[携帯モード] [URL送信]

はじまりの恋
Feeling/3
 しんと静まり返った空間に、踊り場の隅に置かれた室外機のモーター音だけが響く。わずかに外灯の光が漏れ射し込むだけのこの場所が、やけに静けさを助長する。

「……藤堂」

 薄暗い闇に溶け込んで、見えなくなってしまいそうな不安。自分を抱き締める藤堂を、繋ぎ留めるかのように、僕は腕を伸ばしその背を抱き寄せた。

「あいつが、なにか言ったんですか」

 なだめるように髪を撫で、背をさする藤堂の手がひどく温かくて、僕はたまらず肩口に額を押し付けた。

「違う。見ていればわかる」

「自分のことは全くなのに」

「お前を見ている奴は、みんな気づく」

 ため息混じりに呟く藤堂の背中をぎゅっと掴むと、肩の上にほんの少し重みを感じる。横目でその先を見れば、藤堂が僕の肩に頭を乗せ俯いていた。
 艶やかな髪先から覗く耳や首筋が、薄明かりの中でもわかるほどに赤く染まる。

「どうした?」

「……貴方が可愛すぎて、どうにかなりそうです」

 俯いたまま深いため息を吐いた藤堂に目を瞬かせれば、髪を梳きそこへ口付けられた。

「わからなければ、良いです。俺がこらえ性がないだけですから……多分」

 少しだけ緩んだ腕の力に首を傾げると、藤堂は扉にもたれながらその両手を僕の腰の辺りで組んだ。それに習い、同じように腕を下ろせば、やんわりと微笑んだ藤堂の唇が額に触れた。

「なぁ藤堂。本当のところどう思ってた?」

「なんでそんなに気になるんですか。俺はずっと佐樹さんが好きですよ」

「……ん」

 眉をひそめた藤堂の目をじっと見つめると、彼はふいに困ったような笑みを浮かべた。

「俺も相当ですけど、佐樹さんも心配性ですね」

「あ、悪い。鬱陶しい、よな」

 それは――痛い程わかっている。けれど、なんとも言いがたい感情がこみ上げて、胸がずしりと重くなる。

「最初に言っておきますけど。俺はいまもそれ以前も貴方だけですから」

「あぁ」

 念を押すように僕を見つめる藤堂の視線から、つい逃げて俯いてしまった。そんな僕にほんの少し肩をすくめ藤堂は笑う。

「……あいつの気持ちは知っていましたよ。でも、向こうも多分それに気づいてはいたんじゃないですかね」

「えっ」

「けど、俺はあいつに対してそういう感情はなかったので……お互い、異種的な恋愛観の持ち主じゃなければ、良い友人くらいには、なれたのかもしれないですね」

 跳ね上がった僕の肩に腕を回し、藤堂は小さく笑いながらそれをゆっくりと自分の肩口へ引き寄せた。

「本当になにも思わなかったのか?」

「……そうですね」

 思わず詰め寄るように胸元を握れば、ほんの一瞬だけ、呆れたような眼差しがこちらを見下ろした。

「悪い、やっぱりいい。みっともないよな」

「別に良いですよ。それだけ佐樹さんが俺に執着してくれてるってことでしょう?」

「いま、呆れただろう」

 先程の目を思い出すと、胸の辺りがざわめき、自分の感情があまりにも幼稚で、恥ずかしくて、逃げ出したくなる。

「呆れたというか、吃驚したが正解ですね。そんなに泣きそうな顔で言われたら、冥利に尽きるというか、いますぐにでも攫ってしまいたい」

「え?」

 思いがけない言葉に顔を上げると、至極優しく微笑む藤堂の顔が目の前に迫った。それに驚く間もなく唇を塞がれれば、息すら絡め取られてしまうのではないかと思うほど、深い口付けに捕らわれた。

「ん、……ん」

 鼻から抜けた自分の声に、身体の熱が一気に顔に集中したような気がする。しかし縋るような甘さを含んだそれを、耳を塞いで遠ざけたいと思っていても、藤堂の背中にしがみつくので精一杯だ。けれど頭がぼんやりとして、息苦しくてたまらないのに……ひどく満たされてしまう。

「大丈夫ですか?」

 ゆるりと離れていく唇を名残惜しげに視線で追えば、再びそれが近づき軽く啄むように触れる。口元で鳴る小さなリップ音に思わず身体が震え、力が抜けた。

「すみません。あまりにも可愛かったので、つい」

「……馬鹿」

 急にぐったりとした僕に、ほんの少しうろたえたような声を上げる藤堂。その顔を上目で睨むと、もたれた身体を隙間がなくなるくらい強く抱き寄せられた。

「心臓に悪い……死にそう」

 ぼそりと耳元で呟く藤堂の独り言に首を捻るが、それは深く長いため息でうやむやにされてしまった。

「藤堂は、峰岸のことを可愛いとか思ったことあるか?」

「……は?」

「は、じゃなくて」

「え?」

 僕の一言で、時が止まったかのように瞬きを忘れ、藤堂が固まった。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔――彼のそんな顔を久しぶりに見た。確かに突然そんなことを聞かれれば、驚かずにはいられないとは思うが。

