ふたりの時間/4
いつも触れて、知っているつもりでいたその身体は、思った以上に華奢で抱きしめるのが少し怖いくらいだった。
けれども彼の腕はすがりつくように強く俺の背に抱きついて、真っ白な肌を朱に染めると、涙を浮かべながら何度もうわごとみたいに好きだと言うから、その度に彼の想いが愛おしくて仕方がないと思った。
「好きだよ、佐樹さん」
そんな愛しいと想える人が、自分のすぐ傍で安心しきった顔で眠る姿を見られる、それはすごく幸せなことだ。毎日でも見ていたいと思うのは少々重たい気もするが、この人は寝顔まで無邪気でホッとした気持ちになる。
小さな寝息を立てる横顔を見下ろして、頬にかかる髪をすくえば、身じろぎながら彼は何かを手探るように腕を伸ばしてきた。
「可愛い」
自分のTシャツの胸元を握り、そこに擦り寄る仕草が可愛らしくて、思わず頬が緩む。
「……それにしても」
ふっと視線を持ち上げて、頭上の時計を確認した途端、自然とため息がもれた。
「すっきり目覚め過ぎだろ」
現在、時計は午前7時を少し回ったところだ。
ここ数年、仮眠抜きで目覚ましもなくこんなに早く起きた試しがない。
「寝起きの悪さが欲求不満のせいとか情けなすぎる」
けれど寝る時にこの寝顔を見ることはあっても、朝に彼より先に起きたことがないのも確かだった。
再びちらりと寝顔に視線を落とし、つい脱力して頭を抱えてしまう。申し訳ない気分になるのはなぜだろうか。
「……藤堂?」
「あ、すみません。起こしちゃいましたか」
サラサラとした触り心地につられるまま、彼の髪を撫でていたら、ふいに睫毛が揺れて眠たげな瞳がこちらを見上げる。
「平気」
「すみません」
小さな声と共にぎゅっと抱きつかれて、自分でもわかるほどにやけてしまった。
彼のさり気ない行動はあまりにも素直で、それがたまらなく愛おしく感じる。
「今、何時?」
「7時過ぎですよ」
「……早いな、お前寝たか?」
一瞬、目を瞬かせて固まった彼の言いたいことはよくわかっている。彼もまた、俺がそんなに早く起きたことがないのを、充分過ぎるほどよく知っているからだ。
「寝ましたよ。快眠過ぎるくらいです」
「やっぱり人間、我慢は毒だよな」
「……なんですかそれは」
意味ありげな表情で笑いを堪える彼に、訝しむ視線を向ければふっと小さく肩を震わせて笑われた。
「全然、嫌じゃなかったぞ」
「……」
「藤堂は嫌だった? やっぱり面倒だった?」
小さく首を傾げこちらを見上げる、その視線に思わず言葉が詰まった。全くこれに計算という意識がない彼、よくあることだけどもホントに参る。可愛い過ぎるというより、軽く小悪魔に思えて目眩がする。
「藤堂?」
ついその目につられて、何か言いたげな彼の唇にキスをしたら、大きく見開かれた瞳にはっきりと自分の姿が映った。
「佐樹さん、そんなこと言ったら俺はいつでも佐樹さんが欲しいよ」
「えっ、あ……それは、ちょっと困る」
右往左往とする視線と共に、頬だけでなく、首筋や耳までもが見る見るうちに赤くなる。
その表情につい悪戯心を刺激されて、いまだベッドに横たわるその身体に、覆い被さり抱きついたら、大袈裟なほどその身体が跳ねた。
「冗談ですよ」
「……い、いきなり心臓に悪い冗談言うな」
「すみません」
ホントは全く冗談ではないのだが、ほんの少し怯えた目でこちらを見るその姿を見たら、さすがにそれ以上の悪戯をする気は起きない。苦笑いを浮かべつつ、今度は頬にキスをした。
「身体はつらくないですか。少し無理させた気がするんですけど」
「ん、大丈夫。想像してたより全然平気だった」
「そう、それは良かった」
なだめるように髪を梳けば、強張っていた身体の力がふっと抜けたのが、目に見てわかる。
おずおずと伸ばされた腕に応えるように、彼の背中を抱き寄せると、ぎゅっと強く抱きつかれた。
「でも……どうだったかって聞かれたら、まだわかんないけど」
「……」
顔を隠すように肩へ擦り寄るのは、最近の彼の癖だ。
「そんなに最初から良いものじゃないですよ」
「ふぅんじゃぁ、そのうち慣れるか?」
「……だと良いですけどね」
真面目な顔をしてこちらをじっと見つめる彼の目を見ると、不思議と優しく甘やかしてあげたい衝動に駆られる。多分それは真逆の気持ちが、真っ直ぐな彼に触れて裏返されてしまうからなのかもしれない。
