龍の宝珠 十四 「……では阿周さまは、亡くなってなんかいないと……」 「母上はそう言う」 「……実は、阿周さまがどうして亡くなったのかは、わたしは知らないんです。趙修令さまは教えてくださらないんです。両親も知らないんです」 「死因を?」 「はい。それどころか、亡くなったのは突然でした。唐突なことだったんです。ある日、その日も一緒に遊んでいただいたのに、あくる日になって突然、阿周さまは死んだと…。前の日まではお元気だったのに」 「実は、何か患っていたのでは?」 「そんなお話は聞いたことがございません。それに、そうだとしたら、亡くなった後に教えてくださってもおかしくないと思うんです」 「確かにそうだな。子供だったおまえには話さなくても、少なくともおまえの親には説明していいだろう」 「亡くなったとされるその日の晩、深夜にもかかわらず阿周さまのお屋敷はざわついていたそうです。馬車がお屋敷を出て行くのを見たという者もいました」 「まさか、それが宮中からの迎えの馬車?」 「わかりません」 摘花は首を振り、うつむいた。 「ただ…」 「ただ?」 「聡影さまは、阿周さまにそっくりなんです。阿周さまが十年たったら、きっとこんなふうだと思えるくらいに。お顔立ちも、表情も、お人柄も」 「それは……」 光賢が息を飲んだ。 「いや、でもそれは…そんな、まさか。偶然では」 「ええ、単なる偶然かもしれません。たまたまかもしれません。なにしろわたしは、十年前のお姿しか知らないのですから。ですが…」 もしかして、阿周は生きている? しかも、自分のすぐそばで? そのとき、部屋の外から声が掛かった。 「光賢さま。班夫人がお越しでございます」 「母上が?」 光賢は立ち上がると、自ら扉を開けた。 そこには班夫人がいて、にこやかにほほ笑んでいた。 「あらあら光賢、こんなところにいるなんて」 「私を訪ねていらしたんでしょう?何のご用ですか」 「あなた、今度こそ母の言い分が正しいとわかったでしょう?その娘から聞いた?」 「何をですか」 「聡影は阿周だということをよ」 「……母上の口から聞くと、途端に作り話であるような気がしてなりません」 「相変わらず失礼な子ね」 班夫人はずかずかと部屋の中に入ってきた。 そして、うつむいて立っている摘花を見てさも心配そうに声をかけた。 「大丈夫?今度はあなたが顔色が悪いわね、顔色が悪いのは皇后様だけかと思っていたけど」 「母上、この子は関係ないでしょう」 「まあそうね、この娘は関係ないわね。だって何も知らないのだから」 夫人は、今まで光賢が座っていた椅子に腰を下ろした。 その夫人に向かって、摘花は意を決したように話しかけた。 「お教えください」 「何をかしら?」 「聡影さまは、本当に阿周さまなんですか?」 夫人は、勝ち誇ったように笑い出した。 「ええ、ええ、何でも聞いてちょうだいな。そう、あなたが大好きだった阿周は、今の聡影よ。よかったわね、阿周が生きていて」 「本当なんですか?」 「ええそうよ。あなたは阿周とたいそう仲がよくて、死んだと知ったときはそれはそれは悲しんだそうね。まだ小さかったのに、かわいそうに。なぜ死んだのかも知らされずに。 でも、なぜ、なんて、その理由を趙修令は説明できるはずないわよね。だって実際には死んでなんかいないのだから。 趙修令はね、阿周を死んだことにして宮中へと送ったのよ」 「……」 「それもこれも、皇后様のせいなのよ。皇后様の生んだ本物の聡影さま。この方は生来ご病弱で、十歳の頃生死の境をさまよわれたのだけど、その際に悲しいことにお亡くなりになってしまったのよ。 皇后様は取り乱した。でもそのとき、趙修令に確か同い年の息子がいることを思い出したのよ。それで趙修令に、身代わりにするよう頼んだの。 だって皇后様のお子はその方だけだったんですもの。聡影さまはその時点ですでに世継ぎとされていたけど、亡くなってしまえば当然関係ないわ。次の皇子である光賢が世継ぎになる。 だけど皇后様は、お世継ぎの母親でいたかったのよ。 それで、趙修令の息子を連れてきて入れ替えることにしたの。 趙修令はそれを承知した。それで、阿周は死んだこととし、宮中へと送り込んだの。 だから今の聡影は、病弱だった気配さえないのよ、どこからどう見てもお元気そのもの。 生来ご病弱で、ほとんど寝たきりで、危篤状態にまでなったような方が、いくらいいお薬があったって急に元気になるはずはないわよ それもこれも、入れ代わったから。 趙修令の息子は出来がよかったのね。