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第一章 異端の力
其の9

(何故、オレ達なんだ。こんなことの為に、この世界にいるんじゃない。なのに、どうして……)

 壁を拳で殴る。痛みによって一瞬だけそのことを忘れることができたが、やはり無理であった。顔を上げ鏡のように光り輝く壁に、自身の表情を映し出す。髪をずぶ濡れにし、悲しそうな表情をする男。それに、泣いていたのか目が赤い。そして、切ない表情であった。

 ふと、映し出された人物が「ソラ」という人間ではなく、他人に思えてしまう。こんなにも弱弱しく、脆く壊れてしまいそうな人間が、自分のはずではない。今まで、そのように思っていた。だが映し出されているのは、間違いなく自分自身。己の姿を見間違いはしない。

 流れ出る水を止め、痛む拳をもう片方の手で包み額に当てると、滑るように床に座り込む。額から伝わる体温が、痛みを優しく癒していった。自身は思った以上に弱く、ガラスのように繊細であった。自らの腕で、身体を抱く。微かに震えていた。自分に迫る、死の影に対し。

(……オレは、生きたい)

 降りはじめた雨は勢いを増し、音をたて地面に落ちていく。窓の外は雨に煙り、外光は滲んで見えた。とても静かであった。時間的に考えれば、活気があってもおかしくない時刻だというのに。

「アナタの心は、とても純粋なのよ。だから自らの力に押し潰されてしまわないかと、心配をしているの。類を見ないほどの強い力を持って生まれたことは、アナタにとって幸福なのかそれとも不幸なのか。そのことは、誰にもわからないわ。もちろん、アナタ自身も……」

 今度は、タツキの言葉を思い出した。身体中を包帯で巻かれ、ベッドに横たわっている時に投げ掛けられた言葉。それは、はじめての出会い。そして、優しく微笑みかけてくれた表情を今でも覚えている。いつも見舞いに来てくれて、沢山の話をしてくれた。実の姉、いや母親のような存在であった。

「……父さん」

 思い出すのは父親との記憶のみで、母親ではない。自分に優しくしてくれたのは、父親の方であったからだ。だから、母親との思い出は少ない。記憶を辿れば思い出されるであろうが、それを行おうとは思わない。正直、良い思い出がない。それに、両親が生きていた頃は――

「……どうして」

 無意識に発した言葉は、母親が口癖のように言っていた言葉。何故、急に思い出したのか。ソラは視線を上げ、遠くを見つめる。そして、思い出の中の家族の記憶を蘇らせた。ふと、涙が溢れる。あの時は今とは違い、幸せであった。しかし、不幸は突如としてその身に降り掛かる。

 今の生活は、その不幸の影響によるものだろう。そのことに、多少ながらも差を感じてしまう。多くの者達は幸福に生き、自分はこのような生活を送っている。同じように生きているというのに、どうして違うのか。比較すること自体愚かな行為と思われるが、差がありすぎる。

 ソラには、両親がいない。しかし、イリアは両親が健在だ。いや、それだけではない。生き方そのものに差がある。決定的なもの――それが原因というのなら、他者はソラ達を嘲笑う。

 タツキが言っていた言葉を思い出す。彼等は自分達の幸福を自慢し、下を生み出す。自分達より下がいるということに安心感を得て、その地位を万全なものにしようと無駄に努力をする。

 ソラから見れば一部の人間を除き、敵のように思えた。それが幼馴染であろうと、関係ない。無理難題を突きつけるのは、その表れかもしれない。思考が、おかしな方向に働いてしまう。

 壁を支えにして、立ち上がる。先程の吐き気は少しずつ良くなってきているが、油断はできない。再び瓶に手を伸ばすと、空の胃に錠剤と水を流し込む。悲しいことに、これがないと普通の生活が送れない。

 このような生活が、いつまで続くというのか。その問いの答えを提供してくれる人物は、今のところいない。タツキでさえ、わからないといっていた。なら、この苦しみから解放されるには――しかし、それを望むことはできない。少ない人数であるが、涙を流す人物がいるからだ。


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あきゅろす。
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