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龍の宝珠
十二
「光賢さま」
 摘花は話しかけた。
「しっかりなさってくださいませ。誰が何をおっしゃろうとも、そもそも聡影さまは、陛下にそっくりではないですか」
 摘花のその言葉に、光賢はうなずいた。
「そう、兄弟の中で、一番よく似ておられる」
 摘花の言葉で、光賢は自分の兄に対するかすかな疑いを吹き飛ばしたようだった。
「そう、その通りだ。第一、もしも他人の子供を連れてきたとして、あんなに立派なご様子でいられるだろうか。兄上は昔から何でもお出来になる方だった。周囲の者にも優しくて、誰が見ても立派な皇子そのものだった。あのご様子で実は生まれついての皇子でないというなら、それはそれで驚くべきことだ。大した才ではないか」
 摘花もその言葉にはうなずいた。

 しかし、幼い頃から仲のよい光賢にも、わずかな疑念を抱かせる。
 聡影をうっとうしく思っている班夫人が、大いなる疑いを寄せるのも仕方のないことだった。

 そのとき、光賢を探しにやってきた人がいて、光賢は摘花を置いて部屋を出て行った。
 再び一人になった摘花は、光賢が今してくれた話を頭の中で繰り返した。
 だが、たとえ気になる点が多少あったとしても、現在聡影が立派な世継ぎであることには論を待たないのだった。
 皇帝がとても目をかけていて、周囲も誰もが期待している立派な皇子。
 それが聡影なのだ。

 摘花は一人首を振り、自分ももうこのことを考えるのはやめにした。
 じっとしていると、同じことばかり考えてしまう。

 すると、ちょうどそのとき窓の外で、聡影の声がしたような気がしたのだ。
 摘花は扉を開けて姿を確認しようとしたが、左右を見回してもどこにもいなくて、気のせいだったかと思った。
 ところが、よく見るとそれらしき人影が角を曲がるのが見えたのだ。

 皇后のところへ行く前にここへ来たのか、それとも、皇后のところへ行ったらここにいると言われてやってきたのか。
 それはわからない。
 だが、それを考えるよりも前に、摘花は部屋を出るとその人影を追ってしまっていた。

 廻廊を歩いて、先程姿を見かけた角を同じように曲がる。
 しかし、もうそこには誰もいなかった。
 どうやら、やはり気のせいだったらしい。
 そこで部屋に戻ればよかったのだが、気になった摘花は、一応周囲を探してみることにした。

 すると、やはりいたのだ。
 庭先を歩いていた。
 歩く方角から行って、自らの住まいである建物に戻るところのようだった。
 そして彼には、同伴者がいた。
 それは趙修令だった。
 趙修令を引き連れて歩く彼に、すれ違う誰もが足を止めて一礼する。

 摘花が見ている中、二人の姿は木の陰に消えた。

 追う必要はなかったのだ。
 だが摘花は、いつものようについ追ってしまった。

 二人は、木の陰でそのまま並んでたたずんでいた。
「聡影さ…」
 声をかけようとして、摘花は慌てて口を閉じた。
 二人の雰囲気が、いつになく重苦しいものに感じられたのだ。
 横顔がかげっている。

「聡影さま…。やはり私があの子を連れてこなければよかった…」
「いや、そんなことはない。あの子の変わらぬ様子をじかに見ることが出来て、毎日楽しくて仕方がない。本当に、変わっていない。あいかわらずおしゃべりで、いつでも元気で…」
 聡影はつぶやいた。
「あれから十年もたったのに……」

 誰のことを話しているのだろう?
 あの子?
 あれから十年?

