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■春の夜の夢(下)
会長視点。




 視線を合わせたまま手の甲に落とされた口づけは、作法に則り触れてはいない。それでも、息の触れるその箇所が、火傷したかのように熱くて。

 オレの胸は歓喜に震えていた。

 ようやく。ようやくだ。ようやく手に入れることができた。





 春休みと言えど新学期に向け準備せねばならないことは多く、生徒会室に通いつめていた。その日は新入生の入寮開始日。

 特に深い理由があったわけではない。ただ何となく、春を感じたくなり寄り道をすることにした。

 ただの桜なら、生徒会室の窓や寮に戻る道すがら見ることができる。けれど、せっかくなのだからとあまり知られていない、隠れた名所へと向かった。

 この学園内で一番見事な桜の木。学園の設立当初から生徒たちを見守っているとさえ言われるその木に会いに行く。進む道の途中から外灯はなくなり、月明かりだけを頼りに歩を進める。

 静かな。静かな夜だった。

 夜の音に耳を澄ませ、頬を撫でる風の優しさに目を細める。ゆっくりと、足を動かすのはこの時が惜しいから。なるべく長くこの空気に触れていたくて、わざと遅く歩く。

 たどり着いた先にある桜は、やはり立派で。無意識の内にほぅと息をついていた。

 照すのは月明かりだけ。暗闇に浮かぶ花びらは白く、霞のように空を覆う。見事としか言い様のないその光景を、ただ無心に眺めていると一際強く風が吹いた。

 ざわりと枝が揺れ、花弁が降り落ちる。息を忘れるほどの情景。降り注ぐ花弁の、一片を追うように視線を動かし、花吹雪の向こうに彼を見た。

 まっすぐな、力強い視線に射竦められる。彼が誰だとか、こんな時間にだとかそんなことが頭を過ったのは最後の一片が地表に降り立ってから。

 二人の間を隔てるように降り注いでいた花弁が全て姿を消し、彼との間にはもう何もない。それでも、そらされることのない強く熱い眼差し。一呼吸おいて、歩み寄った。

「お前、名は?」

 耳に優しい声で告げられた音を、舌に乗せ転がす。極上の日本酒のように、それだけで気分が高揚する。

 いいモノを見つけた。名も覚えた。今宵はここまででいい。これ以上を今望むのは、時期尚早だ。何よりも、一旦頭を冷やしたい。早く寮に戻るよう言い置き、その場を後にした。

 自分から背を向けたくせに、声をかけてくれれば部屋に連れ帰るにとバカなことを思いながら。

 翌日に彼の事を調べた。外部生。どおりで記憶にないわけだ。彼の事なら、例え視界の端にいたとしても気づいていたはずだ。それほどまでの存在感がある。

 名簿の上の名を、指先でつぅ…となぞる。それだけで喜悦が浮かぶ。

 欲しいと思った。

 手に入れようと決めた。

 バタンと、唐突にドアが開き副会長が入ってきた。サボりぐせのある副会長がやけに機嫌よく挨拶をしてくる。

「遅い」
「来ただけマシでしょう?今日は気分いいからちゃんと働くよ。気分いいから」

 自分で言うだけあって、本当に楽しげに笑っている。珍しいこともあるものだと、眉をひそめた。

 だが、他人の事をとやかく言える立場でもない。手元の名簿に一度視線を落とし、それから書類に目を通し始めた。

 春休みの内に、何度かあの場所を訪れた。同じような時間だったり、昼間だったり。時には早朝に。奴は一度も姿を見せなかった。あんなにも強い眼差しで見ていたくせに、ただの一度も。