「なにをどうしたら、そういう質問が出るんですか」

「なんとなく。峰岸って懐かない猫みたいだろ? それが自分には甘えてくるの、可愛いって思ったりしないか」

 ひどく険しい顔をする藤堂に首を傾げれば、目を細められ、ますます眉間にしわが寄る。

「……まさか、思ったりしてるんですか?」

「ん、まぁ。たまに」

 顔をひきつらせている藤堂に小さく頷くと、うな垂れたように肩を落として、藤堂は重たいため息を吐き出した。

「なんで急にそんなこと聞くんですか」

「藤堂は甘えられるのに弱いのかと思ったから?」

 身近にいる人間の感情に藤堂は敏感な気がする。自分が見ている範囲だけで、普段の彼はほとんど知らないが。多分、懐に入れた人間にはすごく優しい気がした。

「い、いきなり、変に冷静な分析しないでください」

 遂には頭を抱えて俯いてしまった藤堂の顔を覗けば、それを阻むように胸元へ顔を押し付けられてしまった。

「どうだった?」

「……」

 押し黙る藤堂の胸元からは忙しない心音が聞こえる。戸惑いなのか、焦りなのかはわからないが、その音にしばらく耳を傾けた。

「最初に言ったことは忘れないでくださいね」

「ん、わかってる」

「……思ったことは、ありました」

 ポツリと小さな声で呟いた藤堂の言葉に、ふぅんと相槌を打ったきり、僕は口を閉ざした。けれど傷ついたと言うわけではなく、なんとなく納得したというのが正しい気がした。
 だからただ――確かめたくなっただけなんだ。

「佐樹さん?」

「ん、あぁ。悪い、怒ってるわけじゃなくて。お前たち見てると水と油だろ? よくずっと一緒にいたなって思ってたから、納得した」

 窺うような藤堂の声に顔を上げれば、困惑した眼差しがじっとこちらを見ていた。

「あれは、あいつがなにかと佐樹さんに構うからであって」

「ん、わかった」

「なにがですか」

 暗い顔をしていた僕が、急に笑みを浮かべたことで、ますます藤堂の表情が戸惑ったように強張る。そんな彼の反応に僕はつい苦笑いをしてしまった。

「いまは藤堂の優先順位。一番は自分なんだってわかった」

 けれど、多分以前は峰岸だったのではないかと思う。僕が藤堂の隣に立つまでは――そうでなければ、お互いの想いを知ったまま長く一緒にはいられない。そして峰岸が手を離さなければ、きっと藤堂はここにはいなかった。それを思うとたまらなく胸が痛い。
 その痛みが自分に対してのものなのか、峰岸へのものなのかはわからない。でも僕は、どうしても確かめたかったのだ。

「いい、もう満足した」

「佐樹さん。一人で完結しないでください」

「知りたかっただけだ。お前の一番がいま、本当に自分なのか」

 馬鹿馬鹿しいと笑われても構わない。これだけ想いを与えられて、まだ信じられないのかと罵倒されてもいい。

「……過去はいらない。だからいまのお前は、自分だけのものだって、確かめたかったんだ」

 藤堂を想う自分の気持ちはもう心から溢れて、どうしようもないところまで来ている。だから何度も何度も確かめても、きっと足りない。またいつか同じことを彼に問いかけてしまう。
 一分一秒先の藤堂の気持ちを確かめてしまう。

「女々しくて情けないけど。お前じゃないと駄目なんだ。だから」

 はじまりからそうだった。なぜそんなに追いつめられてしまうほど、彼の気持ちが欲しいのかわからない。でもどれだけ一緒にいても不安が過ぎる。
 多分どこかでを恐れている。置いていかれるのが、怖い。手が届かなくなるのが怖くてたまらない。

「落ち着いて、ちゃんと聞いてください。そして絶対に忘れないでください。俺が愛してる人は、いまもこの先も佐樹さん、貴方だけです」

「……ん」

 そう言って優しく抱き締められたら、もう言葉なんて見つからない。ひたすら頷いて泣くしか出来ない。

「大丈夫ですよ」

 しばらく時間を忘れて藤堂の胸元に顔を埋めていると、その向こうから鈍い音が数回聞こえてきた。

「お取り込み中悪いけど」

 微かに聞こえるその声に気づき、藤堂が寄りかかっていた扉から退けば、軋んだ音を立ててそれはほんのわずかに開いた。

「ジイさんがそろそろ戻れってよ。ミキティじゃ使えねぇってブツブツ言ってるぜ」

 細く開いた隙間から聞こえる峰岸の声に、藤堂は肩をすくめて小さく笑う。

「俺、もう行きますね」

「悪い、仕事サボらせた」

「大丈夫」

 言い募ろうとした僕の口を唇で塞ぎ、やんわりと微笑んだ藤堂は、髪を撫で静かに離れていった。開いた扉の隙間から射し込んだ光に一瞬目が眩む。

「ちゃんと送れよ」

「わかってる。さっさと行け」

 峰岸に追い立てられながら去っていく藤堂の後ろ姿を見ていると、ふいに光を遮るような影が落ちる。

「センセ、目が赤い。泣かされたのか」

「ち、違う」

 僕の顔をじっと見ていた峰岸が、指先で目の縁をなぞり眉をひそめた。慌ててその手を払えば、なぜか小さくため息を吐かれる。

「泣かされたら言えよ。叱ってやる」

「馬鹿言うな。藤堂はそんなことしない」

「だろうな。あいつセンセにべた惚れだし。つうか盲目だぜホントに」

 顔をしかめた僕に、楽しげな笑みを浮かべ峰岸は口端を持ち上げる。

「いまも昔もあいつの一番はセンセだけだ。だから、俺はそんなあいつとセンセの間に割り込んで楽しく過ごすから、気にすんな」

「は?」

「俺は二人共好きだって言ったろ? 両方構えて一石二鳥だ」

 あ然としている僕に、わざとらしく片目をつむると、峰岸はニヤニヤと含み笑いをしながら、扉の向こうへ消える。そして慌てて僕が扉を開けば、峰岸は目を細めニヤリと笑った。

「恋愛には障害がつきものだろう?」

 その笑顔が冗談なのか、本気なのかはわからないが、間違いなく彼の猫じゃらしになったような気はする。



[Feeling / end]

NEXT / 邂逅]

[*前へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!