「ただ、あの子の中で、阿周はもう死んでしまっていること。それをどうとらえればいいのか、考えれば考えるほどわからなくなる。『阿周』だったあの頃のことを、話してしまいたくなるんだ……」
「聡影さま、しっかりなさってくださいませ」
 趙修令の語気が強まった。
「あなたは今、聡影さまなのでございますよ」

 そう、聡影は聡影ではないか。
 まるで、自分が阿周だと言わんばかりの発言は、何なのだろう。

 摘花がわかったことは、とにかく自分はこの場を静かに、かつ速やかに去るべきこと。
 そして、今の話は聞かなかったことにすべきだということだった。

 『阿周』だったあの頃のこと?
 そんなこと、考えても意味がわからないのだから。

 さて、摘花が班夫人を追い払って以後、皇后はこれまでにも増して摘花に目をかけるようになった。
 誰よりもかわいがり、朝から晩まで常にそばに置きたがる。
 そしてその日は、こんなことを言ったのだ。
「あなたみたいな子が聡影の妃になってくれるとよいのだけど。洪佑生の娘だったら何の不足もないし…」
 それは単に話の流れでの思いつきかもしれなかったが、そう言われた摘花は胸がどきどきした。

「そ、それはあまりにおそれ多いことでございます。そもそもわたしのような者にはとても無理でございます。ご覧のようにわたしは粗忽者でして、ご迷惑をお掛けするばかりなのが目に見えております。もっとふさわしいお方がきっとたくさんいらっしゃいます」
 そう答えると、皇后は不満そうにそう?と応じる。
「あなたなら無理ではないと思うのだけど。聡影もあなたのことはかわいがっているようだし。
だいたい、聡影はこの話になるとすぐに、自分は母上のことが心配だからとても妃のことまで気が回らないと言い出して、私のせいにするのよ。でも私としては、聡影のこのことも気がかりなのよ。そろそろ妃を迎えて安心させてもらいたいものだわ」
「あれだけご立派な方ですもの、ご本人さえその気におなりになれば、すぐに素敵な女性がおそばに侍ることになるでしょう」
「そうだといいのだけど」
 皇后は、ほうとため息をつく。

 聡影の妃に、と言われて摘花はうれしくないわけはなかった。
 あんなに優しくて立派な人のそばにいられたら、どんなにいいだろう。

 何しろ、聡影は阿周にどことなく似ているのだ。
 見た目も性格も、阿周の十年後はきっとこんなふうだったろうと思わせるのだ。
 あれからますます立派になって、周囲からの信頼も厚く日々活躍している姿。

 聡影が阿周だったらよかったのに。
 そうだったらどんなにかよかっただろうに。

 まあ、ありえないことだけれど。
 そもそも、聡影に失礼な話だ。

 摘花がそう思っていると、急に部屋の外が騒がしくなった。
 また班夫人がやってきたのだ。
 今は聡影はいない。
 それを見計らってやってきたのかもしれなかった。

 夫人は今日も、侍女の止めるのを聞かずさっさと部屋の中に入ってきた。
 摘花は、今日は自分一人で皇后を守らねばと身構えた。

「皇后様、ご機嫌はいかがでございますか?今日はお天気もよろしゅうございますし、気持ちがよいですわね」
「……」
「ご用件は何でございましょう?」
 無言の皇后に代わって、摘花が応じた。

 班夫人はその摘花をわざとらしくちらっと見やった。
「あら皇后様、まだこの侍女をおそばにおいていらっしゃるんですか?わたくしの座る席はないと言い放ったこの無礼な侍女を。趙修令の紹介だそうでございますわね」
 そこまで聞いた摘花は、班夫人はこの間の自分の無礼をまだ根に持っているのだと思った。
 だから自分に気を留めるのだと。

 皇后が夫人に答えた。
「それが何か」
「皇后様、こんな子をおそばに置いておいてよろしいんですの?」
 班夫人は言った。
「わたくしもつい先日知ったのですけど、この娘、趙修令とは昔からの知り合いだそうでございますのに。そう、趙修令の息子ともね」
「え?」
 と言ったのは皇后だった。
 そして、それまでかたくなに班夫人から目をそらしていたのに、そこで夫人を見つめたのだ。
「今、何て?」
「この娘は、趙修令の息子と仲がよかったそうだと申しているんです。阿周といったそうですわね」

 すると、そこで皇后の顔色がさっと変わったのだ。
 そして震える声で摘花に尋ねた。
「あなた、阿周を知っているの?」


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