「でも、こっちにばっかり色々言わせようとするのは、ナシだからな」
「残念ですね。佐樹さんのおねだりは可愛いんですけど」
「……そ、そんなのしてない」
なんでこの人は、こんなに可愛いんだろうか。戸惑いがちなその顔が、どうしようもなく可愛い。純粋というか、嘘がないというか――とにかく、今時珍しいくらい穢れを知らない。
「じゃぁ、そういうことにしておきますか」
「お前、朝っぱらから意地悪いぞ」
頬を染めながら視線をさ迷わせるその表情に、胸の奥が強く締め付けられる。今まで自分の傍にはなかったこの眩しさを改めて感じて、たまらなく胸が苦しくなった。
「藤堂?」
誰にも彼を渡したくない、誰にもこんな彼を見せたくない。ずっと自分の傍に繋ぎとめておけたら良いのに――そんな風にどんどん重たくなっていく、俺の気持ちを知ったら、彼はどう思うだろう。
「どうした? 眠くなったか」
「いいえ」
嫌になって、去ってしまうだろうか。
「そっか、たまには朝ご飯食べるか?」
「そうですね」
でもきっと、そんな日が来たとしたら、俺の時間はそこで止まってしまうかもしれない。
「佐樹さんは、まだ休んでてください。コーヒー落ちたら声かけますから」
抱きしめていた身体をベッドへそっと下ろし、タオルケットを肩までかけてやると、俺は不思議そうに瞬きを繰り返す彼の額にキスをした。
「藤堂」
「なんですか?」
ベッドから下りた俺のシャツの裾を掴む手に振り向くと、真っ直ぐとこちらを見る目がほんの少し揺らめいた。
「佐樹さん? どうしたの」
「あ、悪い。ちょっと……寂しくなった。……馬鹿みたいだよな。おんなじ家ん中にいるのに寂しいとかって」
戸惑いがちに笑うその顔を見たら、頭が真っ白になってなにも考えられなくなる。
勢い任せに彼を抱き寄せて、腕にすっぽりと収まってしまうその小さな身体を、ただ強く胸に押し付けた。
「……ありがとう。ごめんな」
「佐樹さんが可愛いのは今に始まったことじゃないですから」
頬を染めて俯く姿を見ていると、こんなにも真っ白で可愛い人を前に、この先自分の理性が保てるのか不安になってくる。
飢えた獣は味をしめるとすぐ腹が減るものだ。
「藤堂? ため息なんかついてどうした?」
「可愛い兎をどうやって保護すべきか、悩んでただけです」
「は?」
恐らく全く意味を理解していないであろう彼は、訝しげな顔で首を傾げたまま俺をじっと見つめる。
そんな彼をタオルケットごと抱き上げると、その表情は驚きに変わった。
「な、なに」
「寂しいなら一緒に向こうへ行きましょう」
「え? あ、自分で歩くから、下ろせっ」
「嫌です」
ジタバタもがく彼をしっかりと抱きしめて、真っ赤にしている頬に顔を寄せれば、急にぴたりと動きが止まる。
「……藤堂はお腹いっぱいになると不安になるタイプか?」
「え?」
今度は彼の言葉に俺が目を丸くしてしまった。じっと窺うように見つめる視線に首を傾げると、先ほどまで抵抗を示していた腕が首元に絡む。
「欲がないな、お前は」
「……なに言ってるんですか。欲深いですよ俺は」
「欲しいもの、簡単に手放そうとする」
まるで心の中を見透かしたようなことを彼は言う。
「二人の間ではそういうのなしだぞ。今もしも、お前が離れたら全力で追いかけてやる」
唖然とする俺を子供みたいな顔で笑って、ぎゅっと強くしがみついてきた彼は、やっぱり真っ白で眩しかった。
「今日の昼は少し出掛けよう。夜は時間まで二人でゆっくり過ごそう。もっと二人でいられる時間楽しめよ……寂しいだろ」
「そうですね、すみません」
やんわりと唇に触れた温もりにふっと気持ちが軽くなる。それを返すように口付ければ、彼はやけに嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。
「どうしたんですか?」
「ん、幸せだなぁって噛みしめた」
「佐樹さんは可愛いね」
朱に染めた頬を緩めたまま抱きついてくる、可愛らしい恋人を抱え、俺はのんびりとリビングへ足を向けた。
[ふたりの時間/end]
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