ。死んだ兵器と、協力する事は出来ない。死んだ兵器に、アラシュの魂を奪う事なんてさせない」 今まで薄ら笑いを浮かべていたベルゼバブが、見るからに狼狽する。 「ならここで君と話している己は何だと言うのだ」 「ベルゼバブに群がっていた芋虫の仲間。或いは誰かに取り付いていないと何も出来ない、ただの寄生虫」 思い付く限りの挑発を吐き捨てる。 「誰に向かって口を利いているつもりだ」 ベルゼバブは怒鳴ったが、ダクラは止まらない。 「千年前に暴れたという事は、結局人狼と一緒に使われた事は無かったという事。なら、人狼の使命はベルゼバブとは独立して生きる事。ベルゼバブは独立出来なかった事を人狼の所為にしているだけだ」 「黙れ」 ベルゼバブが叫んだ。推測だったが、あながち外れていなかったらしい。 「別に理解して貰う必要は無い。従ってくれればそれで良い。これの父親にやったのと同じ手段を用いれば」 ベルゼバブは呟くと、自暴自棄に陥ったか左手の爪の第一関節を自分で引き千切った。それを右手の爪の先に挟み込む。 「俺の人形になってしまえ」 ベルゼバブは右手を横に薙いだ。振りかぶるモーションを察知したダクラは王族の力を解放し、後ろに飛び退く。目前を刃と爪の関節が通り過ぎる。背後に砦の壁が迫った。このままでは第二撃を避けられない。膝を屈め、左右では無く上方に跳躍する。それまでいた空間に爪が突き刺された。硬質な岩石をいとも容易く抉る。そして、爪を突き立てたままベルゼバブは壁面を駆け上がった。 速い。王族の力をも凌駕している。始め二リーゲルあった距離は瞬く間に縮まり、ベルゼバブはダクラの右足に左爪を突き立てる。それは容易にガゼルの皮膚を、骨を貫通した。激痛がダクラの中を走り抜ける。しかしベルゼバブの攻勢は終わらない。悲鳴を上げる間も無く左爪は抜かれ、返す手でダクラを地面に叩き付けた。残った四肢で衝撃を受け止めようとするが、気休めにもならない。全身を衝撃が走った。肺から空気が漏れる。 「王族ならこの程度の傷も修復出来るだろう」 天井から音も無く着地し、ベルゼバブは頭上で囁く。ダクラにはベルゼバブの目的は分からないが、ダクラを殺す気は無いらしい。では何故攻撃する。なら何がしたい。 そこでダクラはそれ以前の出来事に思い至った。ベルゼバブは爪の関節をわざわざ切り離したのだ。それは本来爪の攻撃範囲を狭めてしまうのではないか。その行動によって右手の攻撃範囲が大して伸びた訳でも無い。ではその関節は何に使われるのか。それは彼の発言から推測出来た。爪がアラシュに寄生しているように、その断片にもその行動を操作する能力があろうとも、これまでの異常に比べれば十分に有り得る。そしてそれを体のどこかに埋め込む為にダクラを痛めつけ、抵抗出来ないようにしているのではないか。もし仮にそうなら、まだ付け入る隙はある。 「これで楽にしてやる」 ベルゼバブは言い捨てると、爪の関節をダクラの首元に振り下ろす。ベルゼバブはダクラが戦意を喪失したと思っているのだろう。確かに全身が軋むように痛むが、アラシュの為と思えば何でも出来た。 ベルゼバブの下半身に隙を視認したダクラは左手を地面に突き立て、体を前に押し出した。迫るベルゼバブの両足を右手で払い、そのまま引き寄せる。ベルゼバブの両手首が手の届く距離に来た。 それを地面に押し付け、爪の根元に手をかけた刹那、ダクラの背中を幾つもの爪が貫通し、引き裂いた。内一つは心臓を捉えている。 ダクラは執念で、爪を握り潰した。 約束の一週間が過ぎた。でも戦闘は終わらなかった。人家の周りは未だに銃弾が行き交っている。何故だ。一週間は戦闘の期限では無いのか。 「一週間、過ぎたね」 「ああ」 傍らに座る少女は見るからに項垂れていた。 「一週間って、どういう意味だったんだろう」 二人が抱く疑問を少女が口にした。 「後一日待って、様子を見るか」 消極的な提案をする、 「それしかないかな」 少女は同意した。 その日、少女は様子が変だった。己が呼びかけても生返事しか返さない。台所で見つけた食料もあまり食べなかった。夜になると、少女が急に提案した。 「ねえ、やっぱり今日出発しよう」 確かにこのまま待っていても埒が明かなかった。その夜、銃声が比較的少なくなる時間帯を見計らうと、己と少女は出発した。 比較的と言っても、逃亡が容易になる訳では無かった。戦場は死角が多い。地雷にも気をつけていると、移動速度は自ずと低くなった。己と少女は無言で、最初に渡された地図に載っていない、最も今までいた人家から近い場所へと向かった。 「遠いね」 直線距離でも十六キロは移動しなければならなかった。 「休憩するか」 苦しそうに息を上げてきた少女に声を掛ける。 「ううん。一秒でも早く脱出しよう」 少女は己の提案を断った。その表情は今までに無く張りつめている。己はそれ以上何も言えなかった。 それからは、鉢合わせした敵を排除したり、交戦している区域を迂回したりしながら進んだ。 夜が明け始めた時、地図の縁に到達した。そこは厚さ一メートルの光の格子壁だった。地下からレーザー光線が照射されているのだ。 後で知った事だが、ここは戦争ゲームの戦場だった。戦争を一定のルールに則り、一定の場所で行い、その勝敗で富を分配する。民間人に被害の出ない戦争。その駒として己は投入されたのだった。 「こんなの、どうやって飛び越えれば良いんだよ」 立ち塞がるレーザーは生体のみを選択的に破壊する兵器だった。戦場の設計者は逃走兵の存在を視野に入れていたに違いない。しかし少女はその壁に近づく。振り返ると、穏やかに微笑みながら場違いな事を言った。 「ねえ。抱き締めて」 「どうして」 「良いから早く」 己は意図が分からないまま、言われた通りに少女の背中に手を回した。華奢な体が静かに身を委ねる。全身が少女の体温で静かに暖まった。 「今ね、一週間の意味が分かったよ。それはね、私の寿命。でも貴方は違うみたい。断続的に動きが鈍るのと関係があるのかな」 少女が何を言っているのか、己には分からなかった。 「何が起こっても、後ろを振り向かないで」 胸元で囁くと、少女は越しに手を回したまま体を後ろに倒した。己の体もそれを追いかける。少女の背中を光線が直撃し、そこから煙が吹き上げる。文字通り身を焼かれているはずなのに、少女の表情は凪いだように穏やかだった。そして少女の手に強く押し出された。視界が一転し、地面に落ちた。そこは境界線の向こう側だった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |