[携帯モード] [URL送信]

はじまりの恋
決別/10
 藤堂と外でのんびりと食事をするのは随分と久しぶりだ。それこそ初めて出かけた時以来だろうか。動物園へ出かけた時もなんだかんだと色々あって、二人きりには程遠い感じになってしまったし、実家に行ったから食事もみんなで済ませた。藤堂が喜んでいたのでそれはそれでよかったのだけれど、今日はやはり少し気持ちがいつもより浮ついてしまった。そして普段まったく飲まないお酒を軽く舐める程度に飲んだけど、飲めないことをすぐ藤堂に悟られて、それは容易く奪い去られた。でもほんの少しのアルコールならば、ちょっとテンションが普段より上がるくらいだ。ただしグラスに一杯飲みきると、さすがにすぐに酒が回るくらいの下戸でもある。

「佐樹さん本当に大丈夫です?」

「うん、平気」

 気分よくへらへら笑いながら歩いていると、さすがに藤堂の顔が心配げなものに変わる。でも日が暮れた帰り道でこっそりと手を繋いで歩いて、肩寄せて笑い合うそれだけなのに、いまは本当に幸せだと思えた。

「佐樹さんのは弱いというより本当に飲めないんですね」

「一口なら平気」

「まぁ、その一口で、俺は気づいてよかったと思ってますよ」

 小さく息を吐いた藤堂の肩に頭をすり寄せたら、髪を梳いて頬を優しく撫でられた。それがくすぐったくて繋いだ手をぎゅっと強く握ったら、立ち止まった藤堂の唇が僕の額に触れた。

「佐樹さん、ちょっと可愛すぎる」

「ん?」

 急に真剣な顔でこちらを見下ろす藤堂に少しドキリとした。でもその表情の意味がわからなくて首を傾げたら、突然抱きすくめられた。

「ちょ、さすがにここだと」

 人通りの多い道ではないので、いま誰かに見られるということはないかもしれないが、いつ何時、人が来るかわからない。しかし慌てて身を引こうと目の前の肩を押した僕の手を取り、藤堂はその指先に口付ける。

「ここじゃなかったらいいの? 俺、前にも忠告してますよね」

「え? えっと、忠告って?」

 真っ直ぐにこちらを見つめられて、恥ずかしさを感じるのに、その視線から目をそらすことができない。そして藤堂の言う忠告という言葉を考えて思考を巡らせてみるも、心拍数が上がって若干テンパっている状況ではそれもうまくいかない。

「すみません」

「え?」

「俺が悪かったです」

「なんで?」

 強く抱きしめられていた身体をいきなりそっと離されて、さらには急に謝られ、ますます頭がついていかない。しかも藤堂が悪いってなんだ。いまのこの状況をまったく理解できていない僕の方が明らかに悪いだろう。それなのに藤堂は申し訳なさそうな顔で僕の頭を優しく撫でる。

「わかるように言ってくれないと、僕は馬鹿だからわかんないって言っただろ」

「いや、いまはまだわかってない佐樹さんに、気持ち押し付けたくない」

「だから、意味わかんないって」

 俯いて顔をそらした藤堂の肩を拳で叩けば、その手をぎゅっと強く握られた。そしてこちらへ視線を戻した藤堂はなにか言いたげな目をする。

「佐樹さん、キスしてもいい?」

「……なっ」

 散々、今日何度も人のふいをついてしてきたくせに、急にそんなことを確認されては恥ずかしさしかない。頬が熱くなって顔を隠したくなったが、それでもこんな風にわざわざ聞いてくるくらいだから、多分きっとなにか藤堂の中で整理したいものがあるのかもしれない。小さく頷いて見せれば、そっと両頬に藤堂の手が添えられた。
 その温かい感触にゆっくり目を閉じれば、ふわりと至極優しく唇を寄せられる。決して深く押し入ることはせずに、何度も優しく触れるそのぬくもりに、なぜか胸が締め付けられる想いがした。

「またここになんか溜め込んでる?」

 離れていく唇を視線で追い、そっと藤堂の胸もとを両手のひらで触れた。

「うーん、そろそろ色々とヤバイ感じですかね」

「え? そんなにひどいのか」

「……冗談ですよ。早く帰りましょう」

 一瞬、微妙な間があったが、にこりと微笑んだ藤堂に手を繋がれ、それ以上のことを聞くことができず、僕は先を歩く背中を追った。



 宿に戻って改めて部屋を見るとびっくりするくらい、いい部屋だと実感した。最初は本当に荷物を置いただけで出てしまったけれど、ついぐるりと部屋の中を歩き回ってしまった。
 広い客間は青々とした綺麗な畳敷きで、床の間には綺麗な花が生けられていた。広いテーブルは重厚で高級感もある。そして備えられている座椅子にはふかふかとした座布団。窓際の縁側にも揺り椅子が二脚と小さなテーブルがあった。寝室は洋間でツインのベッドだ。いかにも温泉旅館というこの部屋で浴衣に着替えると尚更に気分が上がる。
 さらにこの部屋で一番驚いたところは――。

「藤堂、内風呂がある。絶景だぞ」

 おそらく使われているのは檜だろうか、とてもいい香りがする。小さいながらも景観が綺麗な露天風呂だ。しかしテンション高く振り返った僕とは対照的に、客間でくつろいでいたはずの藤堂は、なんだか苦いというか渋い顔をしていた。
 今日、何度目かわからないその表情に僕は、藤堂の後で、という言葉を思い出した。