幼い頃から見事に入れ代わってみせた。今では誰もが皇子と信じて疑わないわ。 だけど皮肉なことに、皇后様のほうが隠すのに大変なんでしょうね。それまでは私なんかおそばにも寄れないほど気位の高いお気の強い方だったのに、後ろめたいことをしたからか、徐々にお気が弱くなったの。 事実が明るみに出やしないかと、毎日神経をとがらせていて、あれでは参ってしまうのも当然よ。話しておしまいになればいいのに。 それに、あなたは知っているかしら。皇子は皆、陛下から短剣を賜るの。その短剣にね、今の聡影のものは不備があるのよ」 「短剣?」 摘花は問い返した。 「ええ、陛下がご自分の皇子とお認めになった証拠ともいえるわ。でも、今の聡影が持っているそれは、鞘に明らかに不備があるのよ」 「鞘に…?」 「本来、当代随一の職人が自分の名誉にかけて作るものだから、不備なんてありえないの。でも今のあの聡影が持っているものは欠けているのよ。ありえないわ、偽物だってすぐわかるじゃない。 なぜ皇后様は、本物の聡影さまがお持ちだったものをそのまま譲らなかったのかしらね。 どうやらそれは、本物の聡影さまを葬る際に、一緒に持たせたそうよ。せめてもの親心だったのかもしれないわね」 わざとらしくうなずく班夫人に、光賢が声をかけた。 「母上。やはり母上のお話は、聞けば聞くほど作り話にしか思えません」 「あなたはまたそんなことを」 「どこでそういう偽の情報をつかんでくるんですか」 「偽?じゃあこの娘に聞いてごらんなさい。この娘は阿周を知っているのよ。今の聡影を見て、どう?面影が残っているんじゃない?」 「……」 摘花が困ったように顔をそむけると、班夫人は高らかに笑った。 「ほらごらんなさいな」 「そんなこと、小さい頃の記憶などあてになりません」 「では趙修令を縛り上げてもいいのよ」 「そんなことをしたら父上がどうなさるか。父上とて、母上のくだらない寝言に今は何もおっしゃいませんが、そろそろ堪忍袋の尾が切れますよ。大体、兄上は父上にそっくりではございませんか」 「たまたまでしょう」 「じゃあ、その阿周に兄上が似ているのもたまたまではございませんか」 「ではあの短剣の鞘の不備は?」 「それは本来どうでもよいことではございませんか。では逆に、ちゃんとした鞘さえあれば母上は納得なさるのですか?たとえそれが道で拾ったものでも」 すると班夫人はむっとして息子から目をそらした。 「母上の言葉は言いがかりです。母上がどんなに兄上を追い落とそうとなさっても、私は兄上のお味方をいたしますから。あんなにご立派な方が世継ぎで、何がご不満なんです」 「ああ、もういいわ」 班夫人は立ち上がった。 「我が息子ながら、どうもあなたとは話にならないわ」 そして、最後に摘花に言った。 「あなたは、心当たりがたくさんあるでしょう。そうよ、あなた自身から阿周に聞いてごらんなさいな。聡影のふりをしている阿周に」 「聡影さまのふり?」 「阿周は、あなたのことをとてもかわいがっていたそうね。今だってそうじゃない?聡影はあなたにとても目をかけていると聞くわ。あなたに面と向かって聞かれれば、隠してはおけないと思うわよ」 「……」 「むしろ、これまでも話したくて仕方がなかったはず。自分が阿周だとね」 「母上!この子を巻き込むのはおやめください」 班夫人は、ふんと鼻を鳴らして去っていった。 「母上!まさかまた皇后様のところへ行かれるのではないでしょうね。いいかげんに…」 光賢が、それを追いながら部屋を出て行った。 二人がいなくなると、途端に静まり返る。 班夫人の話を、摘花はもう一度頭の中で繰り返した。 だが、夫人の話にはつじつまが合っているところが多いように思えるのだ。 おかしいくらいに符合するのだ。 ああ、聡影は、本当に阿周なのだろうか? 他のことはどうでもいい。 それだけは知りたい。 阿周は、生きていたのだろうか? 「また明日」と言った阿周。 明日でなくてもいい。 何年たっていてもいい。 もしかして自分は、阿周にまた会えているのだろうか? そのとき、扉の外から足音が聞こえてきた。 足音は二人分だった。 すぐに外から扉が開く。 そこにいたのは、聡影と趙修令だった。 聡影が先に中に入り、趙修令があとから入って戸を閉める。 その様子には、変わったところは何もない。 聡影は摘花にちらっと目をやると、初めは何も言わなかった。 趙修令も。 ただ何も言わず、うつむいていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |