[携帯モード] [URL送信]

***




 唇に噛みつかれた。

 抱きしめてもくれた。

 でも、まだ足りない。

 去年の夏休み、中学ん時の友達と夏祭りに行った。久しぶりに会った彼らはちょっとしたいたずらを仕掛けていた。ささやかないたずらのつもりだったらしいけど、ちょっと、内容が、衝撃的すぎて。

 逃走して泣いてしまう事態に陥った。

 祭りの会場を離れ、茂みの中でぐずぐずと泣いていた。大部、落ち着いてはきたけれど涙は止まらなくて。ぼんやりと一人、流れるままにまかせて木々を見上げていた。

 ふいにガサガサと音がして。茂みの奥から見知らぬ少年が姿を表す。

 暗がりで顔はよく見えない。頭には狐のお面をつけていて。手には水風船二つと、焼きイカを持っていた。お祭りを、楽しんでるんだなと思ったら、なぜかますます涙が流れた。

 少年が、大きく首をかしげる。

「何、泣いてんですか?」
「……何でも、ない」

 泣き疲れて、頭がうまく動いていなかった。だから、普通は見ないふりして去ってくれるんじゃないかと思いつつも、言葉にまではならなかった。

 立ち去るどころか、少年は近づいて来る。目の前にたった少年を、見上げる。

「ははっ、なっさけない顔」

 何なんだろう。この失礼な少年は。

 反論する気力も、追い返す元気もなくいると、少年は隣に腰を下ろした。そして食べかけの焼きイカで、前方の茂みを示す。

「オレら今、そこで肝試ししてんですよ」
「ん?うん」
「だから、泣くならもっと大きな声で泣いて下さい」
「うん?」

 頭がうまく動いていないせいか、意味がよくわからない。

「どこからともなく、誰とも知れない泣き声が聞こえてきたら怖いじゃないですか」
「ヤダ、よ」
「はははっ」

 何で他人の娯楽のために泣かなくてはならないのか。嗚咽を堪えながら断ると、少年は楽しそうに笑った。

「水風船ぶつけたら泣きます?」
「や、ヤダよ……止めて、よぉ……うぅー」
「はははっ!」

 何がそんなに楽しいのだろうか。ほっといてほしいのに。

「は、やく、友達のとこ、戻りな、よ」
「えー?あ、花火始まりましたよ」

 花火を打ち上げる音と、花開く轟音が聞こえ、辺りが一瞬明るくなる。けれどここからは木立が邪魔をして全く見えない。

 久しぶりに会う友達と祭りを楽しんで、花火見てばか騒ぎするはずだったのに。どうしてこんなところで泣いているのだろうと思うと、ますます悲しくなってきた。

「う……うぅー」
「ほら、ここからじゃ見えないんで向こう行きましょう」
「う?」

 再び涙が込み上げてきたオレの手をとり、少年が立ち上がらせる。

 花火がまた花開き、少年の姿が浮かび上がる。

 結局、その少年と花火を見ることはなかった。すぐ後に携帯に友達から連絡があり、合流することになったから。

 喧嘩したわけではないけど仲直りできて嬉しくて、心配かけてしまって申し訳なくて、すぐに変な少年のことは忘れてしまった。

 どうして、急に思い出したのだろう。

 洗顔を終え、鏡の中の自分をぼんやりと眺める。目元は真っ赤に腫れ上がって、唇にはかさぶたができて、とても人に会える状態じゃない。よかった。今日がお休みで。

 かさぶたに、そっと触れる。

 昨日、庚の姿が思い浮かんだ瞬間、横から腕を引かれた。何が起きたのかわからなくて、気づいたときには庚の背後にかくまわれていた。

 庚だ。庚が来てくれた。

 そう理解したら、涙が溢れた。

 庚は、落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた。あげく、部屋まで送ってくれたのに、オレは、まだ傍にいてほしいだなんて思ってしまった。

 抱きしめられた感触は、すでに庚のにすりかわってる。でもまだ首筋や尻に触れられた感覚が残っていて。それも、上書きしてくれたらって。もし、あれが庚だったらだなんて、そんなことを。

 とりあえず、次に会った時にちゃんとお礼を言わないと。そう、考えていたのに。

「あ、こ、庚。おはよ」
「おはようございます」

 あ、れ?

 目が合ったのは一瞬で、すぐにそらされた。すっと通り抜けられて。急いでいたのかなって。でも、何だか嫌な感じがして。

 その後も、声をかければ返事をしてくれるし、用があれば話しかけてもくる。けれど、言葉はそっけなく、視線も極力合わせようとしない。

 避けられて、いる。

「………かのと、最近秋吉と何かあったのか?」
「……え?……あ、何にも。何にもない、よ」
「そうか?」

 あぁ、しずちゃんに心配かけてしまった。笑いかけてみても、しずちゃんの憂いは晴れない。

 当たり前だ。だって、自分でも今の言葉に信憑性がないってわかる。庚には完璧に避けられている。少し前まではあんなに楽しそうに笑いかけてくれてたのに。

 オレも、うまく笑うことができなくなっていた。

 球技大会が終わったら、話をしようと決めていた。それなのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 オレが、もっと毅然と断ることができてたら。きちんと抵抗することができてたら、避けられることなかったのかな。

 前みたいに話したい。笑いかけてほしい。声をかけたいのに、怖くて言葉が出ない。このままじゃよくないってわかってるのに、足がすくんで動けずにいる。

 抱きしめてくれたくせに。

 キスしたくせに。

 それとも、あれは泣く子をあやすためのものだったのだろうか。泣いてれば、誰にでもするのだろうか。

 気づけば庚のことばかり考えていて、姿を追う回数も、以前より増えていた。

「………かのと、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよー。本当に何でもないから」

 口ではなんとでも言える。

 きつくて辛くて、心が悲鳴をあげている。食欲も落ちて、夜は眠れない。このままじゃ、身体がもたない。もう、限界は近かった。

 だから、ちゃんと庚と話さなくちゃ。面と向かって、嫌悪を伝えられるのは辛いけど、今の、生殺しの状態が続くよりは。

 それに、いつまでもしずちゃんに心配かけてるわけにはいかない。オレのせいで、しずちゃんの顔から笑顔が消えるのは嫌だ。

 大丈夫。

 庚に嫌われてもオレは一人じゃない。立ち直れるはずだから。

 なのに怖くて一歩も前に進めない。





[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!