「藤堂、後で、の話を聞いてもいいか?」

 藤堂の顔色を伺いながら、そろりと四つん這いで近いづいていったら、一瞬だけ藤堂がびくりと肩を跳ね上げた。その反応に目を瞬かせると、大きなため息と一緒に藤堂がうな垂れて頭を抑えた。

「やっぱり佐樹さんは、言葉や行動で示さないとわかってもらえないんですよね」

「うん?」

「俺、以前忠告したって言いましたよね。それは記憶ないですか」

 記憶に? なにか言われていたことがあっただろうか。いや、いつもなにかしら色々言われているような気もして、どれがそうなのか見当がつかない。考えるように首を捻っていると、ふっと息をついた藤堂に手招きされた。
 その手につられてすぐ傍まで近づき正座をしたら、藤堂はいつものように僕の髪を梳いて優しく撫でる。そしてその優しい指先がするりと流れて、耳をくすぐるように何度も撫でるものだから、思わず肩が跳ねてしまった。でもからかっているでも、悪戯をしている風でもない藤堂の表情に、逃げ出しそうになるのをなんとか堪えた。しかしいつまで経ってもその手は離れてくれず、次第に耳元に触れていた指先は頬の輪郭を辿って下へ下へと下りていく。その感触にぼんやりとした記憶が頭の隅をよぎる。けれど僕は思わずぎゅっと目をつむってしまった。

「佐樹さん、思い出した?」

 耳元に寄せられた唇から囁かれた言葉で、一気に熱が顔に集中した。でもそれがさらに目を開くタイミングを逃すことになる。
 首元に触れた手が浴衣の襟元から中へと滑り込む。目を閉じているせいで余計にはっきりとその感触が伝わって、異常なくらい鼓動が早くなってくる。さらに首筋に唇が触れれば、心臓が止まるかと思った。

「と、藤堂」

 指先や唇で触れられる感触に、気がおかしくなりそうなくらい頭がぐるぐるとしてきた。首筋を伝っていた藤堂の唇が僕の口元に触れる。思わず反射的に応えるよう開いた僕の唇から藤堂の舌が滑り込み、僕のものを絡め取る。何度も繰り返される口づけに息が上がり、目の前の藤堂にしがみつきかけたその時、浴衣の裾を割り滑り込んだ手に素足を触れられた。胸元を触れられるよりもやけに生々しいその感触に、僕は直ぐさま我に返った。
 驚いて目を開けるとばちりと藤堂と目が合う。いつもとは違う情欲を感じさせるその視線に、身体がとっさに逃げてしまった。弾かれるように後ろへ下がった僕を、藤堂は無理に追いかけるようなことはせず、じっとこちらを見ている。そして真っ直ぐすぎるその視線に耐えられなくなった僕は、逃げ出した。

「風呂行ってくる」

「内風呂に入るんじゃなかったの」

「大浴場の方に行ってくる」

 背後で微かに藤堂のため息が聞こえたけれど、タオル一式を抱えて僕は慌ただしく部屋から飛び出してしまった。ゆっくりと閉まった扉。廊下に立ち尽くした僕はその扉に背を預けて、ずるずると沈み込むようにしゃがんでしまう。まだ頬や身体が熱い。
 以前、実家に泊まりに来た時、そういうことも意識するようにと言われた。その時は驚いた僕を見て、藤堂はすぐに手を引いてくれた。でもさっきのはこの前のとは違った気がする。
 あのまま僕が逃げ出さなかったら?

「ヤバイ、ヤバイ、心臓がうるさすぎる」

 僕がなにも考えずにあまりにも無防備に近づくから、だからあんなに藤堂は難しい顔をしていたのか。ずっと我慢していてくれたって事だよな。やはり僕がこうやって逃げ出すのがわかっていたからだろうか。逃げ出してから後悔しても遅いけど、好きな人に逃げられたり拒絶されるってかなり傷つく。

「どうしよう」

 前回の反応がアレだったのだから、僕が逃げ出すことは想定していたかもしれないけれど、多分きっと藤堂は傷ついたはずだ。だからと言っていまここで部屋に戻っていくのは絶対に無理だ。どんな顔して戻っていいのかさっぱりわからない。というよりも思いつかないし、いまは全然考えられない。っていうか、男同士ってどうするんだ?
 触るだけ? そんなもん? 一体なにをどうしたらいいのかわからなさ過ぎる。

「いやいや、未知との遭遇すぎる」

 触られるだけでもあんなにドキドキして恥ずかしいのに、あれ以上なにをどうしたらいいんだ。藤堂の手や唇、微かに聞こえた息遣いを思い出して、顔がゆで上げられたみたいに熱くなる。キスをする時は、時々性急だったりしてふわふわすることもあるけれど、いつもはすぐはぐらかしたりして、曖昧に笑ったりして、そんな素振りなんてあんまり見せないのに、あんな顔は反則だ。色気とかが半端なかった。
 もう絶対、女の子とかだったらコロっといっちゃったりするんだろうな。いや、男の人でもちょっと危ないか。というよりそっちが危ないって片平にも言われたっけ。

「あぁ、もう、無理っ」

 顔を覆い俯いた僕は、これ以上ここにいてもぐるぐるして、先ほどのことを思い出してしまうばかりだと判断し、大人しく大浴場へと足を向けた。
 

[*前へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!