 再び、奴の姿を目にできたのは入学式の壇上での事だった。探すまでもなく、どこにいるのかがわかる。自然と口角が持ち上がる。

 あの時と同じ、強く熱い眼差し。ひたむきなまでに向けられる感情。奴の目を見つめ、歓迎の挨拶をのべていた。

 生徒会役員の紹介を終え、袖に戻る。やはり欲しい。やっぱり手に入れようと決意を新たにした。

「欲しいモノがある」
「………欲しい物ですか?」
「ああ。欲しい者だ」

 手に入れるため、まずは環境を整える必要がある。邪魔をされるのは不愉快だ。親衛隊の隊長を呼び出し、宣言をする。

「何でしょう?すぐにご用意いたしますが」
「いや、いい。自分で手にいれたいんだ」
「そうですか」

 じっと探るように見つめてくる隊長に、笑んでみせる。徐々に眉間にシワがより、終いに隊長は重苦しいため息を吐いた。頭が痛いと言うように額を押さえ項垂れる。

「欲しい‘者’ですか?」
「欲しい‘者’だ」
「誤解を招くような言い方は感心しません」
「何の事だ?」

 クツクツと、零れそうになる笑いを堪えながら問う。向けられる眼差しは恨みがましいもので。益々愉快な心持ちになる。

「…まぁ、いいでしょう。手を、出さないようにすればいいんですね?」
「ああ。邪魔をしなければ良い」
「相手は?」
「じき、わかる」
「わかりました」

 隊長が去り一人になると、窓枠に背を預けた。上半身を乗り出すようにし、空を仰ぎ見る。

 隊長に任せておけば問題はない。後はただ整うのを待つだけ。もうじきだ。

 副会長がそれを生徒会室につれてきたのは、隊長と対話してしばらくの事。気持ちの悪いくらいご機嫌な副会長が、お気に入りなのだと紹介してきた。

 新学期が始まり、輪をかけて姿を消すようになったと思っていたらこれだ。度々それに会うために、正確には捕獲するためにふらふらしていたのだと言う。

 関係のないこと。挨拶だけし、放置しようとしていた。だがその姿その名にどこか覚えがある。記憶を辿り、奴の同室者なのだと思い至った。

 ならば話は別だ。

 普段どんなことをしているのか、相部屋はどんな風なのか。そんなことを訊ねれば、自然とそれの口から奴の名が出てくる。

 親しくしておいて損はない。顔見知りと言うくらいには挨拶をするようになり、時には軽く会話する間柄になった。

 やがて桜の花弁が全て散り終え、葉桜になる頃。準備は全て整った。

 親衛隊にはそれとなく噂を流し、余計な手を出させない空気を作った。万全を期したからなのか、意趣返しのつもりなのか、むしろ見守ろうという雰囲気すらある。風紀には探りを入れられた。肯定も否定もせずはぐらかしたが、何をしようとしているのか察しただろう。補佐任命の書類も整え、顧問の許可も得た。

 後は本人から言質をとるだけ。

 逸る気持ちに急かされて、放課後の廊下を行く。普段訪れることのない一年の階に来たせいで、周りが騒がしくなる。そんなことが気にならないくらい、気分は高揚していた。

 周りの声は耳に入らない。ただ奴の教室を一心に目指す。

 中に入ろうとしたところで、副会長のお気に入りが飛び出してきた。驚きに目を見開いたそれに、用件を告げる。

 教室内を振り返ったそれが、名を大声で呼ぶ。その視線の先を追えば、奴がいた。一番後ろのベランダ側の席。机の上に頬杖をつき、こちらを見つめている。

 奴は微動だにせずにただこちらを眺めている。副会長のお気に入りが奴に近づき声をかける。

 一体何をしているのか。オレがここにいるというのに、奴は別の人間と話している。早く、ここに来いと、奴の名を呼んだ。

 決して大きな声ではなかった。それでも奴はすぐにこちらを向いた。来いと、声に出さず呟けば、奴は言うことをきいた。

 まっすぐにこちらを見つめてくる眼差し。お互い、そらしてなるものかと強く見つめ合う。

 奴が足を止めるのを待ち、口を開いた。前置きも、説明も何も必要ない。

「お前、生徒会に入れ」

 告げた言葉に奴の目は細くなる。わずかに持ち上がった口角。否定の言葉が出るわけないと知っていた。だが、奴の口から出たのは交換条件。

「先輩がオレのになるならいいですよ」

 その条件に、笑みを抑えられなくなる。奴がオレを欲している。ならば与えることに躊躇はない。けれど、

「なら、お前はオレのだな」

 それは至極当然の事だった。奴がオレを欲するなら、オレは奴を欲する。オレが奴に与えるなら、奴はオレに与える。オレが奴のモノなら………奴はオレのモノだ。
 奴が満足げな表情を浮かべる。そっとのばされた指先が頬を撫でる。そして手の甲に落とされた口づけ。

 風紀委員が騒ぎを聞き付けやって来るまで、オレたちはただ手をとり、見つめ合っていた。

 ようやく手に入れた。

 決して手放しはしない。





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あきゅろす。
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