はじまりの恋
邂逅/1
窓から見える景色の中に、グラウンドで走り回る運動部の生徒たちや、それに紛れ下校する生徒たちの姿が見えた。
久しぶりにやってきたこの部室の窓からは、相変わらず色んな景色が見える。机上に散らばった写真を片付けながら、ふと長いこと見つめていた窓から視線を外し、僕はその間ずっと閉まったままの扉を振り返った。
「お前ら、いつまでやってるんだ」
ほんのわずか隙間を開けて、中を覗く。明るいこちら側の室内に比べて、向こう側は真っ暗だ。目を細めて人の気配を探れば、それを察する前に楽しげな声が聞こえてきた。
「これすっごいピンボケ」
「ちょちょ、これ天才的だと思わねぇ」
「あぁ、これやっぱあっちで撮れば良かった」
こちらのことなどまったく気づいていない様子で、皆様々にネガを覗いたり、写真を吊るしたりしていた。
「あ、ごめん西やん。なんかいま盛り上がっちゃってる」
ふと目の前が遮られ、上から降ってきた声に顔を上げれば、三島が少し困ったように僕を見下ろしていた。その顔に肩をすくめて笑うと、背後を指さされ、促されるように僕は扉から身を離した。
「しばらくあの調子かも」
暗室から出てきた三島は手近の椅子に腰掛けて、机上に置いてあったペットボトルを掴む。
「ごめんね、代理で来てもらってるのに」
「いや、これから展覧会もあるから仕方ないだろ。それに代理顧問とは言っても、前回同様、大して僕のすることはないからな」
所詮代理顧問といっても、部室内の施錠確認や備品管理が精々だ。今日は特にすることもなかったので部室に顔を出しているだけのこと。本来だったらわざわざ部室に来る必要もない。
「んー、三年なんかは最後だから、余計気合入っちゃってるんだよね」
封の開いていないお茶のボトルを僕に手渡しながら、三島は苦笑いを浮かべる。その顔に小さく笑って僕は三島の向かい側の椅子を引いた。
「そうだよな。やっぱり最後となると入れ込み具合も違うよな」
「そういえば昔、西やんも写真部だったんでしょ。どのくらいやってたの?」
「中学、高校だけ。大学までは続けなかった」
「そうなんだ」
なにかと代理を頼まれるのは、昔少しだけ経験があるという簡単な理由。でもここに来ると少し懐かしい気分にはなる。学生時代を思い出すというか。
「うちの写真部は誰もデジタルいないんだな」
「うん、顧問の先生のこだわりでもあるんだけど。フィルムの方が味があるからって、部活内ではデジカメは禁止なんだよね」
部内の戸棚に並ぶ備品のカメラは、古いものから新しいものまで全てアナログの一眼レフ。きちんと整備されているのかどれも現役だ。顧問の先生はいささかカメラオタクなところがあるので尚更か。
「まぁ、気持ちはわからなくないけど」
肩をすくめた三島にそう言って笑うと、ゆるりとした笑みを浮かべられる。
「いまでも結構好きなんだ」
「まぁな」
いまでこそカメラに触ることはほとんどないが、それでもやはり、いまだにカメラを触ったり見たりすればワクワクするし、写真展や展覧会に行くのは好きだ。
「始めたきっかけってある?」
「んー、そうだな」
首を傾げた三島に僕は、昔の記憶を巻き戻すかのように目を細め、考えてみた。
「あぁ、父親かな。プロだった訳じゃないけど、ずっと写真撮ってる人だった」
小さい頃にあちこち連れ回された記憶がある。休みの日になればどこへでも飛び出して行ったので、実家に帰れば家族写真を綴じたアルバムが何冊もあったはず。
「あの人がいなくなってから、あまり触らなくなったのかもしれないな」
「……もしかして西やんのお父さん、亡くなったの?」
「そ、もうどれくらいに経つかな? 高校入った頃だった気がする。事故でな、あっという間だった」
本当にあっという間だった。人生は明日、いや次の瞬間なにが起きるかわからないものだと思った。
「そんな顔するな」
急に曇った三島の顔に僕は軽く笑って見せる。それはどうしたっていつしか来る別れだ。それが少しばかり早かっただけ。
「じゃぁ、お母さん大変だったね」
「え? あぁ、そうだなぁ。上がだいぶ大きかったから、少しはマシだったろうけど、大変だったとは思う」
三島の言葉に一瞬だけ僕は戸惑った。なぜなら人は大概僕に対して大変だったねと言う。だが、いまそう言われなかったのが不満だったのではなく、三島は他の誰よりも、母親の心配をした。それが少し嬉しかったのだ。
「そうか、そういえばお前の家は、お父さんと中学生とまだ小さい弟の四人だったけ」
「うん、そう。男ばっかりで暑苦しいんだよね」
「それならうちは、女ばっかりで肩身が狭いぞ」
三島の柔らかい和みのある雰囲気は、男だらけとはいえ相当な癒やし要素だろう。彼が怒った姿はまだ一度しか見たことがないけれど、家ではやはり厳しかったりするのだろうか。
「どしたの? 俺の顔になんかついてる?」
思わずじっと見つめてしまったら、ものすごく怪訝な顔をされてしまった。
「いや、三島の普段ってどんな風かと思って」
三島は藤堂や片平といる時でさえ、いつも一歩後ろで見守っているような雰囲気がある。それはどこか父親や母親みたいな包容力だ。
「家ではさすがに怒鳴ったりもあるよ? なんたってどっちも手がかかるから、優しくばっかりしてるとナメられる」
下の弟たちを思い出したのか、三島の眉間に皺が刻まれる。自分は下に兄弟がいないので、その気持ちを残念ながら理解してやることは出来ないが、なんとなく大変そうなのはひしひし伝わってくる。
「そうか良い兄ちゃんだな」
さり気ない三島の気遣いや優しさは、藤堂のとはまた少し違った感じで、つい安心し過ぎて涙腺が緩むこともある。背も高いし、手も大きいし、少しだけ記憶の隅に残っている、父親みたいな温かさを感じるのかもしれない。
長男で末っ子だったから、甘やかされてたんだな、自分は。
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